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「遠慮してください」はダメって意味じゃないかもしれない、けれど…

このあいだTwitterで、このような話を目にしました。

その女性は、「ご遠慮ください」という言葉のニュアンスを「できればしないでくれたらありがたいけど、絶対にダメとは言い切れない」だと理解していたとのこと。

たとえば「ここでの写真撮影はご遠慮ください」という張り紙があれば、「数枚ぐらいは撮っても良い」という風に認識していたのだとか。


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なるほどなと思うのであった。そういう受け取り方もあるのだと、なんだかちょっと発見でした。

そういえば自分が仕事をしていても、こうした「お願い事」をどのように言葉で表現するかは、いつも悩んでしまうことを思い出します。

「ほとんど無理!やめて!に近いんだけど、それをやわらかく表現する」ってときもあれば、「気持ち的には半分半分だけど、できればやめてほしい」ってときもある。

あるいは「ほとんど期待はしていないけれど、もしやめてくれたら嬉しい」なんてときもありますね。


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こうした言葉は、相手の "やさしいきもち" を頼りにしていて、ずるい方法ですよね。「いやですよ」って言われても文句はいえないのに、やめてくれることを信じきって話を進めてしまう。

そんなずるさが、ぼくたちのコミュニケーションの良いところだと思います。そんな風に、お互いがやさしさを持ちよることが前提のコミュニケーションって、なんだかいいなって。


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だから逆の立場で、お願いされる側だとしたら、大切にしたいのは相手の気持ちです。

その言葉を発している相手の意図や気持ちを理解して、尊重することなのだと思うわけです。

「遠慮してほしい」という言葉に、絶対的な禁止の意味は確かにないかもしれません。ですが、相手が「遠慮してほしい」と願っているのだから、その気持ちに応えて、自身の行動や立ち振舞を控えるというのが、やさしさだと思うのです。

仕事のなかでは、そんな優しさは通じず、遠慮できずに押し通さなければならないときもあります。しかしだからといって「無理です」なんて返しはしません。

相手の気持ちを理解しつつも、自分の理を通さなければならないなら、その理由を相手に伝えます。

そうやってコミュニケーションを重ねるからこそ、関係は深まっていくのですから。


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言葉を額面通りに受け取って「自分は悪くない」と言うのは、試合に勝って勝負に負けてるようなもの。

目先の利だけに目がくらんで、本当に大切にしなければならないものをおろそかにしているようにみえますね。

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