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行き渋り初動からの考察


おはようございます!
幼児心理アドバイザーのよよです。

ここ1週間で
急にダイレくんの
行き渋りがおきてて。

そのため我が子の行き渋りの初動について考察する時間が増えている

不登校の子どもの現状を色々調べていると苦しさがたくさん伝わってきた

何故ならわたしも当事者だったから
苦しみに共感できる


特に気になったのは
今苦しんでる子の思考が
かなり自己否定に走っているのはなぜなのか?

わたしなりに思ったことの一部として
記録したいと思う



子どもは生まれながらに
「誰かの役に立ちたい」
「認められたい」
「存在に気付いてほしい」
「たくさん見てほしい」
「たくさん聞きて欲しい」
「自分を知ってほしい」
「誰かに求められたい」

欲求をそりゃもうたくさん持っていて。



特に青少年期には
自己を形成するために
これらの欲求と承認が
繰り返される場
自己表出の機会を得ることが
とてもとても重要で必要となる


画一的な受動教育においては自己表出の機会がかなり少ない

うちの場合は個人が感じた不明点や疑問を、そのシーンで会話を通して解消して進みたいタイプ

するとひたすら口をとじる行為はなかなか慣れるものじゃないのだろう

そこに加えて外では頑張り屋さん
完璧主義なところもある


極端だけどアメリカのように自己主張こそ正義!とされる教育の方がハマるのかもしれない

ダイレくんは感性の豊かさがあり、多角的に物事をみていたり、発言や会話によるコミュニケーションを通して、ストンと学習して行きたいタイプなところがある

わたしとは違うから
深くまではわからないけど
そんな気がしている


学校に行くと1日に約6時間前後のインプットの繰り返しがなされ、対話しながらという自己表出をできる時間はかなり少ない


アウトプットこそが
この子にとって
スモールステップのツールにもなり得てしまうタイプにとっては、こうした自己表出の機会が必要不可欠で。


思春期はまだ先の話だけど
急激な成長ホルモンに対して
身体と心のゆらぎのある中、
1日において、どれくらい
自己を昇華することができるか。

すごく大切になるだろうと感じた

上に書いた
誰かの役に立ち
自らを出せる機会
善いも悪いも
ありのままオッケーと
認めてくれる場所や相手が
作れるかどうか

強制的に丸の中に収めるのではなく
ぶつかり合い削られる中で
歪な形の部分が必要に応じた分だけ
やすりにかけられていくこのこそが
人の成長そのものだとおもう

これらはもちろん家庭の基盤と
第三者との関係構築や信頼関係が重要となり、そこが強固であれば、違和感を感じずに自然と進んでいくことができるようには思う。

でもそううまくはいかない

でもサポートや工夫次第で
いくらでもやり方はあることを
忘れないようにしなければならない

とにかく子どものアイデンティティの目覚めと押し殺しの日々。

環境や周囲に応じて
過大にも、過小にも
蛇口をひねったり弱めたり

型にハマることが繰り返されると
次第に自分軸ではなくなる

そうして他人軸に切り替わった思考は
徐々に自己否定の罠にハマってしまい
自己肯定感が低くなっていく

共存力を失うと
自己否定を感じられずには
いられない

それはすごくわかる


さて、考えが
まとまらなくなってきたのと
職場につきそうなので
このへんで!(笑)


我が子よ、大丈夫だ、わたしがついている(o^^o)

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