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いつかみんな息が詰まって急に社会が死ぬ時が来るんじゃないか、

いろんなことに悩んでいた日本社会での生活。
こんなに思い詰める必要がないこともわかっていたのに、常に苦しくて苦しくてどうしようもなかった日々。
おいしいご飯を手軽に食べられて、気軽にあたたかいお風呂にも入れて、好きな服を好きなように着れて、夜も出歩けて、本にも簡単にアクセスできて、速いネットが使えて、たまにおしゃれなカフェに行けて、Amazonで頼んだ物が次の日に受け取れて、コンビニでおいしいチキンと肉まんが買えて、電車もあって、かわいい古着が見られて、おいしいプリンにたまに出会えて、ワイヤレスイヤホンを耳に着けて歩けて、
こんなに豊かで十分な生活水準のもとで生きられるはずなのに、
どうして私たちは絶望の中にいるんだろう。



実は今、私はアフリカにいます。
きっかけはいろいろありまして、もともと昔から興味のあった国際協力分野にご縁があって一歩を踏み出すことができた、ということが一つ。
そしてそこに舵を取ろうと思ったのは、そんな豊かさとはいったい何なのか、日本社会の息苦しさの正体は何なのかを全く違う文化圏から見直してみたいと思ったからでした。


今こちらでの生活を始めて数ヶ月経ちますが、
こちらの生活は楽しいです。

一方で、やはり日本も最高です。

でも、マジで思います。
よく今も日本の社会はギリギリ形を保っていられるなと。
いつか日本社会の全員が息が詰まって生命活動を止める日が来るんじゃないか、そんな風に思ってしまうほど、日本社会はやばいです。


あえて国名は挙げませんが、広くアフリカという枠で見ていただいたとして、こちらの人は日本と比べて基本、テキトーです。
雨が降れば出勤しないし、体調が悪ければ出勤しないし、自分の仕事がないときは休んでいるし、時間も守らないし、リスケがデフォだし。
テキトーというか、彼らのスタンスとしてテキトーでいるわけではなくて、これがもはや普通なんです。基本他人を責めるということをしないように思います。仕事の面で行くと、あまりチームで何かをやるという文化もない気がします。仕事が終わったら即退勤、残業という概念や他人への申し訳なさや気遣いで残るということもありません。もちろん地域や宗教のコミュニティは強いですし、人を大事にしますが、それでも基本自分第一です。自分第一と言っても人に迷惑をかけるセルフィッシュな自分第一ではなく、他人に気を遣わない自分第一です。

こちらに来て、すっかりそんな人々の感覚に慣れました。
お陰様でだいぶストレスフリーです。
もちろん彼らへのツッコミどころや、もうちょい頑張ろうよと思うことばかりですが、これくらいでも社会が回っているんだな、という事実は私の世界を大きく揺さぶりました。

私たちが思う「勤勉」は、こちらの人にとって想像のつかないものです。
私たちの思う「普通」が、こちらの人にとっての「勤勉」です。


いかに私たちが他人に気を遣って生きているか。
そしてそれを続けることを美徳とし、続けていられるか。
まじですごいですよ私たち。
仮にアジアだけで見ても、ここまで精神面を削りあって社会を支え合う文化を保ち続けているのは日本だけなんじゃないでしょうか。
きつい分、という言い方は何ですが、それだけのことをやっている素晴らしさを、もっと多くの日本の方々にちゃんと自覚してほしいです。何とかして伝えていきたいんだけれども。

だからこの社会で病むなんて当然のことなんです、自分のことも十分に考えたりできないまま他人のことも考えて、それでいて長時間働いて、どんな場面にも丁寧さと正確さと効率が求められて、接客は誠心誠意しなきゃいけなくて、そんなキツさが生み出す社会のひずみから老害やクレーマーや変な人たちが放出されて、すでに頑張っている人たちを追いやって。ネットとリアルの線引きが難しくなって、ありもしないことに心を蝕まれたり、言葉の暴力に身を引き裂かれたり引き裂いたり。

よく破綻しないでやってるな、って思う。
いや本当は破綻まで秒読みのところにいると思うんだけど、毎秒毎秒の一人一人の努力で少しずつ命綱を継ぎ足しているんだろうな。
とても危うい。

アフリカは確かに貧しいと言われるけど、人々は不幸かと言われると、そんなふうには見えない。お金がないことで奪われている機会もたくさんあるし、そもそも彼らにとって急ぐことや本気でやることが性に合っていないのもあるけど、日本の人々のように他人絡みで重度の悩みを抱えるということはほぼないように思う。


どちらがいいというわけではない。
それでも、日本社会にガス抜きは絶対に必要だ。
これ以上の豊かさ便利さを必ずしも求める必要はないと思っている。

QOLとは何なのか。
人の心や資源やゴミや世界の他の人たちや自然環境、
さまざまなものを踏み台にした結果生まれるものが人の心の闇なのであれば、
私たちは一体何を目指し、何を消費して、何を得て、
私たち自身を人間と呼んでいるのだろうか。



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