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マスクの紐が切れる

 この御時世故、マスクを着用すること、以前に増すこと仰山。常時窒息アイランドたる地球でこう歩いている日々である。まあ、その条件で暮らしているのは、一部の湾曲過ぎた唐変木を除いて皆同じだから、文句は言えない。Awichの『洗脳』をよく聴く最近。電車に乗ってると、鎮座DOPENESSの「人類皆運命共同体」の詞がよく似合う。

 そんな風に、こう毎日それなりの全力で生きていると、マスクの紐が切れる。それで、切れた瞬間に、周囲が異国と化すような恐怖。そして、草履の鼻緒が切れる感じ。これは、以下のような不運が訪れるに違いない。

 まず、私は、切れた紐を結ぼうと無駄な努力を重ねるのだが、その不器用さ故に中々うまくいかない。それを見た周囲の、その身長8メートル近い、激怒した際の日本人男性の平均身長程であるのだが、彼らが私を担ぎ上げ、トラックの荷台に載せる。トラックの向かう先は、全くもって不明、推測する要素もない。ただ、明らかに法廷速度を破っている。すると、カーラジオ曰く、「くぁっ、かっ、くぁっ、国民のですね、安、安、安、安全のめっ、面を配慮いたしましてね、いっ、いたしましてですよ、それで、それでですね、つ、つまるところ、」私の知らぬ間に、総理大臣と思われる人物は、まやかしでない鳥人間になっていたらしく、日本語には不慣れだ。

 その内に荷台から下ろされ、椅子に座らされ、バリカンで髪を剃られ始める。これは、なんだ、自問自答、答、散髪。散髪である。私は、何らかの極刑を宣告された気分でいたが、なんだ、さっぱりじゃないか、と安心、失禁。これから、私は、否、拙僧は、タイの山奥で修行僧として、生きるのだ。嬉しさが余って、「老後の蓄え、老後の蓄え」と意味もなく呟き続けた。

 しかし、御髪下ろし奉る的シチュエーションにしては、時間がかかりすぎている。さっきと逆の感情が胃袋から浮かび上がる。それに、段々視界の上の方が削れていく。

「吁!」

 後にはバリカンだけがのこって、シュレッダー。