こづつみ【第十話】
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『第十話』
徐々に陽が暖かくなり、カサカサと音が鳴り始めた頃、出産予定日まで残り一ヶ月を切り、花浪の腹は今にも張り裂けて我が子が飛び出てきそうなほど大きくなっていた。体を横にし、下の腕と膝を曲げて布団から起き上がる。大きな腹の扱いにもなんとか慣れ、トイレや布団から起き上がるなどある程度のことは一人でできるようになっていた。目玉焼きを作り、近所の人からもらった菜の花のおひたし、義母からもらった漬物を冷蔵庫から出す。昨日の残りの味噌汁と白米をお椀によそったところで圭呉が起きてきた。相変わらすボサボサの頭を揺らして目を擦すりながら手探りで椅子を探している。あちこちに足をぶつけながら座る圭呉を待ってから朝御飯を食べ始めた。
食べ進めていると突如電話が鳴った。デジャブを感じつつも電話に出ようと立ち上がろうとすると「俺でるよ」と言って圭呉が受話器を取った。もしもしと電話の向こうの見えない相手と喋っている圭呉を尻目に再び箸を動かし始める。しばらく食べ進めたところ何やら様子がおかしいことに気がついた。圭呉の声のトーンが明らかに低い。いつもの調子のいい軽い口調ではなく妙に重々しくなっている。
「どうしたの?」
電話を切り、机に戻ってきた圭呉に聞くと口を開いた。
「父さんが死んだって」
「え......」
唖然としていると圭呉は続けた。
「朝起きて母さんが起こそうとしても全然返事なくて、触ったらもう冷たくなってたって......。」
なんと声をかけていいのかわからず、言葉を迷い続けて沈黙が途切れることはなかった。
次の日から葬儀を執り行うために圭呉は一度実家である義両親宅へと行って義母と話しており、花浪は家に一人となった。気の利いたことを一言も言えなかった自分を情けなく思い、せめて葬儀の時はしゃんとしようと明日の準備を始めた。
喪服、ハンカチ、数珠と揃えたところでふとこの村は仏教ではなく「山神さま」という独自の信仰があるのだから葬儀の際の礼儀も異なるのではないかと思い至った。念のため村長へ電話して確認すると光沢のない黒い服装というのは同じであったが数珠はいらないとのことだった。また、「花浪さんは身重なんやから腹の中に鏡いれとくんやで」と言われた。そんな話もあったなと微かに思い出し、鏡台の引き出しから手鏡を取り出し、忘れた物はないか再度確認した後、その日は床についた。
次の日、いつものように目を覚ますと重たい腹を抱えて起き上がり、カーテンを開けた。まだ肌寒いものの柔らかい日差しが差し込み、身体をほんのり暖める。手早く朝食を済ませ、身支度を整える。喪服に着替え、化粧をし、鞄に持ち物を入れる。家を出ようとしたところで鏡の存在に気がつき、急いで手に取り、鏡面を外側にして腹の中に忍ばせた。
義両親宅へ着くと圭呉が案内し、仏間のような部屋に通された。部屋の奥には木製の小さな屋敷のようなものと義父の生前の写真が台の上に鎮座している。小さな屋敷の扉は開かれており、「山神さま」のご神体が中に置かれている。小さな屋敷の下には木棺が置かれており、まわりは何かの植物とお供え物が囲んでいる。知らない形式とはいえ葬式とわかる見た目とは裏腹に会場は明るい雰囲気だった。既に何人か先客がおり、遺影の前で談笑している。葬式の前に笑っているなど無神経な人たちだなと思ったが、よく見ると義母も談笑に加わっていた。なんとか話を合わせているのではとも思ったが無理やり作ったようなひきつった顔はしておらず、自然な笑みを浮かべている。訝しげに思いつつ会話に身を放り込んだ。
「あらぁ、花浪さん。わざわざありがとねぇ。」
やはり義母はいつもの少しおっとりとした調子で話しかけてくる。昨日、夫が死んだとは思えない様子だった。
「この度はご愁傷様です。 心よりお悔やみ申し上げます。」
「そんな堅苦しくせんでええんやで。ただでさえ堅いことするんやからもっと楽にしとき。」
義母は優しく微笑み、心からそう思っているように見えた。隣の圭呉もうんうんと頷いている。
「もう大丈夫なんですか......?」
「......?何が?」
「いや、その、お義父さんが亡くなってしまったので大丈夫なのかなと」
「?まあ畑は一人やとしんどいけど、どうせもうやめようと思ってたしなぁ。」
「母さん、たぶん花浪は寂しくないかとかそういうことを言ってくれてるんだと思うよ。」
「あぁ、なんやそういうことか。まあ寂しくなるやろうけど、どうせみんな一緒に山神さまのとこに帰るからな。それに花浪さんも来たし、ややさんももうすぐ産まれるしなぁ。むしろ騒がしくなるやろ。」
接点がほとんどなかった自分はまだしもずっと連れ添った仲でもそんなものなのか、案外圭呉が死ぬときでも寂しくないのかもしれないなと花浪は安心した。
「何か手伝うこととかはありませんか?御香典をまとめておくとか。」
「あぁ、うちそういうのないんよ。やからほんまにゆっくりしとき。」
「じゃあせめてお茶いれてきます。」
そう言って花浪はお茶を入れにキッチンへ向かった。
「そんな気使わんでええのにぃ。」申し訳なさそうな義母の声が小さく聞こえた。
やかんに水を汲み、お湯を沸かす。
おそらくまだ人は来るだろうと多めにお茶を入れて皆のいる部屋へ戻ると見覚えのある顔が増えていた。村長夫妻も参加するようだ。息子さんも来ており、部屋の隅のほうでつまらなそうな顔をして小さく座っている。
村長夫妻に軽く挨拶するとすぐに葬儀を始まった。どうやら村長が取り仕切るようで遺影の一番近くに座り、何かを唱えている。しばらくすると村長は参列者に一列に並ぶよう指示した。義母が一番前に並び、参列者の方向にお辞儀をする。村長から玉串を両手で受け取り、回転させ、枝の付け根を遺影に向けて静かに台に置いた。再び遺影と参列者に向けてお辞儀をして列に並ぶ前の元の場所へと戻っていった。次に圭呉も同じことを行うと花浪の番がすぐにやってき、なんとか見様見真似でこなし、席に戻った。
参列者が全員終えるといよいよ出棺するようで男が集められ棺を担いで車に入れられた。
義母と圭呉、花浪は木棺と同じ車に乗り、墓地に向かった。
墓地は酷く荒れていた。所々地面は陥没し、いくつかの墓石は傾いている。ものによっては完全に倒れてしまっている有り様だった。そんなでこぼこした墓地を進むと大きく綺麗な石棺が置いてあり、すぐ横の地面に四角い穴が掘ってある場所に辿り着いた。聞くと石棺に入れ換えて土葬をするようで、昨日のうちにあらかじめ準備してもらったそうだ。灰は不浄なものだからどうこうと言っていたあたりからは聞き流した。
参列者が全員到着すると義父は木棺から移動され、大きな石棺の中に寝かせられた。墓石は二つあり、頭の方が大きな墓石、足が小さな墓石になるように石棺が穴の中に置かれ、埋められた。大きな墓石の方に花を供えてやっと葬儀のすべてが終わり解散となった。参列者を全員見送り、義母、圭呉と共にそろそろ帰ろうと歩き始めるとカサカサと音が鳴り地面の下で何かが蠢いているように辺りが揺れ始めた。徐々に揺れが大きくなり、立つのも難しくなった時、「ガコッ」と後ろから音がした。振り返ると先ほど義父を埋めた場所が凹んでおり、墓石が傾いていた。
「今回は随分早いね。」
「出てきたばっかやったからすぐに見つけられたんちゃう?」
「確かに」
「お父さんもすぐに帰れてよかったなぁ。」
何も異常はないかのように義母と圭呉は話す。一方で花浪は今のは何だったのか、義父はどうなったのか、帰るとは何なのか。解決できない疑問が渦を巻き、絶え間なく己の中で危険信号が鳴り響いては「そういうものだ」と消えてを繰り返していた。自分がどこにいるのか、何を考えているのかわからなくなり、気づいたときには既に自宅の布団で横になっていた。
今日も甘ったるい臭いが鼻を刺す。
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日本では珍しく村では土葬をしているようです。なんでも灰は不浄なものだから火葬はできないとか。
そういえば土葬は地面が陥没してしまうこともあるらしいですよ。ですがそれは棺が腐ってなるそうです。あの村で使っていたのは石棺ですし、たとえ木棺だとしても数時間で腐るとは思えません。
どうして義父の墓は陥没したのでしょう。
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