こづつみ【第五話】
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『第五話』
九月中旬、徐々に秋らしい涼しい風が吹き始めたある日のこと。
花浪はいつも通り布団から起き、洗面所で乾燥したねちょっとした口内の不快感を水と一緒に流した。相変わらず寝坊助な圭呉を蹴って叩き起こそうと試みる。朝御飯の支度をし、慌ただしい様子で農作業に向かう圭吾を見送って家事の続きをする。いつも通りの日常。ここ一ヶ月でやっと慣れ始めた日常。だがその日は違った。先日、圭吾から勧められた近所への挨拶回りをしにいく予定の日が今日であった。
いつもより手早く家事を済ませ、身支度をする。
服を着替え、日焼け止めを塗り、化粧をする。日傘を手に取り、玄関の扉を開けると光が差し込む。涼しくはなったがまだまだ弱いとはいえない日差しを日傘で遮りながら花浪は歩きだした。
しばらく進むと十字路に差し掛かり家が見えた。日傘を畳んでインターホンに手を掛ける。
「ごめんくださーい。」
「はーい、今でますよー。」
ガチャリと玄関が開くとおっとりとした印象の40代半ばくらいの女性が出てきた。
「あらぁ、もしかして最近越してきたいう花浪さん?」
「そうです。よくご存じで。遅れましたが引っ越しのご挨拶にと。」
微妙に視線が合わない。
「そんなんええのにぃ。でも、人が増えるんは嬉しいことやねぇ。」
女性はそう言いながら顔とまだあまり膨らんでいないお腹をなめ回すようにじっとりと細い目で見つめていた。
一軒目での挨拶を済ませ、歩いていると畑の近くで人だかりができていた。近づいていくとお昼休憩なのか40~70くらいの女性たちが軽食を食べながら井戸端会議をしているようであった。
その中の一人が花浪に気づいたのか顔を向けた。一瞬目を細めた後、
「もしかして最近わざわざ越してきたいう花浪さん?どうしたん、こんなとこ歩いて。」
気の良さそうな優しげな印象だった。
「引っ越しの挨拶回りでもしようかなと思いまして。あとまだこの村のことをよくわかってないので周りにあるものの確認がてら散策をと。」
「そうなんや、確認せんでもなんもないよ。」
「ややこさんもおるんやからあんま無理せんときや。」
「ややこさん......ってなんですか?」
花浪がそう問いかけると女性たちは顔を見合わせてあぁと頷いた。
「赤ちゃんっちゅう意味やで」
「都会の人じゃあわからんよなぁ」
「きれいな言葉使っとるもん、こっちもきれいな言葉にせなまだわからんよなぁ」
ごめんなぁと少し申し訳なさそうに笑っていた。
距離がある。村の人たちと村の外から来た自分。寄り添おうとはするが埋まりきらない距離。一日二日では到底届かない距離。人はいるのに自分は一人。寂しい、とても寂しい孤独感に呻きそうになりながら花浪は必死で笑顔を張り付けていた。そうして喋っているうちに少しだけ村の人たちに近づけた気がした。
「四月に生まれるんやんな?」
「え......あ、はい、そうです。」
「そうかぁ、それはよかったなぁ。」
気持ち悪い。なんでそんなこと知ってるの?
悪気はないのかもしれないが全ての情報が把握されているのは村の外から来た花浪にとってとても気持ち悪かった。
「先週村長さんところ行ったんやろぉ?」
どこで、いつ、何をしていたのか、何をするのか。全てが監視されているかのようだった。自分もこんな風に誰かと監視し合って、それがさも当然のように生きていくことを想像したくもない。
怖い。
村に馴染んでしまうことを怖いと感じてしまう。まるでそれまでの自分が死んでしまうかのような、そんな錯覚に花浪は陥った。
しばらくの間、錯覚から抜け出せずにただ曖昧な返事をしていた。
「そういえば圭吾くんの両親の近所の奥さんもややこさん生むらしいわ」
「一月くらいになってしまいそうらしいねぇ。」
「かわいそうに。」
「ありゃあ、こおさめせにゃならんねぇ。」
「うまいこといかへんもんやなぁ。」
何がかわいそうなのか、疑問に思った花浪だったがすぐに別の話題になって聞きそびれてしまった。
いつの間にか帽子の後ろについたヒラヒラとしたものをはためかせながら女性たちは歩き始めていた。
害鳥避けのCDに光が反射して目に入る。一瞬目を閉じて再び開けると花浪は一人になっていた。
何軒か回っていくうちに花浪はある共通点に気がついた。
すべての家が十字路の隅に建てられている。どれだけ小さい畦道のようなものであったとしても必ず十字路の隅に家があったのだ。
京都のような碁盤の目のような街作りであるならいざ知らず、こんな田舎で、必要になる度に作られたようなうねうねと曲がった道には不自然に見えた。何かそうしなければならない理由があったのだろうか。少し考えたがわからない。
得体の知れない気味悪さだけが花浪の心に残った。
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四辻って知ってますか?
四辻というのは道と道が交わるところ、つまり十字路とか交差点です。
道とは本来あちらとこちらを繋ぐものと言われています。
そんな道が交わっている四辻は境界線が曖昧になっているらしいです。
人を狂わせるなら四辻で呪いをかけろなんて言葉もあるくらいです。
そんなあちらとこちらの境界線が曖昧なところにずっといたら......。
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気づいたときには日が落ち始めている。周りを見渡すと急斜面が広がっていた。知らぬ間にだいぶ山に近づいているようだ。
そろそろ帰ろうと来た道を花浪が振り返ると道の脇に佇む木々の間に何かが垂れ下がっている。薄暗くなっていく中、近づいていくとそれが見えた。
ワラジ、ムカデ、蛇、塩、灰、そしてそれらを吊り下げ、道にまたがっている縄。
どこかで見たことがある。
知っている。
カサッ
道切り。外から悪いものが入らないようにするためのものだと聞いた。
カサカサ
じゃあそれを越えたらどうなる?
カサカサカサ
全身の毛が逆立つような、背筋が泡立つようなそんな感覚。
カサカサカサカサ
音がしている。
カサカサカサカサカサ
近づいてくるような音。
カサカサカサカサカサカサカサカサ
花浪は走り出した。
甘い匂い。甘くて甘くて、信じられないほど甘いものをさらに煮詰めきったような甘い匂い。
道切りを越える瞬間、カサカサという音が頭の中に響いた。
地面を蹴る。土が靴の中に入ってくる。ジャリジャリとした不快な感覚。
脚が草に当たり、カサカサと音をたてる。音がする度にズボンがひっつき虫に埋め尽くされていく。
靴を履いているのか、裸足で走っているのかもわからなくなった頃、いつの間にか音は聞こえなくなっていた。
ただ甘い匂いだけはずっと鼻の奥に染み付いたまま。
その日の夜は音が聞こえなかった。
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自分自身は村から来たというのに、どうして道切りの外はよくないと思い込んでしまうんですかね。
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