「何もない日」なんかあり得ない(即ち、日々是奇譚)

 さて、だいたい要領を得てきた3本めにして、遅まきながらこのマガジン(と言うのですよね。つまりはフォルダみたいな分類ですやね)の主旨を記しておこうと思い、さらさらと記してみることにします。
 遅ぇなあ、と言わずにお願いしますよ~。ほらほら、音楽CDのさ、イントロ曲が意図的にズレた位置に入っていたりするじゃない? そういう挑戦的なスタイルとでも思っていただければ。ひゃっほー! BUCK-TICKの『SEXY STREAM LINER』みたいだぜー!
 なんて言うと恰好はつくけど、そんな「わかる奴だけわかればいい」というスタンスは、あまり取りませんのでよろしく。だからこそこうやって恰好悪く記しているのです。遅まきにでも。野球選手が夢だったと恰好悪く振られればいいじゃない(← この手のボケは実際わかる人だけわかってください ← 結局どっちなんだよ)。

 思いつきでこのタイトルに決めた「日々是奇譚」。
 これには端的に言えば「何もない、つまんない日なんてありやしない」という意味を込めておるのです。これはむしろ、自分への教訓でもあります。ええ。
 僕ら人間はとかく、自分本位で生きている生き物。周囲に気を遣ったり遣われたりしながらも、結局は「自分という軸」を中心に、物事を展開している/させている。
「えー、んなことないよ。会社じゃ幹部ばっかり権力持ってて、俺らはおんなじことのくりかえしだよー。あーつまんね。毎日なーんもねーよ」
 という意見もあるでしょう。どうどう。まあまあ。
 でもね、これってただの「考え方」だと思うのです。

 たしかに、僕ら現代人は社会の中で生きています。自分本位で好きに生きて、毎日違う刺激を味わうことなんてなかなかできません。
 仕事しなくちゃゴハン食べれないし、家に帰れば同じ人がいるし、また酔って寝て朝は二日酔い気味で起きてコーヒー飲んで、ああまた同じ職場に同じ仕事をしに行かなきゃ、という毎日。くりかえすこのポリリズム。いえいえ、ポリ・リズムは「短い旋律を無数にくりかえして、大きな単位に仕上げる」ことなのですから、これって日常と同じではないですか。ひょんなことからつながってしもうた現時点。なんという無謀な着地。
 えーと、ひるがえって(何度めだ)。
 日常は、たしかに「同じことのくりかえし」でしょう。けれども、前述のポリ・リズムにも通ずるのですが、そのくりかえしが「少しずつ変わってきて、いつの間にかまったく違うリズムを構成している」ことだってあるんです。むしろ、同じリズムのくりかえしで気づいていないだけで、すべからく違う日常に少しずつシフト・チェンジしているのです。

 喩えば、コンビニでゴハンを買うとき。
 まったく同じ時間に、まったく同じ店員さん相手に、まったく同じものを買って、まったく同じ支払い方をして、まったく同じ時間に食べていますか? そこには「誤差」があるでしょう?
 その「誤差」を、気づいて意識的に楽しむ。それだけでも「同じことのくりかえしの日々」から脱却できるはずです。
 きょうの店員さんはいつもより声が出てなかったな。調子悪いのかな。この弁当と同じやつを買ったのは何日前だっけ? ああ、昼を麺にしたってことは、晩ゴハンはコメにするように連絡しよう。昼休みはこれを食べたらたまには本でも読んでみるか。そうだ、コーヒー1本、贅沢しちゃえ。
……そんなふうに、少しずつのズレが、違う日を演出していってくれるはずです。
 そうなると、どうなるか?
 普段気づけていなかった路傍の花に気づいて「あらこんなところに可愛いコスモスが。秋ですか~」と感慨深くなったり、職場の女の子に「髪切ったんだね。いいんじゃない?」なんて声をかけてキュンとさせることができたり、仕事がなんとなくはかどる気がして部長から「いや~、きょうはいい仕事するねえ。どうだい、今夜?」と酒に誘われて、妻に連絡したら「いいのよたまには。あたしもひとりでゆっくりしたいし~」と妻の日常まで変えることができちゃうかも。
 そう、日常は、ちょっとしたことのくりかえしで構成されているので、まったく同じ構成になることは、まずないのです。
 これはミュージシャンのライヴ演奏が毎回、同じような演奏でいても細部が異なっていることにも通じます。だからこそライヴってどれも観たくなるし、逆に1回観ればいいかなとも思える。どちらを選ぶかは、機会とリスナー次第。
 つまり、決めるのは自分次第。

 こうしたことは行為を「日常」としてとらえるか、それとも「非日常」としてとらえるか、の違いだと思うのです。
 僕らの「日常」は、実は「非日常」と背中合わせで成り立っている。日常の中にちょっとした「変わった要素」があっても、日常どっぷりになってしまうと気づけないだけ。実は至るところに「おや?」という要素が転がっているのではないでしょうか。
 何の感慨もなく「ただいまー。きょうは麻婆豆腐か。あー疲れた」とソファにだらしなく寝そべるのではなく、意識のスウィッチをちょっとだけ、入れてみましょう。
「ただいまー。おっ、きょうは麻婆豆腐か。最近食べてなかったからなあ。そういや昼食は麺だったから、コメにしてくれってお願いしてたっけね。しかも麻婆豆腐は僕の好物だ。どうもありがとう! ああ、疲れも吹き飛ぶぜ!」
 ほーら、夫婦円満になっちゃった(ホントか?)。こりゃお子さんできちゃっても不思議じゃないぞ(そこまで発展するか?)。

……という進行になるかどうかも、実は自分の「心がけ」ひとつ次第。
 不断の「日常」に対して意識的になれば、意識的に「非日常」を体感し、呼び寄せ、変わっていく日々を体感していくことができるでしょう。
 それって、「まったく同じ日なんて存在しない」ということの証明。
 同じように見える日々でも、必ず、違った部分はある。だったらそれを、考えたり見つめたりして楽しんじゃえ!
 というのが、このマガジン「日々是奇譚」の趣旨でありタイトルの意味なのであります。ずいぶんとまぁ、長い序文になりましたやねぇ。3本めにしてこんなんで、すんませんなぁ。

 とまぁ、こんなように。
 日々のなかで思うこと、見つめるもの、変わった要素、などなどを見過ごすわけでなく、あえて文章に起こしてとどめることで、「日常を非日常に切り替えるスウィッチ」となってくれることを期待しております。自分の腕に。わー、てーげーだなー(←いきなりどこの人だ)。
 僕はさながら「活字中毒」のように、仕事の資料作成でもホイホイ入力しているうちにエンドルフィンが高分泌される「筆記中毒」なので、毎日記せれていけばいいのですが、無理なく記していくつもりであります。許せアミーゴ。

 では、3回めにして長いイントロとなりましたが、このようなライター志望のまま夢叶えることが未だできずにいる不惑寸前サラリーマン(か、哀しいなぁ)の文章を読んでくださる方々。
 今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。

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