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美術系のための夏の課題図書。(すでに夏は終わっている)

どれも読みやすくて役に立つ本だと思うので、宜しければ

ー狙いとしては、ジジェク・大澤先生の3作でポストモダン以降、的な思考に触れ(余力があればファイヤアーベントなども…)、80年代ぐらいまでのアートシーンに関してネグリ、クラップで復習し、空気の研究〜日本辺境論で日本への目配せ、という感じです。

「美術館をめぐる対話」西沢立衛
「ポストモダンの共産主義」「斜めから見る」スラヴォイ・ジジェク
「過剰と退屈」O.E.クラップ
「芸術とマルチチュード」アントニオ・ネグロ
「日本辺境論」「他者と死者」内田樹
「唯脳論」養老たけし
「記号の国」ロラン・バルト
「不可能性の時代」大澤真幸
「「空気」の研究」山本七平
「音楽の聴き方」岡田暁生
「零の発見」吉田洋一
「(h)ear」佐々木敦

※注意:こちらのレビュー、および本の選定については、主に2011年の視点から行なっています。

また、一部無責任な感想やレビューを書いたものについては、自分に対してのメモも含め、ほぼ当時のまま記載しています。
(目次のついているものがそれに該当(=レビューあり)のものです。)

「美術館をめぐる対話」西沢立衛

少し抽象的な話。範囲を定義すると「そこ」が視えるようになるが、任意の限られた画面の中の存在に於ける見え方を考えたとき、定義を応用して更にマッシヴな地の中に潜伏させる必要がある。要は、ベタ⇔メタ、具象⇔抽象の簡単な遣り取りのことなのですが、これは図と絵画の違いでもある。

任意の「情報」について、その伝達の仕方はコミュニケーション/文化と分かれるとすると、絵画はその間の鬩ぎ合いをしているわけですが、要は一次的な情報の言語としての図(解)=イラストレーションと、ベタを内包しつつより抽象度を高める所作によって独自性を高めるのが絵画だとするならば、反転する作品の画面という構造(図と地)に対して、作者の主張をどう見せるかと考えた時に、西沢立衛先生宜しく画面のコンテクストを視る必要が出てくるのですが、作者の主張と画面の要求とを出力するに際する両者の鬩ぎ合いの話で、つまりこれは作品に対する作家のミスティフィケーションの構造であったりするのです。

「ポストモダンの共産主義」「斜めから見る」スラヴォイ・ジジェク

遂行的注意と言えば「それ」によって初めて現実が成立する注意のことですが、私たちは本質的には〈現実界〉を生きているのではいとジジェクが言ったように、世の中に起こり得る事象は個々人が「それ」と思うようになっているのであって、想起し得ない事態は私たちには起こり得ない、のかもしれない。

「過剰と退屈」O.E.クラップ

多過ぎる刺戟が我々にとっては無を意味するように(退屈はアミューズメント施設の充実に反する)、各種メディアの起こす情報の洪水によって意味は失われて行くわけですが、その実体については我々は掴み損ねます。つまり、現代社会はより「快適な」場所へと向かっていると。

「芸術とマルチチュード」アントニオ・ネグロ

「日本辺境論」「他者と死者」内田樹

主体性が(あってはなら)ないという日本人の日本人「性」については、それを踏まえた上で「寧ろ」、スゲェんじゃないですかという著者の姿勢は、潔い開き直りとも自虐とも見受けられますね。共感の及ばない「他者」としての未知(=外部)のものを前に「思考停止」してしまう我々の体質についての(日本人が「日本人」である限りは世界を牽引することは出来ないなど)問題を提起した上で、それをそのまま「師」と「弟子」の関係に当てはめていて。新書というだけあってフランクな先生が痛快でした。

(「師」と「弟子」の関係を挙げ、)我々(=「弟子」)は未知なるものとしての他者からは絶対的に遅れをとる代わりに知性のパフォーマンスを上げているのだ、主体性は無いけどそれってすごいことなんですよ、というところが何とも。 (『日本辺境論』)

「唯脳論」養老たけし

「記号の国」ロラン・バルト

日本は「記号」=「無」の国であるとし、全ての事象は互いに打ち消し合い、日本は在って「無い」ものだというのは再三言われてきたことですが、彼は一種の感動のようなものを以て俳句と禅宗の虚無を説く。異国の方の日本論は明るくて好いですな〜

「不可能性の時代」大澤真幸

“虚構の時代”に起きる過剰なまでの「現実」の注視とはつまり、相対主義(多文化主義)のどれも「あって、ない」ことに対する不安がまずあって、(相対主義を極めた先にあるアパシーのようなものの回避のために)それの埋め合わせを図る防御的な所作である、という文脈を敷いたという意味で、「現代」の社会の切り口の一つとして重要な論考であると思いますが、皆様も言われてるようにもう少し各章毎の展開は欲しかったような気もします。

「「空気」の研究」山本七平

「音楽の聴き方」岡田暁生

「零の発見」吉田洋一

「(h)ear」佐々木敦

<余談>

無責任な読書メーターの乱文は実はここから読めたりしますが、
10億年くらい更新していないので参考までに・・

図と絵画の違いについての参考図書はまた次回・・かな・・

①杉浦康平『図像のコスモロジー』
②西沢立衛『美術館をめぐる対話』
③岡崎乾二郎『芸術の設計』
④外山滋比古『思考の整理学』
⑤イーヴァル・エクランド『数学は最善世界の夢を見るか』
⑥吉田洋一『零の発見』

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