24年弱。陸上自衛官としてのこれまでと退職について
前回、私がいかにして陸上自衛官になったのかについて綴ってみました。
今回は、私がどんな自衛隊生活を送ったのか、ざっくりと振り返りたいと思います。
その前に、若干大学時代のお話しをしたいと思います。
私はそもそも自衛隊には何の興味も無かった、と申し上げてきましたが、ちょっとこの言い方は正確では無いので、多少の知識はあった、と言うように修正したいと思います。
私は大学では、文学部国文学科と言うところに在籍しておりました。
選んだ理由は、単純に読書、特に当時は小説を読むのが好きだったと言うだけです。
3年生になると、学生はそれぞれゼミに入る訳ですが、私は近現代文学のゼミを選択しました。
4年次に卒論を提出します。その時テーマに選んだのが三島由紀夫の作品でした。
卒論の内容に関しては、話が逸れるので端折りますが、その際に私は三島由紀夫の著作を読むだけでなく、かなり三島由紀夫について調べました。
三島由紀夫と言えば「楯の会」と言う組織を率いて陸上自衛隊に体験入隊した他、最期は自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ東部方面総監を監禁し、バルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺をしたことで知られています。
三島由紀夫について調べるうち、自衛隊に興味を持ち、どう言った組織なのかの知識は、一般的な大学生よりはあったと思います。しかしながらそれは「入隊したい」とか、自衛官に対する憧れとは全く別の興味関心でした。まさか自分が自衛官になることなどこれっぽっちも考えてはいなかったのです。
しかし、就職浪人時、企業展で、当時の防衛庁のブースを見た時、それほど抵抗無く話しを聞きに行けたのは、今思えばある程度知識があったからかもしれません。
前置きが長くなりましたが、何はともあれ私は平成10年に(西暦1998年)3月25日、齢23歳にして陸上自衛隊に入隊いたしました。
自衛隊では「職種」があるのですが、私は「衛生」になりました。その経緯についても端折ります。また、自衛隊の「職種」についてお知りになりたい方は、今はネットでいくらでも調べられるのでご自身で調べていただきたいです。
私は24年弱、陸上自衛隊にいました。勤務歴は、前期教育を横須賀の武山、後期を東京の三宿、最初の配属先は山形県、そして千葉県の習志野駐屯地にある第1空挺団でおよそ17年と数ヶ月勤務しました。
その間に、陸上自衛隊でも過酷と言われるレンジャー訓練に参加したり、英語教育に参加したり、在日米軍に研修に行ったり、新隊員教育に携わったり、アフリカやアラスカなどの海外出張に計4回参加したり、東日本大震災をはじめとする災害派遣などにも何度も従事しました。
海外で落下傘降下もしました。
また、訓練、補給、人事と言った役職に従事しました。
かなりざっくりですが、個別の内容はまた別の機会に綴って行きたいと思います。
そう言った様々な経験を積み、割と濃密な人間関係も構築し、やりがいも感じていた自衛隊を、私はなぜ47歳と言う、決して若くない年齢で退職したのか。
理由はいくつかあります。全部あげると長くなりますので、ざっくりとまとめて箇条書きにしますと、
①そもそもずっとやめたかった。
②自衛隊以降のキャリアの選択肢を狭めないため、できる限り早めに新たなキャリアを積み上げたいと思った。
③50歳以降、できる限りストレスフリーに、長く働き続けるため、独立しようと思っている。
④自衛隊内に目標が見出せない。
⑤そもそも性格が自衛官に合わない気がしていた。
上記5つの理由については、次回にそれぞれ深掘りして綴りたいと思います。