見出し画像

美しくなりたい女たち

 ある日、友人とのLINEで雑談をしている途中、一枚の画像が送られてきた。それは居酒屋か何かで撮られたもので、ビールや料理が並ぶテーブルの向こうに、ピースサインをする男女が数人写っていた。 

 その中の一人を指して「この人がTさんだよ」と友人は言った。 

 Tさんと言うのは友人の職場の同僚で、友人の話にしょっちゅう登場する人物だったので、私も名前だけは知っていた。改めて写真をよく見ると、Tさんは薄化粧で、髪を一つに結んだ、細身のこざっぱりした印象の人だった。
 いつも友人から聞く話で、かなり年上のふてぶてしい女性を想像していた私は、少し驚きながら返事をした。
「きれいな人だね。想像と違ってたわ」
 友人からの返事は早かった。
「どこが?おばさんだよ」 

 友人が言うには、確かにスタイルは悪くないけれど、顔は小じわが目立つし、髪質にも年齢が出ている。どこからどう見ても、美意識の低いおばさんだと言うのだ。 

 まじか、と思った。 

 顔形の造形はもとより、年相応のしわさえなくて髪までツヤツヤでなければ「美人」じゃないのか。そんなふうに厳しい基準で他人の容姿をジャッジするのが、彼女の世界の「当たり前」だったのか。
 それは私にとって、ちょっとした衝撃だった。

 SNSで繋がっていた別の友人の口癖は、「整形がしたい」だった。
 彼女はアイドルが好きだったのだけれど、美しいアイドルの写真をリツイートしては、「やっぱり目頭切開したい」「ボトックス打ちたい」「ヒアル入れたい」と、彼女たちへの羨望を呟き続けていた。

 美しい人に憧れるのと同じだけ、彼女はブスが嫌いだった。デブは論外、アデノイド顔貌は最悪、人中が長すぎるのも不細工、時代遅れのメイクをしている女は目も当てられない。彼女の基準もまた、先の友人と同じように厳しかった。

 私はと言えば、自分の容姿にもあまり頓着せずに生きてきたせいか、他人の容姿についてもごく大ざっぱな評価しか持ったことがなかった。身ぎれいにしている大抵の女性は美人に見えるし、肌がきれいだとか、スタイルのバランスが良いとか、表情が豊かだと言うだけで、十分魅力的に思える。
 私は要するに「美意識が低い」のだろう。実際、友人の付き合いでコスメ売り場なんかを一緒に見に行っても、私はいつも手持ち無沙汰にぶらぶらしてばかりだった。

 そういえば、こんなこともあった。
 ある時、SNSで知り合った同じ趣味の女性二人と会うことになった。待ち合わせの場所には、ハイブランドを身に付けためったに見かけないレベルの美女と、清楚な女の子が来た。私たちはカフェに入ってコーヒーを飲みながら話をしたのだけれど、私はそのうち、ふと違和感に気付いた。
 一見、和気あいあいと話をしているようではあるのだけれど、美女の方は、決して私の顔を見ようとしないのだ。
 もう一人の女の子にはよく話しかけるのだけれど、私が話そうとするとさりげなく目を背ける。私にDMを送ってきて「会いたい」と言ったのは彼女の方だったのに。

 しばらくして、私は気づいた。私は幻滅されたのだ。
「顔が思っていたよりも不細工だったから」。
 美しい顔を見慣れている彼女からしたら、一緒にいるのも嫌悪感を催すレベルだったのだろう。私はひどく傷ついて、それでも帰るわけにも行かず、気付いていない振りをしてへらへらと笑い続けた。

 こんな事を言っていると、容姿なんて努力次第でどうにでもなるんだから、結局努力が足りないんだ、と言われてしまうのかもしれない。輪郭がブスならお金を貯めて整形すればいい。肌質が悪いならデパコスで化粧すればいい。毎月美容院に行き、ダイエットをして、歯列矯正をして、流行りの服を着ていれば、誰だってまともに見られるようになるよ、と。

 逆だよ、と私は思う。

 そこまでしなければなれない「美人」の基準が異常すぎるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?