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障害、ジェンダー、私①
ずっと前、満員の地下鉄の中で、隣に立っていたスーツ姿の男に「お前、俺の足を踏んだだろう。謝れ!」と言いがかりを付けられ、次の駅で降りるまで肩を小突かれ続けたことがある。男は大声で喚いていたが、周りの乗客はみんな見て見ぬ振りをしていた。
次の駅でドアが開いた瞬間、私は男に突き飛ばされ、つんのめりながらホームに吐き出された。
「おい、謝れよ!」
私の目の前に立ちふさがった男は、更にそう要求してきた。身に覚えのないことだったけれど、私はすっかり気圧されて、すいません、と言ってしまった。男は舌打ちをして立ち去って行ったが、しばらく時間が経つと、なぜ私が謝らなければならなかったのか、むしょうに悔しくなってきた。
「昔から、電車や駅で嫌な目に遭いやすいんです。きっと、私が発達障害で、挙動不審なせいだと思うんですけど。だって、普通の人はこんな目に遭わないじゃないですか」
それから何年かして、発達障害者支援センターに通うようになった私は、その時を思い出しながら相談員のMさんにこんなふうに話していた。
私はその頃、自分に発達障害があることがわかったばかりで、過去に起こった嫌なことはすべて自分がおかしいせいだったんだと思うようになっていた。
他人に絡まれたり、舌打ちをされたりして、その度に萎縮しなければならなかったのも、私が発達障害で、人と違っていたり、周囲を不快にさせているせいなんだと。
Mさんは既婚の女性で、飾らない雰囲気で感じのいい、きれいな人だった。私が話している最中、メモを取りながら聞いていた彼女は、途中でふと手を留めて、しっかりと私の顔を見て言った。
「それは違いますよ」
しっかりと意志のこもった口調だった。
「それは絶対に違います」
もう一度同じ言葉を繰り返してから、彼女は私に言い聞かせるように話してくれた。
「だって、電車で変な人に絡まれたりすること、私だってしょっちゅうありますもん。舌打ちされたり、ぶつかられたりして、くそーって。何度もあります」
私と違ってまっとうな常識人のMさんにもそんなことがあるなんて、私には想像もできなかった。だけれど、その表情はとても真剣で、単に私をなだめるために言っているだけとはとても思えなかった。
「だからね、自分が悪いなんて思わなくていいんですよ」
Mさんとそんな話をしてしばらく経ってから、私はいろんな本を読んだり、ニュースを目にしたりする中で、自分が遭ってきた「嫌な目」の一部と、Mさんが遭ってきた「嫌な目」とは、確かに同じものだったのかもしれないと言うことに思い至り始めた。
独身と既婚、障害者と健常者、不美人と美人、などなど、Mさんと私の間には多くの違いがあるけれど、共通点もあって、それは、Mさんも私も同じ女性であることだった。
たとえば、私が2メートルの屈強な大男だったら、あのサラリーマンは私を小突いてきただろうか。通りすがりに舌打ちされたり、容姿を揶揄されたりしただろうか。その手の連中のターゲットになるのは、決まって女性なんだ。
たとえ発達障害でなくても、女性であると言うだけで、私たちは「嫌な目」に遭うことがある。
それがわかったとき、それまでもやもやとしていた違和感が、ようやくすっきりと晴れた気がした。
たとえ障害があったからって、私は私を卑下しなくていい。やっぱりあの時怒って良かったんだ、怒るべきだったんだと、ようやく思うことができたのだった。
通りすがる男性に何をされても対抗する腕力を持たず、さまざまなステレオタイプを押し付けられてきた女性であると言う点で、私は「みんなと同じ」で「普通」なのだ。
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