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美術館に行ってきました

東京国立博物館と国立西洋美術館に行ってきました。
東京国立博物館は日本の伝統美術の展示で、国立西洋美術館はその名の通り西洋の洋画を中心とした展示でした。

東京国立博物館

仏像や屏風をはじめとした、日本の伝統美術全般を見てきました。
能面の展示がありました。実物を間近で見たの初めてです。
能面は奇妙な雰囲気が漂っているなと感じました。
怖さがじわじわくるというか。
「うわキモ」というよりかは独特な不気味さがいつもこちらを見ている感じ。
個人的には好きです。静かなる怖れの震撼は癖になります。
お面の左右対称が恐ろしいほど徹底されていて、やはり人間はシンメトリーなものを美しいと感じるので、完全に怖くて気持ち悪いとは感じないのかなと思いました。

私が怖いもの見たさ中毒なのかもしれません。

仏像の展示でも、手や顔がたくさん生えている仏像のほうに目が行きます。
千手観音菩薩坐像でした。
異次元すぎて見ていて面白かったです。
現実では異常すぎてありえない、表せないものを形にするのも表現だよなあと感じました。仏像はとても素敵でした。

最後に刀剣の展示を見てきました。
写真を撮っている人がたくさんいました。
どうしてこんなに刀剣はかっこいいのでしょう。
その辺の包丁やナイフとは全く別物です。何が違うのでしょうか。
私は刀剣が単に人を斬るためにつくられたものではないからだと思います。
当時の文化や季節、使用する人の威厳などを象徴する意味もあると考えます。
刀剣の形のイメージは同じように感じられますが、よおおく一つ一つ見てみると反りの深さであったり、刃紋だったりに個性がありました。
遠くから見るとそういえば印象違うなと感じました。
刀剣には名称と作り手が存在します。
絵画と同じようにタイトルと作者があります。
一般向けの大量生産のためにつくられたものではありません。
人が唯一無二のものを作ろうとして生み出されたものではないでしょうか。
包丁との違いは作者がいて、名称があって、表現したいものがあることだと思います。それは武器というより作品と言えるでしょう。

日本の伝統芸術にはシンパシーをよく感じました。
昔とはいえ同じ日本人が描いたり作ったりしていたと考えると、いとをかしだと思います。
「穆穆(ぼくぼく)としている」という言葉があります。
和らぎがあり美しい様。慎ましく威厳がある様を表す言葉です。
日本の伝統芸術がそんな感じだと思いました。
質素でありながら奥ゆかしい感じ。
謙虚でありながら狂気の片鱗を見せてくるあたり。
これは日本人DNAだなと思いました。
行ってよかったです。


国立西洋美術館

キュビズム展と常設展を見てきました。

キュビズムは20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって生み出されました。
西洋絵画の伝統的な技法であった遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みです。
正直に言うと、強烈でした。
世間が言う「美しい」に猛烈に反抗している感じでした。
絵を描くこととは、「美しいものを美しく描く」、「醜いものを美しく描く」
または「そのまま描く」ことなのだろうかと最近考えていました。
ですがキュビズムを見て、頭を殴られた気分がしました。
「美」の定義の根底を揺るがすような表現。まさに革命。
ピカソとブラックは世界をどのように見ていたのか気になりました。
キュビズムの絵はタイトルを見て「ああなるほど」となるものが多かったです。
不思議な世界観と創造的破壊による主張は強烈でした。
なんか「この絵をどう考えますか」と訴えてくる感じでした。

常設展ではずっと見ていられる絵を見つけました。
100個に1個くらいの確率であるんです。目が釘付けになる絵が。
ギュスターヴ・ドレの「ラ・シエスタ スペインの思い出」です。

この絵の前では動けなくなります。
近くにベンチがあったので、そこに座って10分以上見ていました。

形容しがたい魅力!言葉では物足りないこの絵でしか伝わらない表現!

しかし、頑張って私の感じたことを文字にしたいと思います。
人物の配置、丁寧な線と彩色からその場の空気感がじっくりと伝わる絵でした。
中央の2人の子供に光が当たっていて明暗差がつけられています。
スペインのオリエンタルな雰囲気が漂う、渥いのある魅力と言いましょうか。
甘いようで辛いような味がする。
そして画面のどこを切り取っても何か情報がある。
画面に目を何周走らせても飽きない魅力。
すごいなあ。


今日の収穫は大きかったです。
来場客もそこそこで、リラックスして見れました。
美術館・博物館が好きな方、ぜひ行ってください。

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