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第四章 ウクライナの民族問題について一言

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap4.html
初出:Dyelo Truda(労働者の大義)、第19号、1928年12月

1917年の革命で帝政専制政治が廃絶された後、それまでロシア国家の暴力的軛の下で服従していた民族の間に新しく自由な関係が生じる可能性が労働者世界の地平に現れた。完全な民族自決--ロシア国家との完全決別を含むほどの--という概念がこうした民族の間で自然に生まれた。ウクライナ住民の間に様々な信条を持つグループが何十も出現した。それぞれが独自の見解を持ち、独自の党派的利益に従って民族自決の理念を解釈した。ただ、全体として見れば、ウクライナの勤労大衆はこうしたグループに同調せず、参加しなかった。

それから7年以上が過ぎた。民族自決概念に関するウクライナ勤労者の方針は発展し、その理解は拡大した。今や、彼等はこの概念に同意し、自身のライフスタイルで頻繁に誇示するようになった。例えば、革命前にタブーとされていた自身の言語を使用する権利・自身の文化に対する権利を主張した。また、独自の生活様式と特有の習慣に従って生活する権利も主張した。独立したウクライナ国家を建設しようと、ある種の国家主義紳士連中は、ウクライナの自然な姿全てを我が物にしたいと心底思っている。一方、ボルシェヴィキは、全権があっても、これに対して戦う力はない。しかし、こうした国家主義紳士連中は幅広い勤労大衆を掌握できていないようで、ましてや抑圧的なボルシェヴィキ党に闘争を仕掛けられるほどの大衆動員もできそうにない。ウクライナ勤労者は、その健全な本能とボルシェヴィキの軛の下での悲惨な生活によって、国家全般の危険性を記憶している。だからこそ彼等は排外主義傾向を遠ざけ、自身の社会的大志と混同せず、むしろ独自の解放の途を模索しているのである。

全てのウクライナ革命家、特にリバータリアン共産主義者が今後ウクライナ勤労者の中で一貫して活動しようとするなら、ここにこそ重要な思考の糧がある。

ただ、この国の現実は大きく変わっており、1918年から1920年と同じ方針では活動できない。当時、ウクライナ労働者は、あらゆるブルジョア傭兵--デニーキン・ペトリューラ・ヴーランゲリ--を崩壊させる上で重要な役割を担った。しかし、彼等は、革命の最果てでボルシェヴィキに屈辱的なまでに裏切られ、搾取されるなど夢にも思っていなかった。

これらは、私達が帝政秩序の復興に対して戦った時期だった。当時、この闘争に参加すべく姿を現した「飛び入り」全員を綿密に調べ審査する時間などなかった。革命に対する信念のため、こうした「飛び入り」の気質に疑念を持てず、彼等に対して湧き起こる疑問「彼等を友人として見なすべきか、それとも敵として見なすべきか?」を考えられなくなっていた。当時、勤労者は反革命に対抗して行動しており、彼等が気に掛けていたのは、革命を防衛すべく恐れを知らず死に立ち向かっていた最前線の仲間だけだったのである。

その後、ウクライナ勤労者の心理は大きく変わった。彼等には自分達の大義に対するこうした「飛び入り」について充分過ぎるほど精通する時間があり、それ以降、革命で勝ち取ったこと--少なくとも、その名残--をもっと批判的に見なすようになった。勤労者はこうした「飛び入り」の背後に完全な敵を認めている。たとえ彼等がウクライナ化し、社会主義の旗を振ろうとも、現実には、労働の搾取を増やすやり方で活動しているのを目にしているからだ。勤労者ははっきりと念頭に置いている。こうした社会主義者・貪欲な搾取者のカーストこそが、自分達の革命的利益全てを奪ったのだ。つまり、彼等に言わせれば、ボルシェヴィキの巧妙な誤魔化し全ての背後には独墺による占領と似たものが隠されているのである。

この偽装占領は「飛び入り」に対する一種の排外主義的反発を大衆に引き起こしている。ボルシェヴィキ紳士連中は、ただモスクワからウクライナを統治しているのではなく、ウクライナ人の手先の背後に隠れて統治している。ウクライナ大衆の中で憎悪が大きくなっているがゆえに、この方針を採っているのである。ウクライナ勤労者は、ボルシェヴィキ独裁の本質そのもののために、独裁を転覆する方法・真に自由な新社会に向けて前進する方法を模索している。ボルシェヴィキも成功に安住しているわけではなく、あらゆる犠牲を払ってでもウクライナの現実に順応しようとしている。1923年、彼等は迷える羊のようになった。それ以来、彼等は戦術を修正し、直ちにウクライナの現実を把握しようとしている。さらに、彼等は直ちにボルシェヴィズムの運命を民族主義の運命と結び付け、それに従って「ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法」に特定条項を付け加え、ソ連を構成するあらゆる民族に十全な民族自決権を、実際、分離独立権を与えた。もちろん、全て単なる見せかけだ。ボルシェヴィキのこのような態度はどのように発展するのだろうか?今後数年間が示してくれるだろう。ウクライナの現実に対するアナキストのアプローチはこうした新しい要因--民族主義的ボルシェヴィズムの「飛び入り」に対するウクライナの勤労者の憎悪--にしかるべき注意を払わねばならない。私達の見積もりでは、今日、アナキストの主要課題は、あらゆる悪の根元は、「飛び入り」の権威ではなく、全ての権威一般だと大衆に説明することである。ここ数年が、この主張に大きな重みを与えてくれるだろう。ウクライナでは、ありとあらゆる権威が次々に現れているが、結局のところどれもサヤの中の豆のように区別が付かないからだ。私達は、「飛び入り」の国家権力と「独立」国家権力は結局ほぼ同じであり、勤労者はどちらからも何も得られないと示さねばならない。勤労者は別なところに注意を向けねばならない。つまり、国家機構の巣窟を破壊し、社会的・経済的自治を行う労農機関で置き換えるのである。

いずれにせよ、民族問題を提起する際に、ウクライナの最新動向を見過ごしてはならない。今やウクライナ語が話され、新しい民族主義傾向のおかげで、余所者であっても大半が地元の言葉を話している。これは、私達の心の中に留め続けねばならない民族的事柄である。だがその一方で、現在まで、ウクライナ農民のごく少数しかアナキストに耳を傾けてくれなかった。アナキストがとりわけ町に集中し、しかもウクライナの田舎の国語を使わなかったからだ。

ウクライナの生活はあらゆる可能性でいっぱいだ。特に、大衆革命運動の可能性を秘めている。アナキストは、この運動に影響を与える、実際、その助言者になる最高の機会を手にしている。それには、現実生活の多様性を正しく理解し、勤労者に敵対する勢力(潜伏しているかもしれない)に対して、ひたむきで直接的で公然の闘争を開始する立場を支持しなければならない。この任務を達成するには、大規模で強力なウクライナ人アナキスト組織が必要である。ウクライナのアナキストはこのことを真面目に考え、今すぐ実行しなければならない。

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