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第五章 万国のユダヤ人へ

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap5.html
初出:Dyelo Truda(労働者の大義)、第23号~24号、1927年4月~5月、8~10ページ

ユダヤ人市民諸君!フランスのリバータリアン新聞『ル゠リベルテール』に寄稿した最初の「ユダヤ人に訴う」で、私は一般のユダヤ人に問うた。一般のユダヤ人というのは、ヤノフスキーのような「アナキスト」だけでなく、ブルジョアも社会主義者も含め、私をユダヤ人に対するポグロム実行者と述べ、私が指導していたウクライナ農民・労働者のリバータリアン運動を反ユダヤとレッテル貼りした全ての人だ。無意味な無駄口を叩く代わりに具体的な事実を詳しく教えてほしい。いつ、どこで、私や前述の運動がそのような行為を犯したというのだ?

私は期待していた。一般のユダヤ人は、ウクライナでユダヤ人大量虐殺を行った悪党どもについて真相を文明世界に暴こうと熱望する人々のように、私の「訴え」に答えてくれるだろう。あるいは実際に、私とマフノ叛乱運動に関わる恥ずべき逸話を、かなり信頼できるデータ(私もそこに含まれているのだから)に基づかせ、世論に売り込もうとしてくれるだろう。

これまでのところ、ユダヤ人がそのような証拠を提出したとは聞いていない。これまで、私と私が率いた叛乱運動に関して報道機関一般(ある種のユダヤ人アナキスト機関誌も含む)に掲載されたのは、最も恥知らずな嘘の産物、ある種の政治的異端者とその傭人が持つ俗悪さの産物だけである。さらに言えば、ユダヤ人労働者で構成される革命的戦闘部隊は叛乱運動で極めて重要な役割を果たしていたのだ。私は中傷家の卑劣さなど歯牙にもかけていない。その存在そのものを常に一蹴しているからだ。ジョセフ゠ケッセルによる『マフノとそのユダヤ女』と題した茶番小説について私が一言も述べていない点に気づくなら、ユダヤ人市民諸君もはっきり分かるだろう。この小説は、私自身ならびに私が組織的にも理論的にも関係した運動に関するデマに基づいている。この茶番は、その核心で、ボルシェヴィキに媚び諂うおべっか使い、ゲラシメンコ大佐(最近、ボルシェヴィキ軍事組織のためにスパイ行為をしたとしてチェコの裁判所で有罪判決を受けた)の文章を引用している。

この小説は、アルバトフというブルジョア記者の記事も基にしている。彼は「小人芸人」の一団に対するあらゆる暴力を恥ずかしげもなく私のせいにする。無論、最初から最後まで作り話だ。

全くの虚偽で埋め尽くされた小説の中で、ケッセルは本当に悍ましい観点で私を描こうとする。少なくとも、ゲラシメンコとアルバトフから借用した一節では、出典を示すべきだ!この小説で主たる役割を果たしているのがこの誤謬だが、出典に整合性がない以上、私にできる反応は沈黙しかなかった。

私は、様々なユダヤ人協会が発する中傷について全く異なる見解を持っている。ユダヤ人協会は同宗信徒に対し、自分達はウクライナのユダヤ人住民に対して行われた極度に卑劣な不当行為を入念に調べてその加害者を非難しようとしている、という印象を植え付けたがっている。

少しばかり前に、ユダヤ人協会の一つ(なお、ここの本部はボルシェヴィキ王国にある)が本を出版した。写真入りの本で、ウクライナとベラルーシでユダヤ系住民に行われた残虐行為を書いている。この本の基になった資料を集めたのは「同志」オストロフスキーだが、明らかに出所はボルシェヴィキである。この「歴史的」文書には、ボルシェヴィキご自慢の第一赤軍騎兵隊が、1920年5月にコーカサス山脈を出発して途中でウクライナを通った時に行った反ユダヤ人ポグロムには全く触れていない。逆に、この同じ文書は確かに数多くのポグロムについて述べ、それと共にマフノ叛乱兵の写真を載せている。ただ、写真では叛乱兵がそこで何をしているのかはっきりせず、実際のところ、マフノ叛乱軍でさえない。髑髏が描かれた黒旗を背景に「活動中のマフノ叛乱軍」と称している写真があるだけだ。この写真はポグロムとは何の関係もなく、とりわけマフノ叛乱軍は全く写っていないのである。

私自身とマフノ叛乱軍を標的にしたもっと重大な虚偽は、アレクサンドロフスクの街路を示した写真である。これは、1919年夏にマフノ叛乱軍によるポグロム後に荒廃した状態だという。出版に責任あるユダヤ人協会がこんな粗雑な嘘を付くなど許しがたい。ウクライナでは誰もが知っている。当該時点で、マフノ叛乱軍はこの地方から遙か遠くにいた。ウクライナ西部に後退していたのだ。実際に、アレクサンドロフスクは、1919年2月から6月はボルシェヴィキ統治下にあり、秋になるまでにデニーキンの手中に落ちていた。

ボルシェヴィキに傾倒したユダヤ人協会は、こうした文書を使って私とマフノ叛乱運動に甚大な被害を与えている。反ユダヤ人ポグロムの罪で(スポンサーのために)私達を審問しようと証拠文書を探したが見つからず、露骨な証拠捏造に手を染めた。こんな証拠など私とも叛乱運動とも何の関係もない。この卑劣なやり口がさらにはっきりするのは、一枚の複製写真である。「マフノ、『平和を好む』市民」と示しているが、実際、私の見知らぬ人物なのだ。

こうした全てのことから、私は国際ユダヤ人コミュニティに自ら語り掛け、ボルシェヴィキ支配下にある幾つかのユダヤ人協会の卑劣さと嘘に目を向けてもらわねばならないと思った。これらの協会は私個人と私が率いた叛乱運動に反ユダヤ人ポグロムの罪を着せている。ユダヤ人の国際世論はこうした悪名高き主張の中身を綿密に調査しなければならない。このようなナンセンスの吹聴は、ウクライナのユダヤ系住民が耐え忍んできたことの真相を万人の目に明らかにする最善の方法ではない。こうした嘘は歴史を完全に誤認させるだけだ。この事実を忘れてはならない。

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