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第十二章 5月1日:勤労者の生活と闘争における新時代の象徴

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap12.html
初出:Dyelo Truda(労働者の大義)、第36号、1928年、2~3ページ

社会主義の世界では、5月1日は労働者の祝日とされている。これは誤った記述だが、勤労者の生活に深く浸透しているため、多くの国々で実際にこの日はそのように祝われている。実際には、5月1日は勤労者の祝日などではない。違うのだ。労働者はこの日、作業場や田野にいてはならない。この日、全世界の勤労者は、それぞれの村落や町に集まり、大衆集会を開催しなければならない。この日を国家社会主義者、特にボルシェヴィキが思っているように記念するためではなく、むしろ、彼等の強度を評価し、暴力と虚偽に根ざす腐敗した卑怯な奴隷所有秩序に対する直接的武装闘争の可能性を見極める日にするためである。既に暦の一部になっているこの歴史的な日は、全ての勤労者が集まりやすく、現在と未来の本質的事柄に関わる万事を共同で議論するだけでなく、自分達の集団的意志を表明するのにも好都合である。

40年以上前、シカゴとその近隣の米国人労働者達が5月1日に集会を開催した。集会で彼等は多くの社会主義弁士の演説を聞いた。特に、アナキスト弁士に耳を傾けた。と言うのも、労働者達はリバータリアン思想を貪欲に吸収し、公然とアナキストの側に立っていたからである。

この日、こうした米国人労働者達は、組織を作り、有産者の国家と資本による非道な秩序に抗議を表明しようとした。これは、スパイズやパーソンズといった米国人リバータリアン達が話していたことだった。この時点で、この抗議集会は資本の手先による挑発で中断され、非武装の労働者達の虐殺、それに続くスパイズとパーソンズ等同志達の逮捕・殺害で幕を閉じた。

シカゴとその地域の労働者達は、メーデーの祝日を祝うために集まったのではない。自分達の生活と闘争の諸問題を共同で解決するために集まったのである。

今日も、勤労者がブルジョア階級とそれに繋がる社会民主主義(メンシェヴィキだろうがボルシェヴィキだろうが、違いはない)の指導から解放された場所ならばどこでも、もしくは解放されようとしている場所であっても、勤労者は5月1日を、自分達の問題に関心を持ち、自分達の解放という問題を考えるために集まる機会だと見なしている。こうした大志を通じて彼等はシカゴの殉教者の記憶に連帯と敬意を表明する。だから、彼等は、5月1日は自分達の祝日ではあり得ないと思っているのだ。「プロの社会主義者」はこの日を労働者の祭典と描く傾向があるが、この主張とは裏腹に、意識的労働者にとって5月1日はそのような類のものではない。

5月1日は勤労者の生活と闘争における新たな時代の象徴である。この時代、勤労者は毎年、ブルジョア階級に対して新しく一層厳しい断固たる戦いを行う。自分達からもぎ取られた自由と主体性のために、自分達の社会理想のために。

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