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リベラルの和解など認めない

原文:https://freedomnews.org.uk/2024/07/17/rejecting-liberal-reconciliation/
原文掲載日:2024年7月17日
著者:ジェームズ゠ホートン

トランプ銃撃事件後に政治的暴力を徹底的に非難するなど、政治秩序の暴力的基盤を無視しているだけだ。

米国のドナルド゠トランプ前大統領(おそらく将来の大統領)の暗殺未遂事件後、西側の政治言論でリベラル派と名目上の社会民主主義者が、穏健とされる中道路線へシフトしている。米国民主党の上院議員・院内労働党の閣僚・左派の著名なジャーナリストや活動家達は皆、この政治的暴力行為だけでなく、政治的暴力行為全てを一絡げに非難するようになった。これは偽善であり、西側諸国の行為に関する歴史的真実を覆い隠すのに役立つ。米帝事業による暴力・その前身である欧州帝国主義の暴力・今年ペンシルベニア州だけで起きた19の大量殺人犯の暴力すらも、新自由主義者と表面的左翼主義者にとっては、ネオファシスト大統領候補が負った耳のかすり傷程も重要ではないようだ。

米国における標的暗殺には長い歴史がある。主な原因は、米国市民の間で銃規制が緩く、その文化的影響が根深いこと、それと同時に、組織化された集団的抵抗が米国で弾圧されていたことにある。大統領暗殺であれ、著名な知事や活動家の暗殺であれ、単独犯の殺し屋(米国人の生活で問題視されるほどロマンチックなイメージを持つ)はなおも際立つ存在で、頻繁に現れている。この政治的現象が起こると、政治的階級の成員はほぼ口を揃えてそれを非難する。しかし、その場合、その後の言説は奇妙な風味を帯びる。社会政治の中心にいるこうした人物が大抵喧伝する奇妙なフレーズは「政治に暴力の居場所はない」というものだ。しかし、このフレーズは、これまで存在した公共圏の正確な描写とは程遠い。政治生活のあらゆる面で、何らかの暴力が支配的地位を占めている。何もない振りを装うなど、薄っぺらな悪意に突き動かされた嘘か、計り知れない結果をもたらす失策のどちらかである。

大部分の理論家と研究者が理解しているように、政治権力の定義は、強いられなければ行わないことを人に行わせる力量・能力である。国家の場合、この能力は常に暴力に支えられている。これは、日常生活の暴力・大災害時の暴力・勝利の時の暴力を意味する。政治権力はあらゆる政治活動の暴力に転化する。説得という出来事は例外だが、政界の残酷な意識の中で、社会における真の権力のほんの一部に過ぎない。

では、この露骨な偽善はペンシルベニア州バトラーの銃撃にまつわる言説ではどのように現れているのだろうか?世界中で恐るべき規模の暴力が行われているとするイデオロギーを支持しているにも関わらず、リベラル派と保守派は一緒になって、この特定の空間で、この特定の暴力を非難している。彼等は、自国の資金で自国の兵士が外国で行ったジェノサイド・大虐殺・暗殺を、単なる「対外的」もしくは「外国人」問題だと見なす。グローバルサウスにおける新植民地主義暴力を最小限に評価し、矮小化する一方で、今回の事件を欧米民主主義の伝統に対する甚だしい汚点だとするのである。

思考し感情を持つ人は皆、何らかの政治的暴力を受け入れている。どの暴力を許容するか、いつ許容するかの選択が、その人の政治的意見を決定する。ほぼ全ての人が投獄の脅しを使った税金徴収を受け入れ、多くの人は罰金や懲役という脅しによる国家の些細な法律すらも受け入れている。同じぐらい多くの人が、自分達の消費と生存の資金源である階級戦争と気候変動の慣行を受け入れている。西洋の経済的活力に酸素を供給している植民地主義と帝国主義を前にして、依然として多くの人が悦に入っている。これら全ては積極的にも消極的にも多くの政治家に受け入れられている。しかし、このたった一つの行為が広範な非難を招いている。中央の矛盾は、理解も合理化もできない。この階級の間に恐怖の意識が生じているのではないかとさえ思う。彼等の多くは、大衆が、自分達をトランプと取り巻き政治家達と同じだと見なしていると気付いている。

こうした行為は、特に、露骨で破廉恥な偽善の臭いがプンプンする。標的となった男は、多くの人から、米国民主主義制度に対する脅威だと広く見なされているからだ。彼がこの強力な政府の行政府に初出馬した時のキャンペーンは論争で、それも暴力的論争で満ちていた。二度目の選挙で落選すると、反乱を企て、彼のドジな命令で即席民兵が議事堂に侵入し、エイブラハム゠リンカーンがかつてパトロールした廊下で血の匂いを嗅ぎまわった。そして、彼は、南部国境の移民を投獄する一方で、外国の暴力的政権に資金を提供し続けた。これが政治に対する彼のネオファシスト手法の実績である。生き延びた男は心底暴力的で権威主義的だった。反対派の抗議者が自動車で轢殺されたシャーロッツビルの暴徒を容認した。彼は、自身の政治において特に質の悪い暴力を許容し、奨励し、楽しんでいた。政敵の選挙遊説中にこれが起こったとしても、同じレベルの優しさは示さないだろう。ドナルド゠ジョン゠トランプは脅威的現象である。まともな対立候補がいないためにさらに脅威的な存在になっている。暗殺未遂犯から受けた彼の被害者意識など、彼の殺人的行為の被害者達に比べれば、何の正当性もなく、非難する価値もない。

この指摘は全て、あの右翼銃撃犯がとった行動を正当化したり、支持したりしているのだろうか?否。そうではなく、この指摘は、政治的暴力に関して西側諸国の政治的お喋り階級に一定水準の倫理的一貫性を求めている。元米国大統領のニアミスに震える程の憤りを感じて立ち上がれるのなら、ガザについてまともな発言をすべきだ。コンゴ民主共和国について、スーダンについて、イエメンについて、そしてこれがペンシルバニア州で今年起きた19番目の銃撃事件だという事実について、何か言うべきだ。米国政治に極右を復活させた男を甘やかしながら、ラファの瓦礫の下に閉じ込められた人々や、その歴史的米国国家の墓地に埋められている人々のために泣くことを拒否するなど、恥を知れ。


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