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現代メディアへの警鐘「お前はただの現在にすぎない・テレビになにが可能か?」

「お前はただの現在にすぎない・テレビになにが可能か?」萩元晴彦・村木良彦・今野勉著・田畑書店1969年3月発行

昭和の古い本である。今もメディアの評判は良くない。昔、テレビが袋叩きされた事件があった。その事件とは1968年「TBS人事闘争」である。本書はその当事者たちが著した本である。

著者は、TBSテレビのデレクター・音楽プロデューサーの秋元晴彦(1930年生)、TBS報道プロデューサーの村木良彦(1935年生)、脚本家、演出家・今野勉(1936年生)の3人である。

秋元は2001年に71歳、村木は2008年に72歳で死去した。現在、生存は今野(85歳)だけである。

秋元は「遠くへ行きたい」を制作した。今野は「七人の刑事」の脚本、演出家、2017年「宮沢賢治の真実・修羅を生きた詩人」の著書でも有名である。

「TBS人事闘争事件」とは、成田事件を契機に、田英夫ニュースキャスター辞任、萩元・今野デレクターの懲罰人事異動、成田事件の懲罰処分が発生。同時に生じた政府の偏向報道批判、TBSの自主規制に対する報道局労働者の処分撤回闘争を言う。

「成田事件」とは、1968年3月10日、TBS成田闘争ドキュメンタリー番組制作の取材陣が当日集会参加の三里塚婦人行動隊7名、反戦委員会カメラマンの青年3名をマイクロバスに同乗させた事件である。機動隊検問で婦人行動隊が所持したプラカードが角材凶器と見なされ、TBS取材班の報道の中立性が問われた。

この事件は自民党の自由新報、郵政大臣だけでなく、TBS以外の報道各社からも報道の公平性を問われ、非難された。革命的左翼からは社民的報道の自由、共産党からはトロキストと批判された。

これに対し、TBS報道部労働者は「報道の自由とは何か?」「テレビに何ができるか?」「放送労働者とは何か?」を世に問い、処分撤回闘争を展開した。

その後、TBS放送労働者は三つの派に分かれる。反動化反対の組合派、不偏不党のニュース派、表現中心の制作派である。そしてTBS闘争は混乱、混迷化した。

1969年結果的に、秋元、村木、今野ら25人がTBSを退社して、独立テレビ制作会社「テレビマンユニオン」を創立する。運動は終結した。

1968年成田三里塚闘争、仏5月革命から日大闘争、新宿騒事件、1989年1月の東大安田講堂事件までの激動の時代における報道の在り方、テレビの本質を問う。

その中でも日大法学部4年生・大川正行の言葉が印象的である。

「日大生には変な政治的戦術、知識は一切ない。ナイーブに運動を展開するからラジカルになる。それが激烈なエネルギーを作り出している」と。

「お前はただの現在にすぎない」の意味は、テレビの同時性・即時性に対して、権力からの否定的非難の意味であると言う。

政治的に再編して歴史を創るのが権力ならば、現在をそのまま、あるがまま提示するテレビの存在は許しがたく、拒絶される。

「テレビに何が可能か?」の答えに「テレビに本質はない」と言う。これは実存主義的な考え方だ。

テレビにあるのは「時間、現在、ドキュメンタリー、対面、参加であり、非芸術、反権力である」と言う。

さらに「テレビが堕落するのは、安定、公平などを自から求めるときだ」と断言する。

現在のメディアにも同じことが言えるだろう。そう言えば、最近のニュースで「伊藤詩織さん事件」の高裁判決が出た。相手男性の山口敬之も元TBS報道部記者である。

本の最期に次のような言葉が出てくる。

20世紀が始まったシベリアに20歳の革命的楽観論者が居た。19世紀はすべて彼を欺いた。憎しみと殺伐、血まみれの20世紀は彼に言う。

「降伏せよ!哀れな夢想者よ、お前の未来である私が来たのだ」

若者は答える。「お前はただの現在にすぎない」と・・・

その若者の名をトロツキーと言う。(永久革命の時代・トロツキー・アンソロジー、トロツキー著)

かなり昔の本だが、現在の状況においても私たちに考えさせられる内容だ。読み直しても良い本である。

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