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中国史トップの歴史学者「宮崎市定」

「宮崎市定全集Ⅰ中国史」宮崎市定著・岩波書店2000年5月発行

著者は1901年生~1995年没、師・内藤湖南の「唐宋変革論」を継承する京大教授で、有名な東洋史、中国史の歴史研究者である。

「唐宋変革」とは唐から宋への時代変革期を古代から中世への変化と主張する「歴研説」と中世から近世への変化と主張する「京大説」の中国史時代区分論争を言う。

宮崎は本書で言う。中国史は漢民族のナショナルヒストリーではない。中国史は遼、金、元、清などの征服王朝、異民族による侵略の歴史である。ある意味で、清王朝まで中国は外国との国境はなかった。

宮崎は、世界史の立場から中国史を研究する。そして地理的広がりと時間的広がりにも配慮しながら、個別歴史研究に取り組むことが大切であると言う。
宮崎の歴史観は、世界を西アジア、ヨーロッパ、東洋の三つの地域に分割し、世界史を同時代的に比較する時代区分論である。即ち古代、中世、近世、最近世の四つの時代に形式区分し、その時代内容を景気循環史観によって確定つける手法である。従って、宮崎の歴史分析は社会哲学的、歴史社会学的分析となる。

中国近世スタートの宋王朝は、二毛作での農業発達、絹織物、木版印刷、運河開通、朝貢貿易、宋銭による商品経済と都市社会が発展した。宮崎は宋王朝での中国ルネサンスが西洋ルネサンスに繋がったと言う。宋王朝は典型的な閉鎖的和平外交国家である。

南宋王朝の北方民族交渉、閉鎖的社会の形成、科挙による官僚体制は現在の習近平政権まで影響している。清王朝は女真族による漢民族侵略政権である。中華民国成立で最近世となり、その後の習近平政権はその意味で中華皇帝政権を目指していると言える。


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