浅間山荘事件から50年 「2022年の連合赤軍」
「2022年の連合赤軍・50年後に語られたそれぞれの真実」深笛義也著・清談社2022年2月発行
著者は1959年生まれ、ブント戦旗派に所属、10代後半から20代後半まで、成田空港反対闘争のため現地に居住、支援する。
セクトの独善性に嫌気が差し決別。週刊誌ライターとなる。「罠・埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人」の著書がある。
連合赤軍事件を人は狂気と呼ぶ。そうかもしれない。
現代日本の会社内でも、仕事の向上を要求され、サービス残業で体を酷使して能力の向上を求め、うつ病を発症し、最終的に自死を選ぶ人もいる。
著者は言う。残業で睡眠を奪うのは暴力である。それでも自己の成長を求められる構造は、連合赤軍と同じではないか?
革命家になりきれない人間は総括され、敗北死も已む得ないとの思考構造である。
連合赤軍は特殊な現象かもしれない。しかし、そこには日本人のあり方、生き方が凝縮されていないだろうか?と問う。
陽明学の大塩平八郎の反乱、知行一致を叫んだ国体論のテロリスト吉田松陰を思い出す。
本書は事件を単に振り返るだけでない。最後まで連合赤軍であり続けた植垣康博、吉野雅邦2名。途中で組織に疑問を持ち、浅間山荘事件直前に離脱した連合赤軍兵士2名が当時から現在までを語った記録である。
考え方、感じ方はそれぞれ違う。正反対の場合もある。どれが正しいとは言えない。
唯、殺された人がどんな人だったのか?そして生き残った彼らがその後、どう生きて来たのか?わかる本である。
本書を読むと、彼らが残虐冷酷な若者ではなく、普通の学生、普通の若者である。
ではなぜ、あのような暴走、狂気の結果となったのか?もう一度、捉え直す必要があるだろう。
ある人は言う。革マル派、中核派、民青系は「大人の政治」である。それに対し、それ以外の党派の政治運動は「子供の政治」である。言うならば、戦前の2.26事件・青年将校の行動と似た「子供の政治」に近いと言う。
そこにあるのは組織の未熟さ、思想の狂気、内的思考の深化と堂々巡りである。そのため悲惨な結果をもたらした。
それは「大人の政治」が優位であることを証明するものではない。
吉本隆明「共同幻想論」に次の文章がある。
「人間はしばしば自分の存在を圧殺するために、圧殺されると知りながら、どうすることもできない必然に促されて、様々な負担を作り出す。共同幻想もまたこの種の負担の一つである。
だから、人間にとって共同幻想は、個体の幻想とは逆立する。即ち個体とは対立する構造となる」と。
連合赤軍事件は、自己の成長のために過酷な労働を強制し、最後は死に至る現在の就業構造と似ている。問題は日本人がそのような思考、就業形態に対し、親和的な特性を持ち易いことにある。
歴史の事実を単に特殊なものとして見るのでなく、現代社会の構造と照らし合わせて考えることが必要であろう。それが歴史に学ぶことの一つであるかもしれない。
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