連作「出立の日のこと」

a 生きてると髪が伸びてこまるね

あなたにお会いする日の朝は大抵前髪を切る
理由は単純。すこしでも伸びていると顔が暗く見えてかわいくないから。ぎんいろの重たい鋏をひらいて 髪を差し込んで 目に切り落とした髪が入ってはいけないから、瞼をかるく閉じながら あなたの視界に映るんならいつでも一番かわいいわたしでいたい、ゆっくり切り落としていくとき、 わたしはいつも晴れた日のことを思っている
前髪を長くしていると、よく晴れた日 太陽の切れ端を捕まえることができる。伸びた前髪って、いつもは視界の邪魔になるだけなのだけれど 晴れた日には、視界のうえの方で金色に光る。太陽をすこしだけ攫って目の上で光らせてくれるの 見る世界にきらきらのフィルターがかかったように見えて、わたしはそれが大好きで
前髪は 長くしていると睫毛とぶつかる。髪にも睫毛にも神経は通っていないはずなのに、まばたきのたび、前髪の端と上げた睫毛が絡まって、どこかくすぐったくなる、わたしが瞼を閉じるのを引き留められているような感覚、よく晴れた日

きらきらの視界でまばたきを繰り返して
きらきらと
引き留められて、去る 引き留められて、

……

だから
出立の日 あなたは気づかないんだろうね。前髪切らずに会おうって思った自分にちょっと驚いた。
きらきらした視界 晴れていてよかった。その真ん中であなたが笑っている
睫毛と前髪がわたしを引き留めるように絡まる
目が壊れそうなくらいまぶしい
輝きがこぼれてしまいそう
繰り返し引き留められて
きらきらと
最後だ
最後だ。
あなたの世界から
これからわたし 完璧にいなくなる。

an 運命とかいう恣意的な

話せば話すほど
私とあなたは一対の存在として神様に造られたんじゃないかって思うの
あなたといると、私やあなたが負っている深い傷も
いつか手が触れたとき、すごく落ち着いた気持ちになって
運命だってすぐに気がつけるようにつけられたものなんじゃないか、って

ang わたしが大きいケーキだったとして

わたしが大きいケーキだったとして、いちばんクリームが厚く塗られていて、頭が痛くなるほど甘くて、宝石みたいないちごもたくさん載ってる、そういうところをあなたに切り分けて差し出したいの ひとつのケーキの中にあるその甘さの濃淡なんてあなたにはわからないんだろうし、そもそも甘いものはあんまり好きじゃないんだっけ……とかそういう話じゃなくって 食べ切ってくれなくてもよくて 食べてくれなくてもよくて ただわたしが わたしというケーキにつめたいナイフを いれて少しずつ自分をなくしていく人生のなか、わたしがわたしであることを支えているような、とびきり甘くてきれいなところをあなたに差し出したい、それをあなたが受けとって、嘘でもいいから微笑して「うれしい」って、言ってくださったんなら……どんなに嬉しかっただろう。


ange Ruban

 ルリがその潜水艦に乗り込む日のこと。ルリは最後に食べるものを苺がたくさん載ったパフェに決めて、その大きいパフェっていうのは当然カフェ〈Ruban|《リュバン》〉の、メニューの左下に写真が載ってるあのとびきりおいしいやつのことで、それでルリが、その最後のパフェを一緒に食べるってきめたのは、わたしだった。
「おまたせ」
 Rubanの前につくと、すでにルリが待っている。このあと直で港に向かう、って言ってたのに、ルリは手提げのバッグ一つしか持っていなかった。重たい扉を開けて店内に入ると、わたしたちの他にお客さんはいない。ふたりで窓際の席に座った。Rubanには小規模な中庭があって、かわいい陶器の置物だとかお花が設置されていてすてきなのだ、この席に座ると中庭が良くみえるから、学校終わりにくると大体埋まっていてこの席には座れないのだけれど、……この時間は空いているんだ。午前中に来たのは初めてだから、知らなかった。
 店員さんがメニューを二枚持ってきてくれる。ルリはそれを開きもしないで、
「わたしは苺のパフェにつめたいダージリン」
と言った。それから、
「あ、アカリはゆっくり決めていいからね」
と穏やかな声でわたしに告げたあと、目線だけで中庭を見つめている。
 メニューをひらく。……とはいってもRubanには何回も来ているから、ここに何があるかはもう大体覚えていた。〈季節のスイーツ〉のページを見てみると、今はさくらんぼのケーキがやっているみたい。
「季節のスイーツ、さくらんぼだけど。ルリいいの?」
わたしがそのページをルリに見せながら問いかけると、ルリは目をぎゅっと瞑って、
「いいの。今日はパフェにするって前から決めてたから。メニュー見たら限定のやつ食べたくなっちゃうから見ないんだ」
と笑いながら言った。
「そっか。パフェ好きだもんね」
「そう。多分もうここには来られないから、覚えてたいの」
「……じゃあわたしはさくらんぼのケーキにしようかな。一口あげるよ」
「いいの? ありがとう!」
 店員さんを呼んで、注文をする。紅茶が運ばれてくるまでの間、中庭に咲いている花の名前をルリが教えてくれた。
「春だから色々咲いててきれいだね。……あれ〈花かんざし〉って名前。かわいいよね」
「え、そんな名前なの」
「うん、わたしの家にも咲いてるんだ、お母さんが好きでね……」
 ルリはいつも通り明るく無邪気な様子である。わたしはどこか拍子抜けしたような心地だった。
……正直なところを言うと、今日ルリに会うのがすこし怖かった。今日が出立の日だということは知っていたから、誘われたとき、勿論嬉しかったけれど……うん、いま高校でいちばん仲の良い友達、ってなったらわたしなんだろうけれど、こんなに大切な日、たまにインスタに出てくる幼なじみの子とか、この間冬休みにあったって聞いた中学校の友達とか、家族とか、そういう人と過ごさなくっていいのかな、とも思わなかったわけではない。
そんな風に考えて緊張していたから、ルリの様子が普段通りだったことには安心した。だからかえって、ルリがこれから赴く海底の話を出すことはできなくて、わたしたちはいつも通り、友達のこととか、それぞれが好きなアイドルとか、この間のテストのことなんかを話していた。

 紅茶が運ばれてきたあと、すぐにパフェとケーキが運ばれてきた。
 Rubanはお皿やカトラリーがとてもかわいい。ルリが手に持ったパフェスプーンは白っぽい銀色をしていて、透き通った薄いピンクいろの宝石みたいな飾り……が細い持ち手の先についていて、ルリは色が白いから、似合う、って言うのはなんだか変だけれど、それはきれいな光景だった。
「いただきます」
 ふたりで言って、それぞれ食べ進める。……さくらんぼのケーキはちょっと甘すぎる。わたしはそもそも甘いものがそんなに好きではなくて、学校から近いしルリは甘いものが大好きだからここには何回も来ていたけれど、ルリがいなくなる、ってなったら、わたしももう来なくなるのかも、とぼんやり考えた。
「これ甘くてルリ好きそう。食べる?」
訊ねると、ルリは目を輝かせる。
「いいの? 食べる!」
お皿にフォークを添えてルリのほうに差し出す。ルリはケーキをひかえめに切り分けて食べると、綻ぶように笑った。
「すごくおいしい!」
その子どもっぽい言い方に笑ってしまう。
「わたしにはちょっと甘すぎるから、もっと食べていいよ。三口くらい食べな」
わたしがケーキを指さしながら言うと、えー、じゃあ遠慮なく、とにこにこしながらルリがさくらんぼのケーキを食べていく。太陽の方向が変わったのか、わたしたちが座っている席に陽が差し込んできていて、ブラインドもついているんだけれど、気にはならないから下げないでいた。姿勢良くケーキを食べ進めるルリの、手元や髪の窓側だけに陽があたっていて、それから紅茶の入ったグラスも陽にあたるとおおきな鉱物のように輝いて見えて、わたしは急にさみしい気持ちになってきてしまった。
「超おいしかった……ありがとう。わたしのパフェもあげるね」
ルリがわたしにケーキのお皿を返して、それからパフェスプーンで苺とアイスクリームをすくい取って、わたしに差し出してくる。
「いいよ、今日はルリが主役でしょ」
「わたしが分けたいだけ。食べて!」
ルリが笑いながらスプーンを傾けてくる。
ルリのその、どこかいたずらっぽい笑顔。髪を抑えながら顔を寄せて、スプーンを口に含んだ。ルリの顔には、これもやっぱり窓側のほうから陽があたっていて、わたしを真っ直ぐに見つめる目と、そこにかかった前髪がきらきらと光ってみえる。苺はとても甘かった。おいしい、とわたしが言うと、ルリは満足そうにわたしから目を逸らした。

Rubanから出て、港に向かう電車に乗った。ルリは白を基調とした、胸元に薄い青みどりいろのリボンがついているワンピースを着ている。わたしがそれに対して、かわいいけれどそんな格好で大丈夫なの、と聞いたら、そこから海底での生活の話になる。
「大丈夫。向こうに行ったら服が支給されるんだって。これは初夏に着ようと思って買ったんだけど、無理だろうから、どうせなら今日着ちゃおうかな、って」
「そっか。似合ってる、着てるとこ見られて良かった」
「ありがとう! アカリに見せたかったの」
「ほかのものも大体支給? 荷物少ないよね」
「うん。思い出のものとかを詰めてきたって感じかな。髪整えたりとか、メイクとか……も多分必要ないし、手元に置いておきたいものだけ持ってきた。アカリがこの間くれた手紙も持ってるよ。読み上げようか?」
「え、やめて!……そんな感じなんだね。わたしさ、今まで周りに招集かかったひといなくて、だから、……なんでルリが…………」
「……その話はこの間終わったでしょ! もういいの」
ルリは変わらず普段通りの様子である。海底行きになった、という話をわたしにしてくれた時からずっとそう。あえて気丈に振る舞っているという様子でもなくて、わたしばっかりがいつも不安になって、……

 深海における戦争が始まったのは一年前のことで、最初の事件……海底世界の人びとによる、わたしたち地上人への攻撃……が起こったのは日本ではなかったから、そのニュースを見ているときの、夢を見ているような感覚のことは今も覚えている。いいえむしろ、それから戦地が瞬く間に拡大して、日本においても日常が脅かされるようになって、初めは志願兵を募って、おおきな潜水艇にかれらを詰め込んで、海底の都市を徹底的に破壊するために、深海へ送っていく……という措置がとられていたのだけれど それだけでは足りなくなって、国は国民に招集をかけるようになった、ここまで近づいてきてもわたしは、まだ海底戦争に対して現実感が持てていなかった。ルリがわたしに「海底に行く」って伝えてきたときも、今日だって。深海にはもちろんスマホなんか持って行けないし、手紙のやりとりなんかも行われていないし、勿論……戦争に行って帰ってきた人はいないから、そこで何が行われているのかを知る方法はない。ルリに話を聞いてから、わたしは幾度も海底戦争の想像をした。日本の海はそんな姿してないと思うけれど……どうしても、童話や昔話に出てくるようなカラフルでうつくしい海底の世界、そこに船が近づいていって、爆弾やらなにやらで徹底的な破壊を行う。地上人は泳げないから無力だ、そこへ赴いてどのように戦うっていうんだろう。何か機械を操縦でもするのだろうか、それとも武器みたいものを携えて海底の人と戦うの?
わたしの想像は、いつも非現実的で美しいルリの死の光景にて終わる。
鮮やかな色をした海底の街に、その長い髪を靡かせながらルリが降り立って、半人半魚、みたいな姿をしたあの海底人に、水中だから銃なんて使わないだろう、なすすべもなくきれいな剣で身体を貫かれて、ルリは死ぬ。水中だからルリがそのとき泣いているのかなんて誰にもわからなくて、でもルリは泣いているのかもしれなくて、死体になったルリは波に攫われて、そのままどこにもいなくなってしまう。……

 駅に降り立つと、多くの人、たぶん、ルリと同じ潜水艦に乗って戦争に行く人とそれを見送る人……でいっぱいだった。駅から港への道を歩んでいくなかで、ルリが、人が多いから少し離れた堤防の方に行こうと提案して、わたしはそれに頷く。
「……あ、乗船が始まってる。名前が呼ばれるらしくって、そうしたら行かないといけないの」
ルリは海まできたっていうのに平然としている。だからわたしもなるべく普段通りにふるまう。
「いつ呼ばれるかってわかるの?」
「わかんない。だから集中して聞いてないと」
「じゃあわたしも注意して聞いておく。ルリ、話しかけても全然気付かないときあるから。心配」
「こんなときに聞き逃さないよ!」
ルリは笑いながら言う。
堤防に吹き付ける風は強いしつめたい。今日はよく晴れているから寒くはないけれど、すこし大きな声で話さないといけない。ルリは髪を下ろしていたから、その長い髪が風でめちゃくちゃなことになっていて、電車の中ではきれいな形を保っていた胸元のリボンも形が崩れかかっている。
「ルリ、リボンほどけそうだよ。結び直してあげる」
「うそ! ほんとだ、お願いします」
「髪巻き込んじゃいそうだからまとめてて」
「うん、そうする」
ルリが持っていた鞄を足元に置き、髪を後ろでまとめるようにして手に持ちこちらを向いたので、ルリに近づいて、その胸のリボンをいちど解いて結び直す。
 風が強くてうまく結び直すことができず、手間取っているとルリが笑ってくる。
「ねえ、大丈夫?」
「風が強くて駄目だ、ちょっと待ってね」
「いつもは制服のリボンも綺麗に直してくれるのに」
風に取られて繰り返しリボンが指から逃げる。艶のあるさらさらとした素材でできていて、余計に掴みにくい。
「さ、最悪! 呼ばれるまでに絶対結び直すから」
「あはは、アカリが焦るのって珍しい、頑張れ」
「笑うと結びにくいからじっとして!」
はあい、と返事をしたルリが、わざとらしく姿勢を正す。もう、と口にしながらなんとかリボンを結び直して、
「はい、……ごめん、結ぶ前より形ひどいかも」
とわたしが謝ると、ルリは笑いながら首を振る。
「確かに下手かも」
「うっ、がんばったのに」
「でもいいの、うれしいから」
そう言うと、ルリは頭の後ろでまとめていた髪を離す。変わらず吹いている風に髪がまた乱されて、わたしたちはリボンに苦戦するあまりすごく近づいてしまっていたから、ルリの髪が数束、わたしの顔にぶつかる。わたしはルリの髪の匂いに襲われる。
「痛っ、近い近い」
わたしが笑いながらルリの髪を払うと、ルリはどこか苦しそうな、そう、初めて苦しそうな微笑みを浮かべた。
それからルリは無言のまま、わたしの頭の後ろに腕を回すようにして、わたしにぐっと近づいて、わたしの唇に、触れるだけのキスをした。

「白瀬瑠璃さん!」
遠くからルリを呼ぶ声が聞こえる。
呆然としているわたしを放っておいて、ルリはわたしから離れて、足元に置いたままだったバッグを取り上げる。
「名前呼ばれちゃった。行かなくちゃ」
わたしは何を言ったら良いのかわからずに、
「待って、ルリ……」
と口ごもる。ルリはそのわたしの言葉を無視して、
「アカリ、今日、来てくれてありがとね。最後に良い思い出になった」
とまた気丈な笑顔に戻って言う。わたしは返すべき言葉が見つけられずに黙ったままだ、潜水艦の方向から繰り返しルリを呼ぶ声が聞こえる、
「ごめんね」
わたしは別に怒っていなかったけれど、いいよ、と言うのも違う気がして、ううん、と口の中で言いながら、ルリに対して首を振った。
「アカリ、あのね……ずっと言ってなかったけど、わたし招集されてないの」
「……え?」
ルリの子どもっぽい笑顔。
「志願したの。自分から。海底に行きます、って」
「え、……なんで」
「ね、アカリ、わたしのこと忘れないでね」
「白瀬さん! 白瀬瑠璃さんいらっしゃいますか!」
係の人がこちらの方まで歩いてきてそう問いかけるのに対して、ルリは「はあい!」と手を挙げながら声を返す。それから、
「それじゃ、元気でね」
と、まるで、歌でも歌うように軽やかな調子でわたしに告げて、くるりと振り返って、乗り場の方へ駆けていってしまった。
 わたしはその背を追いかけることができなかった。ただ段々と小さくなっていって、潜水艦に乗り込んでいくルリの姿を そうしてたくさんの人が乗り込んだ潜水艦が海底に沈んでいって、海がまた平らな姿に戻っていくまでを、呆然と見つめていることしかできなかった。

angelize すこしずつ透けて消えたら光をわたしと思ってくれる?

連作十首『angelize』

銀色のパフェスプーンを杖として魔女は苺であなたを呪う

会いたさの聖なる証:靴擦れをふつーにちょっと叱られている

大切にしすぎるということはある 傷んだ髪が光るのはなぜ?

湖のとおい真中へ行くためにあなたを泥舟から突き落とす

蝶々を殺めるように胸元に結んだリボンをなおしてくれた

春という涙と花のサーカスがまた麗らかに畳まれていく

わたしとの写真を消していく指が今と変わらず荒れていること

旋律は歌詞より長生きする記憶、だから別れは歌うみたいに

結局は愛されたくて目的と手段のかなしいかなしいワルツ

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