2023/9/30 上野にまだ、こんなところがあったのか

今日は起きたら10:30頃だった。
起きて、まだ眠たいな~眠いな~と思いながら起きた。

洗濯ものがたくさんたまっていたので、たくさん洗った。米を炊いてカレーを食べても見た。
えらいなあ。それにしても私は家事を何でもこなせる。洗濯、炊事、おまかせあれだ。
話は変わるがなんだか、世の中はうつろいゆくなあと思う。私の父は家事が全くできない。できないと言っても、自動洗濯機や電子レンジが発展した現代においてスイッチを押すだけで大体の家事はやってくれる。それくらいはできるのだが、なんというかやる気がないのである。
やる気がないというのも、漫画ブログとかで見る、「夫が最悪!」みたいなレベルのやる気のなさではない。ああいう漫画に出てくる悪い夫と言うのは、少し罪悪感がありながらも「でもお金は俺が稼いでるんだから」「ゴミ出しはやってるだろ?」みたいなことを言って逃れようとする。
私の父はそうではない。そもそも、男が家事はやらないものといった感覚の人だ。父は実家に暮らしながら進学、就職、結婚、一軒家を購入して奥さん(私の母)と母(私の祖母)にすべてをやってもらう生活をしてきたことで、頭の中に家事が存在しない生き方をしてきた。
ここまでくると、私は父を責めることができない。それはつまり、誰が悪いでもなく文化がちがうのだから認めなければいけないのだ。

アメリカ人の友達が家に遊びに来て、靴のまま家に入っても怒ることはしないだろう。だって、文化が違うのだから。もし仮に毎日1本の苗木を植樹する文化の人が、私の生活を見たとしよう。その人が「え!植樹してない!朝起きて、顔洗って歯を磨いて植樹するのが普通だよね?」と言われたらどう思うか。うるせえばか、と言った感じだ。その方がいいだろうけどもやる人はいないだろ。そんなことで怒るなよという感じだ。
私の父にとって、家事とは私にとっての植樹のようなものだ。やったほうがいいんだろうけど、やって得がない。

そんな親の姿を見てそだった私が、いまではすべての家事をこなすまでに育った。これは本当の意味でのパラダイムシフトであり、ミッシングリンクである。こんなに一世代で人間のオスの生態が変わることなど本来あってはならない。なぜこのようなことになったかと言えば、私の母が、父が家事をやらないことにさんざん怒ってきたからだろう。
私の母はよく、父は家事ができない、やる気がないことを嘆いていた。子育ても一切やらずに仕事に行き、会社で友達がいるのかと言うとそうでもなく休日は家にいてずっとボーウとしていることも嘆いていた。
そんなに嘆くなら結婚するなよ、と何度も思ったがどうやら結婚せざるを得ない事情があったらしいので私は触れないでおいている。

とにもかくにも、そういった母の嘆きを見てきたことで、家事をする方が正しい、エライというのが刷り込まれていった。それによって私は家事をこなし、なんなら家事をしなければいけないので誘いを断るということもしてきた。これが正しい生き方なのかは私は今もわかっていない。

家庭内というのは本当にわからないものだ。犯罪者の近隣住民はだいたいインタビューで「そういう人には見えなかった」「いつも挨拶をする人だった」と言うものだ。家の中とは最高に密室であり、外部に情報が漏れない。だからこそ面白いものでもある。
小学生の時、ご両親が若くて美男美女の友達がいた。はたから見ればとても羨ましい家庭環境だったが、中学生くらいの時に風のうわさであそこのご両親はやばいらしい、毎晩喧嘩で茶碗が飛んでいるなんて聞いた時には人間のなんと恐ろしいことかと思ったものである。

かくいう私も見た目には、豪傑、男尊女卑、差別主義者のような恰好をしているが本当は小心者、フェミニスト、隣人愛といった真逆の人間性を持っている。
私の漫才の相方である田川くんも見た目には、小心者、きれい好き、完璧主義者のような見た目だが、話してみれば、人を見下す、ゴミ屋敷、全部投げ出す、レイシストといった姿が浮かび上がってくる。人間性とは見た目には出ないものである。

1フェミニストとして言いたいことは女性をだまそうとする男のなんと多いことか、女性諸氏には気を付けていただきたいのだ。小・中・高・大とだいたい男から嫌われている奴から彼女ができて、今は牢屋に入っているというパターンが多い。大学生の時、トイレの盗撮で捕まった体育科の人はイケメンで彼女もいた。あれはまさしくであった。イケメンは嫌いなので、ヤツの本名をここに書こうかなとも思ったが、やめておこう。犯行現場だけ書いておこう。教育学部棟の4階である。
悪い奴ほどよく食べ、よく眠るという。悪い人と言うのは魅力的に見えてしまうのだ。悪い男に騙されないように気を張っていただきたい。

気づけばもうこんなに書いてしまった。ぜんぜん日記を書いていなかった。
今日はとにかくたまっていた家事をした。家事と言えば、うちの父は・・・。
あら、話が繰り返されている。

家事をしているとすでに15時になっていた。眠たくなったので眠った。起きたら17時だった。
今日は17:30から上野で、以前やっていたバイトの飲み会である。バイト先は会社ごと去っていったので、みんな別々のバイトや職についてるようだ。

予約してくれた、幹事の子にはとても感謝したい。しかし、店は最悪だった。まだこんな店が東京にあったのか、と驚いてしまった。
串焼きが一本200円なのはまあ、あることだとして出てきたのは業務用スーパーの30本1000円とかのものをチリチリに焼いたものだった。一番安いメニューは0.5人前の枝豆で500円。お通しがひとり680円で小鉢の業務用スーパーチルドのきんぴらごぼうだった。
あ~、やばい!こういう店はめちゃくちゃ久しぶりだなあ。
繰り返すが幹事の子には感謝している。忙しい中、人の参加可否を取りまとめてくれた。しかし!なぜここなのだ!
ネットの評価を見ると罵詈雑言であった。なぜ!ここにしたのだ!たしかに高評価の口コミもいくつかあった。しかしそれらはどう見てもサクラレビューである。見抜けなかったか~。あああ~。
サイゼリヤの方がまだいいぜ。入店後、皆の不満が爆発してしまった。

居酒屋を主戦場にしている方がもしいれば、助けてもらいたかった。
皆、食べ物は控えて飲み放題の酒を浴びるように飲んでこの辛い現実を忘れようとしたが、そのお酒もまあなんとひどかった。
ああ、こういう店ってまだあるんだなあ。やっぱりチェーン店がいいなと痛感した1日であった。

今日面白いと思ったことは「チェーン店最高!」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。