2023/5/27 アジアの入信@代々木

今朝は8時に起きた。
昨日までとにかくネタを準備しないといけない日が続いていた。また絶つモードに入りそうだったので夜にウーバーをやる以外の時間は休養に当てようと考えていた。

日記を書いてカレーを食べて横になってだらだらする。ダラダラしているところで代々木公園でラオスフェスティバルが行われているという情報が目に入った。
これは行くほかない!

話が脱線するが、今日の日記は書くのがおっくうだった。私はラオスという国にものすごく思い入れがある。そのため一度書き始めると恐らく4,5時間かけないと書ききることができないとわかっているからだ。
27日の深夜に書き始めても28日の朝までかかる。嫌だなー、ラオスは好きだが日記を書くために寝ないのは嫌だ。
じゃあ手短にやってくれよとおっしゃるだろうが、それは難しい。あれもこれもと書き残したことがあるといらいらしてしまう人間だからだ。

でも手短にしないと28日の今日はしっかりウーバーをやる時間が無くなる。とにかく短くできるように頑張る。

私とラオスについて、出会いは大学生のときに行った旅行だ。一つ学年が上で、同じ高校出身のSさんという方が琉球大学にいた。
Sさんはバックパッカー的な旅行にはまっているようで、アジア各国に行っていた。なにかの拍子で、お前も一緒に行かないかと持ち掛けられた。
当時の私は、大学の講義を頑張ろうと思っていたが、知らないことを知るためにまた知らないことを勉強するという連続に打ちひしがれ、鬱になり、半ば引きこもり気味になっている時期だった。

どうせしんどいことばっかりなら、海外に行って気持ちを切り替えようと思った。ベトナムに入国し、数日町を歩いた。当時のベトナムは詐欺のような商売が横行しており、私は衝撃を受けた。ここまでして人から金を奪おうとする人ばかりの国があるのか。ベトナムはしんどすぎますとSさんに伝えた。
それなら東南アジアはバスで入出国できるから、ラオスに行ってみようとなる。

長距離バスでラオスに向かった。バス内は0.7畳分くらいのスペースを与えられ、そこで体を曲げて横になる。自分の膝の上の方までは前の席の人のリクライニングで動かせない状態という劣悪な環境だ。冷房が効いたり切れたりしながら山道をくねくねと走る。当然眠られるわけがない。深夜の山奥でイミグレーションがある。このイミグレーションもすごいことになっている。
少ない窓口に数百人が集まって我先にとパスポートを押し込もうとする。アジア版ウォーキングデッドの撮影かよ、とは誰も言ってなかった。

この人がごった返しているなか、すぐ隣にいた人がアリスのベーヤンにめちゃくちゃ似ていたことが今でも忘れられない。ベーヤンベーヤンと近くで私は言っていたのだが、一切反応していなかったのでベーヤンではなかったようだ。
そしてこのイミグレーションなのだが、パスポートにみんなお金を挟んで渡す。これがどうやらバチバチの賄賂らしい。みんな仕事やなんだで国を行き来したい。だがこの職員がハンコを押さなければ入出国できない。となるとお金を渡してハンコを押してもらうというのが常態化しているらしい。

全てが新鮮で衝撃で私はもうクラクラしていた。

なんとかイミグレーションを済ませ、またも劣悪なバスで山道を行く。明け方にラオスの首都ビエンチャン近くに到着する。
そこからは乗り合いのトゥクトゥクで都心部に向かう。このトゥクトゥクももう明らかに人間が乗りすぎている。半ば箱乗り状態だ。


と、ここまで書いてみて気づいたのだが、これ全部を書くと本当に数万文字を超えてしまうと思う。
と言うのも、私はラオスに旅行で何度か行ったが、大学3,4年生くらいで卒業論文を書くための調査で2週間の渡航を何度かしている。
そのたびにバチクソしんどいことや、バチクソ楽しいこと、バチクソふがいないことが起きまくっていた。
かなり中途半端だが、ここでいったん終わりにしておこう。

私の卒業論文のテーマは簡単に言えば「東アジアには米を使った蒸留酒がたくさんある。その中の一つとしての沖縄の泡盛。そして泡盛の販路拡大に東アジアが狙えるのでは。」みたいなテーマだった。
みんなは興味ないだろう。でも、いろんな研究分野の中ではかなりポップなほうだと思う。教授陣からはあまりにもポップすぎると怒られていた。

話を現代にぐっと近づける。ラオスフェスティバルの話だ。私は2018年の5月ころに上京してきた。まだ、なんのバイトをしようかと考えている時期に暇でネットをいろいろ見ていると、ラオスフェスティバルが代々木公園で行われることがわかった。ラオス好きの私としては行くっきゃないと少ないお金を握りしめて代々木公園に向かう。
ラオスのごはん、ラオスのお酒、ステージでラオスミュージックが演奏される中、ひとりでうろうろしていた。こりゃあいいなあと思っていると、色黒な大学生くらいの男の子が声をかけてきた。
僕は友達がいなくて、ここに来たのですが良ければ一緒に回りませんかと。怪しいやつだなと思いつつも、私も友達0人の状態で上京してきたので、ありがたかった。

ラオスフェスティバルを楽しみ、LINEも交換した。後日、池袋でまた会って遊びませんかと連絡が来た。暇だったので、二つ返事でOKする。
今度は僕の先輩も連れていきますね、と言われた。その時点で私はあー、こいつはあれだなと思ったがこれも経験だと思い池袋に向かう。

色黒の少年と色白で眼鏡をかけた青年が立っている。この眼鏡をかけたほうが先輩らしい。そこのジョナサンで昼ごはん食べましょうと入り、席に着く。いろいろとバイトはこんなのがいいよ~みたいな話をしていると、よきところで宗教勧誘の話に入った。きたきた。

色黒の少年が言った。僕はカードコレクターなのだが、売り切れ必死のカードがたまたま入ったお店で買うことができた。これは○○様のおかげなのです。いや、さすがにそんな勧誘じゃ入んないよと思い、私はニヤニヤしていた。すると先輩もさすがにそれじゃ入んないだろと思ったのか「彼はこんなこといってますけどね~」と話を変えた。色黒少年はちょっとしょんぼりしていた。
やっぱりだめだよ。○○様はすごい人なのかもしれないけど、それじゃ○○様のすごさが私には伝わんないよ。だって、私はカードコレクターじゃないんだもの。

先輩のターンだ。しっかりと○○様のすごさを話してくれた。そのうえで、藤崎くんが今後お笑い芸人として頑張っていきたいと思っているなら、それをきっと手助けしてくださるよ。○○様はそんな方なんです。

そうそうそういうことだよ。こちらの夢や希望を聞いて、その人が強く願ってすごく努力するなら、それをアシストしてくれる。○○様ってそんな存在だろ。色黒少年よ、きみはまだ浅いぞ!
結局、私は入信しなかった。今のところはまだ自分の力で頑張っていきたいと思っている。カードを集め始めたら入信するかも。

入信を断って、解散する前に私は言った。「私は入信するつもりはないですが、一人の人間としてあなたたちと友達になりたいと思った。またどこか一緒に行きましょう。」すると向こうも、そうですね残念ですがまた遊びましょうという返答だ。いい友達ができたなあと私は嬉しかったのだが、その二人はその後、連絡が取れなくなった。

○○様!ぜったいこの二人は○○様の考えることと違う方向に行ってますよ!いまこそ、この二人を救いたまへ!!!!と風呂無し和式便所のアパートで私は一人うちひしがれた。

また関係ない話をしていた。とりあえずこれが私のラオスフェスティバルの思い出だ。その後はコロナ感染症の流行で、イベントは中止になっていた。
また行きたいなあと思いつつ開催を待っていた。この度、数年ぶりに開催されることを知り、私は今日、ラオスフェスティバルに向かった。

代々木公園駅に降り立ち、フェスを楽しんだ。ラオス料理にラオスビールを楽しむ。ステージではサンプラザ中野くんさんが名曲をたくさん歌ってくださる。パッパラー河合さんもノリノリだ。
料理やビールは確かにスーパーで買うよりは高いのだが、ディナーショーを数千円で楽しめるこの感じは最&高である。

サンプラザ中野くんさんと私、というのにも数千字が必要なエッセイになっていくのだがちょいと長すぎるのでこれくらいで終わっておこう。

今日面白いと思ったことは「今日の日記はほぼ思い出話だけだった」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。