2023/9/25 与謝野晶子オフ会

今日は11時頃に起きた。
はてさて、今日の予定は夜に予定があるのみなので時間に余裕がある。

となればやることは一つ、ウーバーである。やることは一つといったがもう一つやることがあった。昼寝である。
なんだかやる気が出ないもんである。なんかあったのかもしれないな。昼寝をすると16時ころになっていた。
起きて、ウーバーを始めた。始めたはいいが、やはり秋を感じるこの過ごしやすさ。さらに平日の昼は注文が少ない。2件しか飛んでこなかった。もっと飛べばいいのに。

17時すぎには帰ってきた。もろもろの支度をして出発した。19時から町屋で笑組のゆたさんと はやぶさ丸(元 幸せの家)の笠生くんの3人で食事会をした。今週金曜のライブに向けての打ち合わせも兼ねた会である。
漫才協会にはゴシップ大好き達が集まっている。勘のいい方であれば、この3人が集まるということは、あの件か、この件か、はたまたこちらの件を話しているんじゃないかと邪推する人も多いかと思う。
いやいや今日は、その件である。

この会合の話題はトップシークレットだ。ドラマ「VIVANT」では別班と言われる影の組織がいる。その別班は大手企業や大物政治家のスキャンダルをストックしておき、有事の際はそれを活動に利用するというシーンがあった。我々が本物の別班であると言ってもいいかもしれない。協会でもし足を引っ張りたい方がいれば、その情報を基に引っ張ることができるのだ。言論テロをおこなうこともできる。これは「VIVANT」で言うところの謎のテロ組織、テントと一緒である。
大空遊平師匠は阿部寛さんに似ているので、遊平師匠個人が「VIVANT」の公安と言ったところだと思う。
さしずめ(ちょっと橋爪功っぽい)、漫才協会は架空の国家、バルカ共和国みたいである。

VIVANT見てねーからわからねーよと言う方もいるだろうからこれくらいにしておく。

会話の内容は当然、語ることはできないのでそのときの様子で面白かったことをつらつらと書いておく。会場となった中華料理屋は発される言葉から、中国人のご夫婦だろうか、妙齢の男女がメインで働かれている。
我々の着いた席は二人がけの長椅子が向かい合っていた。手前に私と笠生くん、向かいの奥の椅子にゆたさんがかけていた。そして、そのゆたさんの席の奥にはキッチンが少し見える。
キッチンで料理を作っているのは、毛髪が減り、頭皮が見えている旦那さんである。VIVANTで言えば、冒頭の砂漠のようである。
その手前で、ゆたさんが元気よく話している。二つの砂丘が見えたり見えなかったりするのが少し面白かった。

あと、ゆたさんは2時間でコップ一杯のお茶しか飲まなかった。とても少ない。私は一食で2リットルくらい水分を摂るので、それと比較してとても少ないと思った。もし御事情がないのであれば、もっと飲んでいただきたいものだ。

続いて、我々が食事をしていると、若い男の子6人組くらいが近くの席に着いた。私の席からは様子がよく見えるのだが、この6人組がなんだかとてもかわいかったのだ。若いと書いたが、年齢は意外と同い年か上の可能性もある。なんといえばいいのか、いわゆるオタク系な男の子たちだった。
お酒などは頼んでいなかったが、おのおのが大盛のチャーハンをモリモリ食べて二人に一品くらいのペースで一品料理も大盛で頼んでいた。もりもりもりもり!ときおり「アニメのあのシーンがよかった」「あのアニメの聖地(舞台)はここらしいぜ」などと言いながらゲラゲラ笑っていた。
うわあなんかいいなあと思った。私もあのメンバーの仲間である。根っこではあの感じなのだ。
あの若いパワー、純粋なパワーを見て私はふと与謝野晶子氏の詩が頭に浮かんできた。

「柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君」

この詩は与謝野晶子氏の歌集「みだれ髪」に収録された歌である。
現代語訳すれば「童貞が御託を並べんなボケカス」という歌である。当時の、女性は慎ましくあるべきであるという社会に対して挑戦状をたたっつける歌である。
切れ味がすごい。与謝野晶子氏は当時のツービートのような、とんでもない刃物を持っていたのだ。私をふくめたオタク男性というのは昔から、サバサバ系女子に切られてきたのだな。ああ悲しい。

そんな楽しい会も終わり、帰宅した。
そういえば、笠生くんのラジオについての感想を書き忘れていたので、短めではあるが書いておくことにする。
こちらの回→ 笠生大収穫祭 2023/9/24

内容についてはさておいて、エピソードの切り上げ方、これは講談で勉強しているなと思った。
私は講談を生で見たこともない、どのつく素人であるが、神田伯山さんのラジオが好きで聞いている。テレビでも講談を披露されているの何度か見た。講談は連続ドラマのように一つの物語がいくつかに分かれているものと聞いたことがある気がする。その中の一つの話でさえ、テレビの5分、10分という時間では話終えられない。
少なくともテレビで講談をされるときには「ここでお時間。この話の続きがどうなるのかは、また次の機会に(パンパンと釈台を叩く)」と言って頭をさげて終わられていた。今回のカソラジも「お時間になってしまいました」と物語が佳境に入ったところで終わっていた。これは講談から学んだな。
私はそうやってスケベに人の発表物を見ている。

今日面白いと思ったことは「与謝野晶子は当時のツービートである」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。