2024/02/10 推敲ってなんだよ

ありがたいことに忙しくさせていただいている。おかげさまで連続投稿記録を死守する投稿を先程させていただいた。ただいま2024/02/11の22:30だ。なんとか今日中に投稿完了させたい。

さて、ネタ作りの3日目の話だ。しかし、昨晩の時点でほぼ完成した。
じゃあ今日は暇じゃあないかと言う話になろうが、これが難しい話だ。ネタって一度書き上げたから終わりってことでもない。そこから推敲を重ねて、ここの言い方はこうかしらなんて考えるのも必要である。
変な話である。以前も熱く書いたが、漫才はその場の思いつきのふりをして立ち話をする演芸だ。それにもかかわらず、確かに推敲が存在する。
本当に思いつきで喋れば「アラが目立つ」なんて言われる。おかしい。あまりにおかしい話だ。立ち話なんだから、言い間違いを見逃しておくことも、ふたりとも間違いに気づかないこともあるはずだ。
それなのに「あそこでツッコまないのはおかしい」なんてダメ出しが当然のようになされる。変である。

ではダメ出しをする人はおかしさを放置した他者とのコミュニケーションをしていないののかというとそんな訳はない。

つくづく漫才とはいびつなものである。別に変なこと言ってもいいじゃない。「おかしいだろ!」「ばかかよ!」「やめろ!」こんなこと常に言っていたら友達0人である。
ただ、私が思うに漫才コンビのツッコミにあたる人物は友達が少ない傾向にある気がする。

プロポーズというコンビがいるが、どう考えてもギシさんのほうが友だちが少ない。はやぶさ丸というコンビも大竹くんのほうが友だちが少ない。漫才56号だと。。。どっちもボケみたいなもんか。

ツッコミの人というのはどこか計り知れなさがある。突然怒りそう、関わらないほうがいいんじゃないかというフンイキがある。
これは私が基本的にボケたい、笑わせたい人間だから肩を持ってしまうのかもしれないが、やはりボケの人のほうがプレッシャーを与えない傾向にある気がする。

ツッコミの方は世間の、お客様の代弁者という役割だからというのがあるのだろう。仕方のないことだが、世間がどうかじゃなくてあなたの考えを聞かせてくれという目線を送ってしまう。

たとえば「うんちが臭い」と言ったとき。ツッコミはどうだろうか。
一般的なツッコミなら「汚えこと言うな!」とツッコむ。そうじゃないんだ。願わくば「たしかに臭いよね」「変なもの食ったのかな?」「俺は好きなニオイだけども」というあなたの心を見せて欲しい。
ツッコミはある一定のところまではトレーニングで養われる。しかし、個性を出したツッコミができなければ売れることはないというのが今のお笑い界の共通認識である。

「きたねえなあ!俺は好きだけど!」をわかりやすく一言で言い表すことができたときに売れるという事象が発生するのだろう。

とても汚くて難しい、概念的な話をしてしまった。

そんなわけで話を戻して、今日はネタの推敲をするふりをしながらダラダラした。
ワイシャツやタオルを漂白剤につけたり、米を炊いてタッパーウェアに詰める作業などをしながら、オクラ納豆を食べたりyoutubeでホリエモンと太田光さんの対談を見たりした(当然、違法アップロードではなく公式動画だ)。

気づけば日が沈んだ。ウーバーをやろうかなともおもったが、明日はトレーニングもしたいし早く寝ようと23時に床についた。さきし眠れない。何もしていないから眠れない。

布団でぐるぐる回ったり、うつ伏せたり仰向けになったり、スマホゲームをやったりで1時くらいに眠った。ようやく眠れた〜。

そして、なんとか今日中に日記を投稿できそうだ。この時間に昨日の日記を書くと、すぐに今日の分を書かないといけないから憂鬱である。

日記といえば、モズというコンビのヒデさんは最近日記を投稿していない。このまえ気づいたら1週間分くらいまとめて投稿していたが、それでもその日に近づいていなかった。めんどうだと思っても毎日やることが大事だね。もしこれを読んでいたら反省しなさい。

今日面白いと思ったことは「それにしても、ネタの推敲って変だよなあ。賞レースに向けて磨くって、必要なんだけどなんか変な気がするなあ。」


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爆弾世紀末藤崎「善いスキャンダル」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。