2023/2/23 文化祭、試合の前日の気分

今日は8:30頃に一回目が覚めたが、前日は5:00頃に眠ったのであまりにも眠たすぎて二度寝した。起きたら11:00前だった。

昨晩にネタのおおよそは準備できていたので夜のネタ合わせまではいったん手をほぼ加えない。生活するためのお金を稼ぐためにウーバーを少しやった。そこから15:00頃に帰って仮眠をして、18:00から高田馬場でバイト。22:00にバイトが終わり、そこから公園で漫才の練習をした。
家に帰ったのは0時過ぎ。食事をしながら今は、明日のYoutube撮影に備えて映画を見た。というよりかは映画を見ながらこれを書いている。

とここまでかいたところで、疲労がマックスまで来た。筆が止まり?キーボードをたたく手が止まり?映画を見終わってしまった。眠すぎる。
さて、眠たすぎて何も頭が回らない。そんななかで何か書くことはないかしらとなんとか脳を動かしてみる。

昨晩、寝る前のことを思い出した。昨晩、日記を書いてネタを書いていったん完成し、床についた。そのときに思ったのは久しぶりに良いネタができたという感覚だった。はやくこのネタをお客さんの前で披露したいと思った。
漫才の始めたての頃はこの感覚があった。自分の書いたネタで、お客さんが笑う。舞台上からお客さんの顔を見ると、笑顔があふれている。最初のころはそのようなことを舞台の前日は想像して眠ったものだ。

最近はそれがなかった。とにかく笑わせなければ。お客さんがボケとツッコミを察知してが義務感をもって仕方なく笑う。そんなウソの笑いを引き出す方法ばかりを考えて、誤ったお笑いに目を向けて、辛いと思いながら眠っていた。それが昨晩は久しぶりに、早く舞台にかけたいと思っている自分の存在に気付いた。

舞台上にいることを想像するだけで心臓が早まっているのを感じた。学校の合唱祭や部活の試合の前日のような気持ちだった。失敗したらどうしようという緊張感。練習してきたことをぶつけてやるぞという意気込み。武者震いに近い。

今日はそのネタを実際に練習した。練習すると台本上ではうまくいっていることもうまくいかない。笑いをちょうだいしたいところの言い回し。フリの部分の言い回しをもっとわかりやすくする作業が必要だ。言い回しだけではない。話しているときの身の振り方もある程度決めていかなければいけない。

文字の台本から実際にやるときで漫才が立体的になっていく感覚が沸き上がる。まさしく文字で平面的に作られたものを現実にやるわけだから2Dを3Dにする作業だ。お笑いとはなんと面白いものなのだろう。

お笑いづくりの面白さはリアリティとイマジナリーのちょうど隙間をつく難しさにあると思う。私は漫画がとても好きな少年だった。漫画はどんなにリアリティがなくても呑み込めてしまうところが良い。コロコロコミックなんかでは見開きでどん!っと大きなウンチが描かれているだけで笑える。さっきまで、キャラクターたちが会話していたところに突然ウンチが現れる。このギャップがおもしろい。では、実際のお笑いでこれで笑えるかと言うとそんなことはままありえない。
一組の芸人がネタを披露し、舞台は暗転。次の芸人が現れるかと思いきや明転すると舞台上にでっかいウンチが置いてある。これでお客さんが笑うことはないだろう。それはあまりにもナンセンスすぎる。リアルとイマジナリーの接続が不自然すぎるため何が起こっているのか掴むことができない。
漫画を読むときに受け取りては何が起きてもそれはあくまで、紙の中で起こっていることであり、自分に直接的な害がなく、どんなことでも受け入れることができる。芸人が危険な発言をすると、実際に目の前にいる人間が変な人であれば、自分に害が及ぶかもしれないと危険を察知し笑うことができない。
爆笑問題の太田さんがメディアで危険な発言をしても受け入れられてしまうのは太田さんの心の奥に寂しさや優しさがあることが何となく読めてしまうところにあるのではないだろうか。それは表情やしぐさなどから読み取ることができる。最近、太田さんが直接的に炎上するようになったのはネットニュースなどの文字上でしか言葉を受け取らない人が増えたからではないだろうか。ネットニュースだけを見た人は、なんとけしからんことを言っているんだと怒ってしまう。
私は爆笑問題の大ファンで、単行本から雑誌連載、ラジオ、漫才とほぼすべてに目を通している。そんな私からすると爆笑問題は心からの軽蔑で芸能人・政治家をネタにしていないということがわかる。しかし、一つの番組の一つのシーンだけを見るととんでもない悪口を言っているように見える。リアルに存在する太田さんは何かの拍子に自分たちのコミュニティの敵になるかもしれないと恐れて叩きたくなってしまうのだ。

話が関係ないところにいった。爆笑問題というスーパー売れっ子芸人でも、一つのネタ、一つの番組だけでは自分たちの面白さを万人に伝えることは不可能なのだ。そうなると我々のような芸人を隠れ蓑にしているだけのダメ人間の思っている面白いと思うことを、たった5分の漫才で伝えることは、はなっから無理な話だ。ただ、そこに向かってあきらめずに続けることで少しずつ自分のことを理解してくれる人を増やしていくことができる。そう信じて、一つ一つの舞台を大事に取り組んでいくのだ。

ただ、私の隣には私の面白いと思うことをぜんぜん理解しない田川という男がずっといる。

眠たすぎて自分が何を書いているのかわからなくなった。とりあえず、もう寝る。明日は起きてからネタ合わせの中で見つけた課題をつぶす作業をする。
生活のためにお金稼ぎもしないといけない。アーーー眠たい!!!!!

今日面白いと思ったことは「眠すぎると、てにをは、文章の接続がおかしくなる」ということだ。


こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。