2023/4/19 我が麗しのミーナ(涙)

今朝は7時過ぎくらいに起きた。早起き亭カレー食べ太郎で高座に立てる。

今日の予定は7時に起きてごみを出し、日記を書いて9時ころからトレーニングに行って、11時過ぎには帰ってくる。そこからウーバーをやりながら東洋館に向かい、漫才大行進、そしてまたウーバーをやって、18時からバイトをして23時に帰宅して寝る。

という予定を立てていた。なんともきれいなスケジュールだ。付け入る隙がなく芸術点が高い。荒川静香がイナバウアーしている。

予定とはうまくいかないものである。

7時に起きてごみを出し、日記を書いて9:30~昼寝。12:30に起きて東洋館に向かう。出番を終えてからポッドキャストの録音と漫才談義を芸人さんと楽しみ。家に帰って焼きそばを食べて15分の仮眠。バイトに行って23時に帰ってきた。

隙だらけの結果となった。しおりに付箋、おまけにへそくりまで挟めちゃう。おばか百科事典のようなスケジューリングだ。きれいなものは遠くにあるからきれいなのとヒッピー系の格好をした女性歌手が歌っていた。

これといって書くことが無い日であるが、出番を終えてからの話にしようかしら。ミーナの喜助くんとけっこう喋った(ミーナには唯一未来がある)。この男は悪いやつだで。いろいろと悪いものを持っているが表には出さないのだ。でも、その人間性が出てくるともっと人気になっていくと思うので、人間性が見えたらいいなあなんてことは言わないようにしておく。

喜助くんは、シティボーイらしい平成レトロなどと最近の若者に人気らしいファッションを着こなす。体型はやせぎす。私の想像上にいるナウなギャルがゾッコンになるルックスを持っている。これはもう見た目からファンになってしまう人は多いことだろう。
でも、喜助くんは長野県出身だ。長野という未開のジャングルからやってきて日本の最先端のファッションを着こなすというのは本当は圧倒的な田舎コンプレックスをもっているからこその自己表現であると私はにらんでいる。
となると、様々なものに対する攻撃性を持っている。その攻撃性がネタで垣間見える。あのルックスから「やりやがったな」などという一捻りしたツッコミワードが飛び出すとシティのセンスを感じさせる。

やせぎすというのもツッコみが良く見える要素だと思う。痩せている人のツッコミには狂気性と「最悪、暴れても取り押さえられるな」という安心感が出る。体型も才能だ。例えば私を例に出すと、やはり体が大きいので狂気じみたことを言うと、動物的本能から「こいつが暴れたらどうしよう」と思わせてしまう。心から笑えなくなってしまう可能性が出てくる。
その点において、文豪はひょろりとしてファッションは着流し、好物が桃という感じは読み手に安心感を与える。弱いやつが心の弱さを見せているな、かっかっかと思わずバカにしてしまうことができる。

さらに飛躍する。三島由紀夫はかつてはひょろひょろであったが、思想が先鋭化し行き過ぎた美の追求から筋骨隆々となり、最後はとんでもない終わりを遂げて、我々にバカにさせる隙が無くなっていた。
三島由紀夫の著書に「命売ります」というものがある。これは三島の死の約2年前に書かれた作品だ。二年前であればすでに体は鍛え上げられ、思想もとがりにとがっていた時期だろう。しかし、この作品では軽妙で笑えるような話が展開される。三島は最後までこの笑える読み物を書くという感覚を失っていなかったのではないだろうか。
ただ、三島の最後がとがりまくった結果の、歴史に残るものとなってしまったがために、変に内に込めた感情を笑い話に載せて吐露しているのだなどと評価され、「笑えないもの」「価値のあるもの」となった。これは三島が求めた評価なのだろうか。

あ、三島由紀夫の話をしていたら言いたいことを見失った。
何が言いたいのか整理したい。物事を考えることは重要であるが、私のルックスからいろいろと考えていることを表明していけば純粋に笑えないものに成ってしまわないかということを三島由紀夫とリンクさせて考えようとしていたのである。
三島由紀夫ほどの才能も肉体も持たないので何を悩んでいるんだというのはもううるせえとしか言わない。私は私の考えていることを書いているだけだ。

と、話をさらにまとめに入ろうとすれば、ミーナ(未来がある)のお二人は好きなもの、やりたいこと(いまやっていることがそうなら)、見た目これらがうまく合致しているといえるだろう。なるほど確かに未来があるのだ。

さあ、場面は変わって東洋館の屋上に舞台を戻す。ザ・存在次元のカンディ中野さんがやってきた。カンディさんについての説明はもうこの前やったので簡単にすれば、現在63歳で定年退職後に若手漫才師として漫才協会に入会した男女コンビの男性のほうだ。
カンディさんはこの齢で新人として入るにあたって、とにかく勉強をしたいと言っており、ちょくちょく東洋館にやってきている。
今日も勉強しに来ていたようだが、どうやらご家族からの連絡(ハイパー個人情報なので内容は言わない)でひどく落ち込んでしまい、屋上に休憩をしに来たようだ。
私はこの、家族のことで悩んでいるというのをまだ会って3回目くらいの我々に話せるというのはいい才能を持っていると思う。お笑いをやっていると感覚がおかしくなるが普通の社会人は、自分の弱さや家族の愚かさというのはなるべくばれないようにして生きている。お笑いは頭がおかしいので、舞台上などでも自分は馬鹿だ。自分の家族も馬鹿だ。と大声でマイクに乗せる。社会人として定年を全うしてなお、自身の家族の愚かさを表明できるというのは十分な才能であるとは言えないか。

カンディさんからは今の段階で考えていることをいろいろと聞いた。我々が漫才を始めたころに悩んでいたことも悩んでいるようだ。人間とは死ぬまで勉強なのだな。職が変われば、また1からの学びが始まるのだ。
ただ、カンディさんは長くサラリーマンでやってきた経験があるので、その経験で悩みの打開策を見つけることは我々よりも容易であろう。
今後に注目である。でも、まずは舞台に立てば消えるようなことも悩んでいるなと思った!

今日面白いと思ったことは「もうミーナはコンビ名を‘‘ミーナ(未来がある)‘‘に変えたほうがいい」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。