2023/2/2 カレー論で上野のお手並み拝見

今日は2月の漫才大行進、一回目の出番だった。そのまま、袖のお手伝い。17:30頃に東洋館を出る。そのままOKに行ってカレーとサラダの材料を購入。帰宅し、それらを用意した。おぎやはぎのハピキャンという私の一押し番組を見て後述の時間で眠った。

今日と昨日の境界があいまいになってきた。2/1の夜20時~24時くらいまで眠り、そこから日記を書いたうえでネタの準備をして朝7時~9時30分まで眠った。なんとかネタの準備自体は間に合わせることができた。だが、今が何日なのかという日付感覚、曜日感覚も曖昧だ。海上自衛隊が金曜日はカレーを食べることで、景色の変わらない海洋上での曜日感覚を正常にするという。が、こちとら毎日カレーを食べている。カレーを食べるという海の上にいるのだ。カレーを食べるという海洋上なのだ。カレー上にいるのだ。

今日のカレーは特段おいしくできたと思う。カレー回を読んだ方にはおなじみのゴールデンカレーバリ辛味を使った上に、最初の炒めの段階でかなり入念に火を通したことで初日とは思えないくらいの美味しさだった。今日の調理過程は今後も活用していこうと思った。

カレーの話は毎日しても飽きない。今日は、袖のお手伝いを爆弾世紀末の二人と、漫才56号の宮崎さんの3人で行った。宮崎さんとはカレーの話もした。
宮崎さんの口ぶりから、おいしいものが好き、料理も嫌いではないというのがうかがえた。宮崎さんはジャワカレーとバーモントカレーをブレンドするのが好きだとおっしゃっていた。なるほど、趣ある組み合わせである。ジャワは市販カレーの中でもスパイシーなルウだ。バーモントカレーは日本を代表する家族カレーだ。この組み合わせは確かに1+1を3以上にする可能性を秘めている。私は貧乏性なので、この2つを組み合わせる勇気がない。ルウはメーカー品だと ひと箱およそ200円程度はする。ジャワは特売になっても230円以上する印象だ。もしこの値段のカレーを組み合わせで失敗してしまうとことだ、と思ってしまいジャワ×2にしてしまう。なんとなく金欠気味のときはジャワ以外のメーカー品で安くなっているものと店で一番安いルウを組み合わせることで、安いルウにしてはおいしいという状況を作ってしまう。
ジャワカレーについて、以前私は通常のルウとして認められないと話した。ジャワは家カレーにしては本格度合が高すぎるといった。それをコーカサスオオカブトに例えた。今日はその気持ちを宮崎さんにどう伝えようかと思った。そこで今日、良い例えが出た。

ジャワと他のルウは競技が違う。よって、ジャワがトップクラスに美味いことは認めるが競技が違う。ジャワこそが最も美味いカレールウだと言ってしまうのは、ソフトボール上野由紀子の速球をプロ野球選手が打てない状況を嬉しそうに放送する年末のスポーツ特番のようだと例えた。確かに上野の投じる球は速く、球威もある世界トップクラスだ。だが、それをプロ野球選手が打てないのは当然だ。どんなスポーツでも頂上に到達した人たちは、ほんの少しの感覚の違いで他の選手と差をつけている。それが上手投げ・下手投げ、マウンドから打者までの距離が違う、球の大きさが違う、球場の広さが違うというように多くの違いがあり、それが選手に与える影響はとんでもなく巨大なものであろう。お笑いで言えば、なんばグランド花月で大人気のライブ特化型芸人がいたとして、テレビ東京の深夜のバラエティでも爆笑をとれるかというと別ということと似ているのではないだろうか。どちらも「お笑い」だが競技が違う。どちらかで滑ったからと言ってどちらがお笑いのレベルとして上かというのは決められない。
野球・ソフトボールの例えをさらにお笑いで例えるという何を言いたいかわからない状況を作り上げてしまった。

野球は基本的に投手有利とされる。となると、似た競技とはいえソフトボールの球場、ルールで戦えばとうぜん上野に軍配が上がる。テレ東のスタジオで大阪爆笑芸人ネタ祭りをやっても実力が100パーセント出ることはないだろう。

と、今日はなかなか良い例えが出たと思う。宮崎さんは言わんとすることはわかるといった反応だった。それはいいことではないか。
話を漫才大行進に戻す。どんだけ話をするんだ。今日の香盤はトリに漫才協会の文句なしの大物がご出演の日だった。お客さんも多くなる。お客さんも多くなるなかでも日によってお客さんの雰囲気は違う。お笑いをほぼ初めて見るお客さんと、単純にお笑いが好きで見るお客さん、お手並み拝見という気持ちで見るお客さんの数がどのように配分されているのかがその日の雰囲気づくりに大きく関わってくると思う。
今日はお手並み拝見の方が気持ち多めな気がした。芸人からはお客さんが良く見える。漫才をやりながら、あ、この人はお手並み系だなという人は良くわかる。浮いているのだ。面白い面白くない以前に楽しみにしていない雰囲気が手にとるようにわかる。漫才をやるうえで表情やその人の持つ雰囲気は大事だ。どんなに台本が良くても自分たちとマッチしなければ、自信をもって話さなければウケない。それほど人間という生き物は相手を見て、相手を判断する。こちらが一方的に話しているが、私とお客さんは1:1の関係で見れば会話をしている感覚だ。最初から楽しみにしていない雰囲気の人に話しかけるのは当然ストレスだ。もちろん、お笑いをやるのだからそういったお客さんにも話しかけていくことが仕事だから文句は言わないでおく。もう言っているに等しいが。
私は人間は皆、人間が好きなはずだと考える。俺は人間が嫌いなんだ!と言っている人は、人間が唯一自分の言葉を理解してくれることを知り、そこに甘えているからこそ、そのように言っていると思う。そして、そう言ったところで、世界のすべての人が自分のことを嫌いになることはないと知っているからこそ、そのようなことが言えるのではないか。
とても嫌いだからと殺人事件を起こすわけではない。好きだからこそ殺人事件は起きる。これ以上、好きな人が自分の好きな姿でなくなっていくことが許せなくて事件は起きる。自分にも相手にも甘えているから、好きだからこそ事件は起きているのだ。
愛の発現手法がそれぞれ違うのである。

人に対する愛の発現手法が違うからこそ、笑う笑わないということでしか皆様からの愛を確かめられない我々芸人にとって、「お手並みを拝見する」という愛の表現をしていらっしゃる方を何とも受け入れることが難しい。
でも別にそれでいいや。

今日からタイトルのつけ方を変えるという、皆様にわかりやすくするという愛の表現をしている。

今日面白いと思ったことは「みんなにみんなのカレーレシピがあること」だ。皆さまのレシピも教えてください。いや、教えてくだ愛。

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。