2024/07/05 書くことが無いから考えたこと。

まだ熱がありますね。日記はかかないとなくなりませんから、ちょいと書こうかと思って書きます。

5日って、もう忘れちゃいましたね。スケジュールがいかがなもんだったかと見てみれば、18時からバイトをしていた。
バイトがあれば、バイトの悪口を言ってばかりだから、これはよろしくなかろうと思う。

じゃあ何の話をしようかなと思えば、日記とは全然関係ないことでも話そうかしら。おばけの話でもしましょうか。

おばけが存在する、しないについてはどっちを言おうが面倒な人が突撃してくること必至なので言わない。
かくいう私も存在する、しないについてハッキリとはわからない。さまざまな議論はすっとばして、存在すると仮定してどんな時におばけを見ることができようかと考える。ここまで「おばけ」と呼んだが、これは妖怪も含むから、これから話題にするのは幽霊としましょうか。
よく怪談話なんかでは、火事や事故で亡くなった方がいたであろう場所や、病気やなんかでひどい扱いを受けてしまった人が亡くなった場所なんていうのが舞台になる。まずは幽霊の定義としては、死者のなんらかの魂や念のようなものがそこに居座ってしまうのが幽霊なんでしょう。
辞典で見れば、まさにその通りで死者の魂そのものや、それが成仏せずにさまよっているものを幽霊というようだ。

なるほど。そう考えると、幽霊と言うのは仏教的な発想かしらと思って調べてみれば、仏教において霊については宗派によってとらえ方が違うとのこと。なんだか腹が立ってきたな。では、さまざまな宗教において難しい判断が問われる幽霊について、誰かの意見を気にせずに話すことにする。

じゃあ、幽霊は亡くなった人がなんらかの恨みでもって成仏できない場合や、あまりにも急なことで自分が死んだと理解できていないときに現れるなりで、魂がそこに残り続けて存在する。
仏に成ると言えば仏教に寄るから、肉体が死んだときに肉体を動かしていた意思である魂が肉体を離れて、次のステージに向かう通路みたいなものを、快便のときのうんちのようにスルっと通り抜けて、いわゆる「あの世」のようなとこに行くのだろう。

この快便のうんちのようなものが、便秘がちだったり軟便すぎてその場でびちゃっと残るとき、それが幽霊になるのだろう。これはわかりやすい例えだね。便所で流れ切らなかったうんちの破片なんかが幽霊なんですね。

ということで、現在の我々のように肉体が生きていて、魂がここにある者達がいるのが「この世」「現世」である。あの世とこの世の隙間に取り残された者が幽霊だ。

じゃあ、その幽霊を見る場所と言うのは先ほど述べた。ではどんな人が幽霊を見るのかと言えば、あの世とこの世を繋ぐ通路に近い人が見るわけだ。
通路に近いということは酷く衰弱している人、老衰の近い老人がそうなるわけだ。であれば、病院でよく幽霊が目撃されるのは、さもありなんだ。
私の母方の祖母は亡くなる前には認知症になっていた。最後には病院に入院した状態で10年くらいは横になって死んだ。
入院する直前くらいに祖母がよく「川の向こうにじいちゃんが待っているから行かないと」と言っていた。祖父は私が生まれて、ほどなくして死んでいるから私は姿を見たことが無い。
祖母が住んでいた家、つまり母の実家の目の前には川が流れているから、そのことを認知症でよくわからなくなって言っていたのか。祖母には本当にいわゆる三途の川が見えていたのだろうか。それは誰にもわからない。
それで、入院してから認知症もすすんだが、そのなかでよく言ったのが「夜中になると部屋に大勢の誰かがいて、窓が真っ赤になって、カーテンが開いたり閉じたりする」ということだ。うーん。まさに霊的な、あの世とこの世の通路のような体験である。老人になると、通路が近づいて幽霊を見やすいと言えよう。

一方で、幼児というのも幽霊を見やすいと思う。時間の距離で言えばあの世に近いからだ。どの瞬間に肉体に魂が宿るのかはわからないが、さすがに精子や卵子に魂があるとはちょっと思い難い。難しい話だ。

かくいう私も幼稚園から小学校低学年、中学年くらいのときはよく幽霊を見た記憶がある。決まって麦わら帽子をかぶって白いワンピースを着た少女だった。なんとも「わたしこそが幽霊です」と言わんばかりの姿かたちである。だいたい、ちょっと遠めにいたから顔はわからない。ジェンダーの時代だから、あの少女らしいものが女の子と決めつけるのも良くないのか。幽霊にジェンダーを持ち込むなよ。つまんねえ奴だな。

で、まあ少女様の幽霊は気づけば見なくなった。私が通路から離れたからなんでしょうね。

今くらいの大人になって、どうやら幽霊的なものを見るときはやたらと疲れていたり、病気のときである。通路が近づくのだ。
現在の私は風邪で弱っているから、通路がすぐ自分のそばにあるのをなんとなく感じるんですね。これを読んでいる皆さんも疲れていませんか。風邪っぽくないですか。

通路の入り口が近いなら、今日の夜にでも、お邪魔するかもしれません。

今日(いつだよ)面白いと思ったことは「幽霊は便所に残っているうんちであるという例えはいい着眼点だと思う。」


こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。