002:「黄金のアデーレ 名画の奪還(原題:Woman is Gold)」を観終わって

歳を重ねる毎に感じる、新しい作品を摂取する体力がなくなっていく病に苛まれているのですが、効く薬は歩き続けること、やめないことだと実感しはじめました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今回の作品は、Amazonプライムのもうすぐ配信が終了するという通知を見て、それならば!と思い、視聴しました。

気になっていた作品「黄金のアデーレ 名画の奪還」です。

まず最初に断っておきたいことが、この作品はとある重大な歴史的背景も取り扱っている作品です。しかしながら私が歴史に疎く……(義務教育の範囲ですら諸事情もあって無学習です)。
ですから、映画内で出てくる歴史的背景は、映画の中で出てくる情報だけで観ました。それをご承知の上でお読みいただけると幸いですし、ご指摘は何卒ご容赦を。

では感想戦、参ります。
あらすじは以下の通り。

1998年のロサンゼルスで、ルイーゼと言う老女の葬儀が行われていた。彼女の棺にはユダヤ教徒であることを示すダビデの星が飾られていた。葬儀の帰り、ルイーゼの妹マリア・アルトマンは、オーストリアから亡命して以来、家族ぐるみの付き合いがあるバーバラ・シェーンベルクに弁護士の相談をする。彼女の息子ランディは若手の弁護士で大手弁護士事務所に就職が決まったばかりだったが、とりあえずマリアの説明を聞く。

オーストリアのフェルディナント・ブロッホ=バウアーは非常に裕福なユダヤ人の実業家で、妻アデーレをモデルにした肖像画「黄金のアデーレ」を所有していた。夫妻には子どもがなく、姪であるルイーゼとマリア姉妹は実の子のように可愛がられていた。ルイーゼの遺品である半世紀前の手紙から、オーストリアで始まった美術品の返還請求をできないかという相談だった。

Wikipediaより引用

クリムトが描いた肖像画「黄金のアデーレ」のモデルである女性。
その姪のひとりが、今まさに視聴者の前で話をしているマリアであり、友人の息子であり若手弁護士のランディに「この絵を取り戻す手伝いをしてほしい」とお願いするところから物語が動きはじめます。

大筋は、表題の絵がナチスによるユダヤ人の迫害によって奪われたのち、巡り巡って美術館に収容されており、それを国を超えて取り戻すお話ですが、歴史の被害者となった彼らの失われたものを、「少しでも」取り戻す意味合いも含まれているように感じました。
少しでも、というのは、すべてを取り戻すことはできないから。それでもなお、私たちの生活があの日あの瞬間そこにあったのだということを取り戻す戦いのように感じました。
そういった流れからか、家族というコミュニティの強さを感じさせる映画でした。
縁で繋がった人々の人生は、決してひとりで完結するものではなく、木の根のように枝のように広がり繋がって今があるのだという、現代において希薄になった血の暖かさを感じる家族の話だったなと。
(必ずしも「血の繋がっていることが家族である」というつもりはなく、縁があり姓と生を共にした人とそこに関わる人の集まりを端的に表現する言葉を持たなかった私のセンスのなさ、です)

主人公のマリアは、私には、華があり行動力のある女性に見えるのですが、彼女の記憶の中にいる家族たちは「内気」だと言う。
その内気さが、彼女の人生の裏に鳴りを潜めているだけで、自分の力ではどうにもならない離別をただじっと胸に抱えていた人だというのが言外に伝わってくるんです。
この時代を、内気な女性が生きるために、どう振舞って生きたのか。
それを察することができるシーンが作中にちりばめられていて、若輩の私がいうのも烏滸がましいですが、後半になるにつれ、ずっと頑張ってこられたのだと、強くならざるをえなかったのだと胸がいっぱいになっていくのです。

また、もうひとりの主人公とも言えるランディ。
彼は勤めていた法律事務所から独立開業したものの上手くいかず、再び法律事務所へ就職しようと活動している最中でした。(最序盤で無事就職を果たします)
一度は絵画奪還の話を断ろうとするランディですが、マリアと言葉を交わしていくうちにこの問題に奔走し、時には彼女以上に熱意を込めて向き合っていく戦友ともいうべき存在になっていきます。(私個人は絵画の値段を調べて交渉したのはあくまで事務所を説得する建前であって、ランディ自身は彼女に協力したかったのではないか、と思っています。都合が良すぎるかな)

そんなランディは、マリアと比較して、現代を生きる家族の形を体現する存在のように感じました。祖父母を含めない、1世帯だけ。夫婦と新しい命で完結している。近代の家族の在り方といった感じがしました。(ランディの母を含め、家族とのやりとりはありますが、大勢で住んでいないというあたりでしょうか)
さらに彼自身は大きな取り柄もなく(弁護士!)、就職活動や情報収集の際も、高名な父や祖父のことばかりを尋ねられ、それで採用されたのか・情報を得られたのかと思う場面が出てくる。
人によっては苦い場面だと思います。自分の実力ではないと。

けれど、ランディはマリアと出会い、彼女と美術品返還の歴史的背景を知って、どんどん変わっていきます。
マリアは、ランディの家族、血筋には同じ血(故郷)が流れているのだと言うけれど、ランディは最初そのことを相手にしていなかった。
それが物語が進むにつれて、妻や子供だけでなく、父母、祖父母、遠い家族の存在を通して、自分が今ここにいる奇跡を体感していく。
その姿は、とても熱いものがありました。
最後の方では自分の家族の高名さをさらりと利用している場面もあって、とても感動しました。使えるものは使っていくというあざとさというより、頼れる武器として味方につけたように感じられたので。

そして、改めてにはなりますが、全編を通して、マリアの過去から未来への変遷が、この重く辛い歴史をなぞるように展開され、とても胸を打ちました。ひとつの幸せな家族が外部からの逃れようのない力によって崩れていく様を見るのはとても辛かった。
比較するようなことではないですが、画面外の描かれない部分では、きっともっと酷い目にあった人たちもいたでしょう。そう思うと、マリア達が体感したことは、二度と起きてほしくないと思います。

美しい叔母・アデーレを含め、裕福な家庭の一員として、家族の皆に可愛がられて育った少女は美しい女性へと成長し、祝福を受けて結婚をする。
真っ当な日々が続いていくと信じていたでしょう。
ところが黒い影は忍び寄ってくる。
結婚式の披露宴でしょうか。父と叔父は危機感を募らせるけれど表には出さない。皆と踊るシーンで、音楽に合わせ、どんどん早くなるリズムに足がもつれ、皆の踊りが崩れながら、それでも視点が回り続ける……この演出に不穏なものを感じない人がいるでしょうか。
どんどん状況は悪化していきます。
マリアとその夫が国を離れようと逃げ回るシーンでは、味方をしてくれるひとと同じだけ「敵に回る人」がいて、複雑な思いを抱きました。
この敵に回る人たちの事情が分からない以上、深追いをすべきではないのですが、彼らにも自分自身や家族の命、人生がかかっているし、特殊な状況下において人の思考は狂いやすくなりますから、何とも言えなくて……。

徐々に画面の彩色も暗くなる、鬱々とする状況においても、マリアの父が始終印象的なひとでした。私はとてもすきだった。
芸術を愛するひとで、チェロを弾くことを日課にしており、このような状況下でも、逆らうように日課を止めることのない父でしたが、最終的には家の美術品ともどもチェロも没収されてしまいます。不当な対応を覆すことのできないと悟るうえで、このチェロを奪われるシーンは呻くこともできませんでした。
ここまで「状況」が移り変わるその段階がグラデーションで描かれていて、最初に感じていた余裕がゆっくりとひき潰され、いつの間にか誇りや栄光だけで守ることのできない差が生まれていたことを感じます。

しかし、この矜持あるマリアの父は、作中で取り乱すことがなくて(ちょっと叫んだりはしたけれど)、彼女が家族を置いてこの国から逃げることを決断をしたときも、愛情深く娘に接するのです。
私は、あの別れが、辛かった。
勝手な想像ですが、娘との今生の別れに、自分の泣き顔よりも見せていたい表情があるのだと、そう思わずにはいられませんでした。

話は現代に戻り、絵画奪還の手続きのため、マリアとランディがかつての故郷へ向かうシーンが何度かあるのですが、マリアの言葉、心中を思うと、それはそれは苦しいものがありました。
帰りたいと思うんです。帰れるのなら。どれほど残酷で辛い思い出があったとしても。
でも返ってこない、それを突きつけられる。
あのとき、愛する家族や友人は散り散りになり、国に帰ることもできない。幸せだったころの思い出はすべて自分のなかだけで、形あるものは何一つない。
思い出があれば生きていける、そういう人生ももちろんあります。
ですが、不当に奪われたものをどうして思い出だけでなんて言えるでしょうか。彼らの存在がなければ今も変わらず幸せはそこにあったというのに。
それらは正しくすべて取り戻すことはできない。

ランディと訪れたかつての故郷で、マリアは「ここに住んでいた」と通りの角にある建物を見上げます。
エンディングでは、その建物へ向かい、今は会社のオフィスとして使われているかつての我が家を見学させてもらうのですが……その瞬間、過去が顔を出してくる。
かつての家を、私は覚えている。どこに家具が、調度品が、扉があるのかを知っている。そして、どこに誰がいたのかを。
父母、親族、かつての知人友人、関わってきたひとたちが、そこにいる。
二度と帰れないとおもった場所に帰ってきたのだと思うと同時に、なにをどうしても返ってはこないものもあると痛感する。
マリアの胸中は分かりません。分かろうとしても決して人の心は分かりません。けれど、この瞬間。私の胸には色々な想いが去来し、涙をこらえることができませんでした。

絵画奪還のバディ映画としても素晴らしい本作ですが、マリアの過去とその時代背景をうまく取り込み、知識がない人間が見ても肌で捉えることのできる良作だったと思います。


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