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遠くで雷がなっている

前回の記事のつづきというか、後日談です。

結局、パートナーのオッサンは救急で入院した翌日に退院しました。

CT撮ったり血液検査したり、色々やってもらったけど激しい腹痛の原因はよく分からなかったそうです。胃が疲れてるとか荒れてるらしい…とのことでした。

タクシーで連れて帰ると、昨日は一日中寝てました。時々寝室に様子を見に行くと、グッタリしたまま「延命処置はとらないで…」などとぬかすので、少し回復してきたことが分かりました。

ようやく起き上がって少しだけ軽いものを食べたのは、今日の昼になってから。明日は他の病院へ胃カメラ検査を受けに行くことにしたようです。

一人で家のことをすると結構大変です。今朝は起きて洗濯機を回してまずはワンコの散歩へ。その後、ワンコにご飯をあげたら洗濯物を干して、庭や玄関、ベランダの植物に水やり。もう1回洗濯機を回して、自分の食事を作って食べて片付けて洗濯物を再度干した頃には、起きてからすでに3時間半ぐらいが経ってました。俺は主夫か?というぐらいの働きぶりでした。

いつも二人でやってることを一人でやると何とも大変です。ワンコだっていつもはオッサンといろんなお友達に挨拶したり遊んだりして1時間以上遊びまくるのに、今日は誰にも会わずに20分だけサッと味気ない散歩。すまんな、ワンコ。

昼頃、家で仕事しよかと思ったら眠くなってしまったので、寝室でグッタリしてるおっさんの横で寝てたら心地よくて、結局夕方までゴロゴロしてしまいました。

夕方起きてワンコの散歩して、また庭や畑の水やり。オッサンにお粥作ったら食べてくれたので胃は回復してきてる模様。自分のご飯も作って食べて、洗い物してゆっくりしてたら、ワンコがジーッと見てくるわけです。

なんのわけだい?と、家の中でボール投げや輪投げをしてワンコの運動不足解消。ついでに自分の運動不足も解消。

ここに3日のモヤモヤの正体は、自分とオッサンの老後のことかな。んー、老後までいかなくても、なんというか、ソーシャルサポートの少なさ?片方に何かあると、もう片方にすべての責任がいくところか。自分たちのカップルとしての家庭が、社会に閉じてる感じかな。

近くに同じ中年のゲイカップルが住んでたりしたら、助け合えるのだろうか、なんて考えたりする。東京の中野あたりのゲイタウンじゃなきゃ難しいか。

でも、この考えはなんか違う気がする。地域の助け合いを同じセクシュアリティの人だけに限定しょうとする自分の心には、近所の人に対する偏見や不安があるのだ。

時々立ち話する隣の一人暮らしのオバサンや、裏の一人暮らしのおじいさんと助け合えればいいのだ。彼らは僕らが同性カップルだと分かった上で接してくれている。それに、あの人たちだって、何かあった時には助けが必要なんじゃないだろうか。

性的マイノリティの孤独は、個人だけで起きる問題じゃない。拒絶不安で殻に閉じこもれば、ゲイカップルは地域で孤立する。

オッサンの弟夫婦と初対面する話も進めなければ。その先には、オッサンの両親への挨拶も念頭にある。

いろいろ考えちゃうな。久しぶりに友達と話したい。明日はもう少し効率よくできるはず。おやすみなさい。

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