ルワンダジェノサイドについての下調べ
タンザニアにいるときに、ルワンダ大虐殺について調べて日記に書いてました。
投稿し忘れていたので、あげます!
間違いがあればinstagaramの方からメッセージいただければ幸いです!
ルワンダ大虐殺
ルワンダ大虐殺と調べるといろんなサイトが出てきます。最近はyoutubeも勉強に効果的だと思うので、youtubeを見て学んだりしています。映像だと6,7本見るだけで、大枠をつかめていいですね。ルワンダに行くにも関わらず何も知らなかったんだなということにまたもや気付かされました。
【かなり悲しい歴史なので、苦手でしたら飛ばしてください】
ルワンダは、タンザニアと同じく第一次世界大戦まではドイツの植民地でした。ドイツが敗戦したのち、ドイツは植民地を失い、ルワンダはベルギーの植民地下となります(ベルギーの植民地と聞くと、ベルギー国王のレオポルド2世がコンゴ民主共和国に対して行っていたことも残虐でおそろしいです)。
ルワンダの民族
もともとルワンダには大きく分けて2つの民族が住んでいました。
15%がツチ族、84%がフツ族です。(1%はトゥワ族)
ツチ族、フツ族は同じ文化、同じ伝統、同じ言語を話していたと言われ、ツチ族が牧畜を、フツ族が農耕をしており、それくらいの違いだったという説があります。ベルギーの植民地統治までは、ツチ族とフツ族の仲はよく、結婚も族を超えてしていたそうです。
分断統治による植民地支配
ベルギーは、ルワンダの統治に、ヨーロッパ諸国がよく用いていた分断統治(分割統治)というものを用います。ベルギーは、ツチ族を、背が高く、肌の色が薄く、鼻が高くヨーロッパ人に似ているから人種的に優れているとし、ツチ族にのみ教育の機会、参政権を持つ特権階級を与えました。それにより、今まで全く気にしていなかったにも関わらず、ツチ族とフツ族に人種的な差異を植え付けられます。フツ族は何十年にもわたりツチ族に差別を受けていたそうです。
分断統治をすることで、互いの民族が恨みあい、統治している側に一致団結して矛先が向かないようにすることができます。アフリカの民族はこうしてヨーロッパ諸国にぐちゃぐちゃにされてきました。
ツチ族がフツ族を虐げるという期間が長く続き、1962年になるとルワンダはベルギーの統治から独立いたします。独立の前年に共和制となり、フツ族の出身の方が初代大統領に就任します。そこからフツ族の今までの恨みを返すかの如く弾圧を開始し(ルワンダ革命)、ツチ族との争いが激化していきます。30年以上内戦があったと言われています。
ルワンダ大虐殺のきっかけ
しかし、1994年フツ族の大統領を載せた飛行機が何者かにより撃墜されます。そのニュースを聞いたフツ族は、ツチ族の仕業だと思い、報復を始めます。これが3ヶ月で50万人(80-100万人とも)の一般人が一般人の手により虐殺された、ルワンダ大虐殺の始まりです。
大衆がよく聞いていたラジオまで用い「ツチ族を根絶やしにしろ。フツ族はナタやくわを持って家を出ろ。フツ族の強さを見せてやれ。」という放送が連日続いたそうです。それにより、隣人が隣人を殺すという大虐殺が起こりました。
youtubeには住民同士が殺し合う様子だったり、道中に転がる死体、海に浮かぶ死体の山などもあって想像を絶しました。国連の平和維持軍の将軍のドキュメンタリーも見つけたので、少しずつ見ていきます。
ムランビでの虐殺
ムランビ技術学校という場所では1日で4.5万人の方が虐殺されたそうです。死体もミイラ化し、そのままの状態で残っているそうです。少し遠いですが、日程を調整していってみようと思ってます。詳しくはまたその時に書きます!
古くない悲しい歴史
この大虐殺、1994年に起こっていて、まだ30年も経っていません。そんな遠くない過去にこんな恐ろしい事件があったというのがとても驚きです。
生まれる場所が違えば自分も巻き込まれていたかもしれないと思うと、本当に恐ろしいです。ウクライナ-ロシアの戦争もそうですが、悲しい事態は世界が協力して止めないと、また繰り返してしまうことになるなと感じています。
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