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あの日の会話とつながっている現在 今の会話とつながる未来

 当たり前なのだけど、”あの時あっちに行ってたら、どんな人生になっていたんだろう?”という瞬間が長いスパンで振り返るとたくさん!ある…今、結構真剣に振り返ると実に143回もあった…転勤断っていたら?転職しなかったら?最初のプロポーズ受け入れていたら?誘われたスノーボードを断らなかったら?もっと遡れば、転校するのを断固として親に拒否していたら?もう一つ合格していた大学に入学していたら?等々…

 そして、それら全てのキッカケ、というか判断基準になっていたのが、誰かとの”会話”だと気付く。ぼくは全ての判断を、ぼくが信頼する(或いは信頼していない)誰かとの会話で決めてきたのだ。そして、振り返るとそれらの会話には明確なルールが2つあった。それは、”ネガティブな会話ほど後の判断に影響を及ぼしていた”ということと、”現実味の無い会話ほど大きな判断に影響していた”という事実。

 正直ぼくにも”何故?”という理由は分からないのだけど、”だからこうする!”という行動指針とともに書いてみたいと思います。

1.ネガティブな会話ほど後の判断に影響を及ぼしていた

高山寺

 ”結局岸本さんのアドバイスは、売上をどう上げるかばっかりで、私のやりたいこととは全然違う。それじゃ意味が無いの。

 怒鳴る訳でも、怒る訳でもなく淡々と訴えるように話していたのは当時ぼくのクライアントだった東京のエステティックサロンの女性オーナー。確か2005年のことだったと記憶しているので、ぼくより3歳年下だった彼女は当時37歳だったはず…

 当時経営コンサルタントとしてチームリーダーとして、業界の中でも少しづつ名前も知られるようになって、大規模のクライアントも数件担当し、正直”もっと、もっと!”と強く”売上規模こそが正義!”と信念になりかけていた時期でもありました。

 丁度そんなタイミングでまだ1店舗しかない、小規模エステティックサロンのオーナーから新店舗出店の戦略策定を依頼され意気揚々とアドバイスしていた時の会話が冒頭の言葉。

 ”えっ?売上を上げることが意味ないってどういうこと?”、”成功させたいっていったよね?”、”売上以外の成功って何?”等々様々な思いが頭を駆け巡り…

 その後3時間ほど議論し、話は決着したのですが、ここではぼくの転換について。今になって考えれば、ぼくの中に”結局規模が大きい会社にできる経営者こそ能力が高い。経営者は皆それを目指している”という明確な誤解があった。今でも構造上仕方ないこととは言え、もてはやされる経営者はアマゾンのジェフ・ベゾスであり、グーグルのスンダー・ピチャイ(或いはラリー・ペイジ)であり、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグだ。Zapposやトニー・シェイの名前も一部では知られているけど日本で知っている人はほんの一部に限られる。それでも意味のある事業を継続している会社はたくさんあって…

 ”みんな知らないけど、もてはやされもしないけど、でもとても大切な会社がある

 そんな”もう一つの方針”がぼくの中にできた瞬間でした…

 ちなみにこのオーナー結構なレベルでぼくの記憶に残る名言を残しておられまして…

 ”経営コンサルタントって自分で経営してるわけじゃないから、竹刀剣術と同じだよね”

とか

”ホームレスでも大人物はいるし、お医者さんでもクズはいるよ。職業じゃなくて人で判断しないとね

 まぁまぁしんどい人でした…

2.現実味の無い会話ほど大きな判断に影響していた

琵琶湖

 正直ぼくだけの特性なのかもしれないけど、ぼくは今の状況から考えると”そんな未来は来ないよね!”という会話をするのが好きだ。23~27歳の頃はずっと会う人会う人に”ぼくは経営コンサルタントになる!”と小学生の憧れレベルで話してた。

”君は化粧品会社に勤めてるんだから、もっとすべきことに集中しなさい!”

とか

”そんな職業として成立していない(当時経営コンサルタントはまだ大半の人に認知されていなかった)ような仕事ってどうなの?”

など、悪気なくぼくを戒めてくれる会話が大半でもありました。ただ、そんな中、ごく稀に”それいいじゃん!”と肯定してくれる人が現れる。そうするともうずっとその人と妄想といっていい位の未来の話が続く。

”それだったら、講演テープとか売ればいいんじゃない?あっ、MDか?”

”日本の存在感上げるようなコンサルタント目指せば?”

今のぼくが見ても、中二病の現実逃避にしか見えないやり取りではありますが、この会話が今のぼくを作っています。

そして、この会話の相手であるぼくの友人は以下の中二病的会話をやはり実現しました。

”オリンピックが大好きだから、オリンピックに関連した仕事がしたい”

”世界的ミュージシャンと仕事がしたい”

 そして最後に…

今ぼくは、日本の中に世界中から人が集まる街を作りたいと考えてます。画家になりたい人が目指すパリのような、株式投資の世界で生きる人がウォールストリートを目指すような、日本だとアニメの好きな人が世界中から集まる、そんな妄想を喚起する会話を続けています。

 

#あの会話をきっかけに

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