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お父さんと一緒に、奇妙な、カジノに似た場所へ来ていた。
射的やピンボール、ダーツ、ビリヤード、競馬ゲーム、麻雀、ポーカー、入り口の少し奥にはバーカウンター、他にもたくさんの出店やギャンブルが揃っていた。
中にいる客や従業員は、様々な形をしていた。
タコ頭、毛むくじゃら、硬い金属のような塊の者、そしてヒト型の者。スライムのような体で常に変形しながら動く者もいたし、黒い何かが衣服を纏ったような、実体があるのか判らない者までいた。人間の姿もちらほら見受けられた。
受付で渡されたプラスチックの透明書類鞄の中には、見たこともない通貨のお札が2束入っていた。
最新のポータブルゲーム機くらいの大きさで、薄く灰色がかった紙に濃い灰色で文字や記号が印刷されている。
明らかに日本円ではないし、どの国にも存在していなさそうな紙幣だった。
カジノに入る前、この為に用意しておいた日本円と両替したのだった。
お父さんは10万円、わたしは5万円を両替して、それぞれ百万円くらいの厚さの札束を4束と2束受け取った。
受付の従業員が注意事項の書いてある縦長のカードを渡しながら説明を始める。
「ここでは今お渡しした独自の通貨のみ使用できます。お金が足りなくなったからといって、ご自身の故郷の通貨を使うことはできません。ここから先の両替は原則禁止ですが、どうしても両替したいお客様は受付までお申し付け下さい。
また、お客様同士のお金のやり取りは自由でございます。
お帰りの際に利用料をお支払い頂きますのでご承知下さいませ。
ギャンブルに関してお客様同士のトラブルが発生した場合、私共では一切の責任を負いかねます。
時間制限はございません。心ゆくまでお楽しみ下さい。」
左右に鋭く尖った頭を持つ従業員は、表情を変えずどこか遠くの一点を見つめながらそう言った。
「利用料って、いくらなんだ」
父が聞くと、従業員は
「利用料に関しましては、お客様個人によって金額が異なる為お帰りの際にお伝えさせて頂きます。」
と、目線を変えずに答えた。
「・・・払えなかったらどうなるんだ」
「そちらの質問にはお答え致しかねます。節度を持って楽しんで頂ければ利用料を払えなくなるということはございませんのでご安心下さい。」
「・・・そうか。」
「最後に、こちらがこのカジノ内で個人を特定する為のキーでございます。すべての施設を使う時に必要なログインパスのような物で、こちらを失くされてしまいますとカジノ内の一切のサービスをご利用いただけませんのでご注意下さい。また、イカサマ行為などの不正もこのキーを通してこちら側に通知されるようになっております。くれぐれもそのような行為は控えて頂きますようお願い致します。」
わたしとお父さんに1枚ずつ、黒いカードキーが渡された。
「説明は以上になります。それでは、行ってらっしゃいませ。」
従業員がそう言って頭を下げると、受付に入ってきた時とは反対の扉が開いた。
わたしとお父さんは、そうしてこのカジノの中に足を踏み入れたのだった。

まず、何があるか歩いて辺りを物色することにした。
そこは一部屋の大きな舞踏場のように見えたが、歩いていくと部屋は無限に広がっていた。部屋の端の方へ沿って歩いていたつもりなのに、いつまで経っても壁へ当たらないのだ。
「・・・この部屋、どうなってるんだ?」
「知らないよ・・・お父さん、もっと部屋の真ん中のほうを歩こうよ。怖い。」
「そうだな。」
わたしたちはくるりと向きを変えて、元来た方向へ戻っていった。すると、先ほどのエントランスやバーカウンターが見えてきた。
「・・・よかった。」
「もう部屋の端の方へ歩くのはやめよう。お父さんちょっとバーカウンターでお酒を買ってきてもいいか。お前もなんかいるか?」
「・・・いらない。」
「そうか。じゃあちょっとここで待ってなさい。すぐ買ってくるから。」
小走りでバーカウンターへ向かっていった父親を横目に、わたしはカジノ内をぐるりと見渡した。
濃い焦茶色のフローリングと、黒色の壁面に同じ黒の光沢がかった模様の入った壁。紅いベルベットを基調としたソファやカーテンには、金の装飾が施されている。錆びた銀か銅のような窓枠にはめられたガラスの外は、真っ黒だった。
「ちょっと、お嬢ちゃん」
わたしの目の前に、ラメが散りばめられた紫のボディコンドレスを着た女が煙管をふかしながら現れた。
わたしは1人でいる時に誰とも話したくなかったので、女のことを無視した。
「ちょっと、そこのお嬢ちゃんよ。あなたあたしが見えないの?」
「・・・なんですか。」
あまりにもしつこかったのでつい、返答してしまった。
「あなた、お金持ってない?ここのやつ。あたしドルでもユーロでもなんでも持ってるから、交換してくれないかしら。」
女は少し焦った様子でそう聞いた。
「持ってますけど・・・わたし日本円がいいです。」
「あるわよ。日本円だと・・・7万5千円ね。7万5千あげるから、300万と交換してちょうだい。」
「え・・・ここの通貨の単位が分からないけれど、わたしここのお金2束しか持ってないし、最初に両替したの5万円だから絶対にそんなに持ってないと思います・・・300万なんて・・・」
「・・・使えないわね、あなたそれで何するつもりだったの?そんな端金じゃ何もできないわよ。」
「そんな・・・」
「ここから出ることもできないんじゃないの。よくのうのうと入ってこれたわね。」
「おーい。お待たせ。ごめんごめんちょっとバーカウンターが混んでてさ。お前にも一応サイダー買ってきたよ。ん?誰だこの人は。」
「あら・・・お父様ですか?わたくしちょっと両替をしてもらいたくてこの子に話しかけましたの。けれどわたくしが交換していただきたい金額を持っていなかったので、忠告をしていたところですのよ。ところで、お父様はおいくらお持ちでして?」
「忠告・・・?両替なら、受付に行けばしてもらえるじゃないか。」
「なんてこと・・・一旦このカジノ内に入ったら受付での両替は原則禁止ですのよ。お父様説明を聞いていらっしゃらなかったのかしら。」
「聞いていたが・・・それでも両替が必要なら受付に来いと言っていたぞ。」
「その説明カード、よく読んでいらっしゃらないのね。受付での両替は利子が付きますの。」
「なんだって。」
「その利子があまりに高額なもんですから、誰も利用しないのよ。受付での両替は死を意味しますわ。」
「死・・・?そんな大袈裟な」
「分かってらっしゃらないのね。ここは普通のカジノじゃないの。あなた方が心底欲しがっているものから、本当の"夢"まで買える場所なのよ。だからリスクも大きいの。」
「何を言っているのかさっぱりだ。そもそも私たちは、ここの招待券を友人にもらったから遊びに来ただけだ。夢なんか買いに来ていない。少し遊んだら出るつもりだ。他人と取引もしない。」
「まあなんでもいいですけれど、娘さんの金額はここから出るには少なすぎてよ。出れなかったらどうなるか分かっているの?」
「それは・・・お前こそ知っているのか。出れなかったらどうなるのかを。それに、利用料は一人一人違うと受付の者は言っていた。お前に娘の利用料は分からないはずだ。」
「まあ噂程度だけど・・・出られなかった者はここの"原動力"になるらしいわ。わたしは長くここにいるから分かるけれど、その子の持ってる金額で出れた"人"を今まで見たことがないのよ。ずーっとここにいるわ。何時間、何日、何年経ったか分からないけれど、あたしはずーっとここにいるの。窓の外はいつも真っ黒だし、自分が老いた感覚もないからどれくらいの間ここに居るのか分からないのよ。でも、確かよ。娘さんの金額では外に出られない。」
「そんな・・・なら、どうすればいいんだ。」
「増やすしかないわね。あたしもちょうどそれに困ってるところだし、協力して金額を増やさなくて?」
「協力だって?お前はいくらあるんだ」
「あたしは300万よ。あと300万は欲しいところなの。掛け金が多ければ多いほど勝った時のリターン率も上がる。だから複数人で協力したほうが得なのよ。」
「そんなのハイリスクじゃないか。」
「小さい金額でちまちま勝ったところで、全然足しにならないのよ。時間の感覚は分からなくなっているけれど、ここに長くいればいるほどお腹は空くし喉も渇く。カジノ内には自動販売機やコンビニ、レストランなんかもあって、そこで使う通貨もここのものに限定されているの。そんなことやってたら一生ここから出られやしないわ。」
「大きく勝負に出て一発当てるしかないということか・・・」
お父さんとわたしは、何か来てはいけない場所へ足を踏み入れてしまった気分になった。どうするか考えていると、出口の受付で手続きをしている客が目に入った。
「お帰りでございますね。精算でよろしいでしょうか。承知しました。それでは、利用料とキーをお預かり致します。お客様の利用料は168万でございます。はい。ちょうどお預かり致します。ご利用誠に有難う御座いました。またのご利用をお待ち致しております。」
そう言って受付の従業員は紙幣とカードキーを受け取り、客は扉の向こうへ消えていった。
「おい、ちょっと待て!あいつは168万だったじゃないか!200万あれば出れる!嘘をつくな!」
「落ち着きなさい。言ったでしょ。200万以下で出た"人"は見たことないって。他の生物は別よ。それぞれの世界のレートが違うの。」
「なんだって・・・じゃあやっぱりゲームをしないといけないのか・・・」
「お父さん・・・さっさと終わらせて出ようよ。こんな所にずっと居たくない。」
「・・・そうだな。」
「比較的勝ちやすいゲームがあるわ。そこに行きましょう。」

わたしたち3人はエントランスを左に進み、かなり長いこと真っ直ぐと進み続けた。
「・・・まだなの?」
「もうそろそろよ。」
「どんなゲームなんだ。」
「競馬ゲームよ。入り口にあった本物さながらの大きなやつじゃなくて、小さい飲み屋とかにある箱型の。」
「・・・そんなので大金を作れるのか。」
「大丈夫よ。そこの競馬ゲームは機械にお金が溜まったら大当たりが出やすくなるようになっていて、今がその時なの。ずっと観察しているから確実よ。」
「でも、小さな競馬ゲームごときで出る額なんかたかが知れているだろう。」
「舐めちゃいけないわ。さっきも言ったけれど、ここは普通のカジノとは違うのよ。大金を入れれば入れた分だけ当たった時のリターン率は上がる。正しいタイミングでゲームをすれば確実に金額を増やせるのよ。」
辺りは先ほどより少し薄暗くなり、飲み屋街のような装いの出店が増えてきた。店先には煙草を吸いながら談笑している紳士達やガールズバーのキャッチがいる。
さらに少し歩いて行くと、街の賑やかさは落ち着き数十メートルに1軒ぽつりぽつりと明かりを付けた店が並んでいるだけになった。
「ここはなんなんだ・・・カジノ場の中じゃなかったのか。」
「全てカジノの一部よ。そしてこの先もずっとカジノは続いてる。永遠にね。」
「わたしたちちゃんと戻れるんですか?」
「戻れるわよ。来た道をちゃんと辿れば元いた場所に戻れるわ。だから、無闇に当てもなくうろうろしない方がいいの。道がわからなくなると戻ることはできないのよ。」
「・・・・」
「ここよ、この店。」
女が立ち止まった店には、古びた木のドアにOPENの文字が書かれた看板がぶら下がっていた。歪んだ窓からは暖かそうな明かりが漏れていて、微かに客同士の話し声も聞こえた。
「随分と古そうなバーだな。」
「カジノの奥深くにあるもの。きっと相当な年月が経っているわ。」
女はそう言うとバーのドアを開けた。
「いらっしゃいませ。」
ドアを開けると右手の斜め前にカウンターがあり、中に老紳士が立っていた。老紳士は手にグラスとクロスを持っており、ここのバーテンダーらしかった。
左側には手前にダーツスペースと、奥にビリヤード台がそれぞれ1台ずつ置かれていた。
「とりあえず、何か頼みますか?お嬢ちゃんはジュースで。」
女はバッグを漁りながらカウンターに近づいて行き、メニューを眺めた。
「そんな暇はない。私たちはとっととゲームを済ませてここを出たいだけだ。」
「そんなこと言わずに。さっきだってビールを飲んでいたじゃないの。ドラフトだったかしら?ここにあるのはハートランドとハイネケン・・・それから」
「もういい!酔っ払ってる場合じゃないんだ。楽しんでる暇はない。早くここを出たいんだ。」
「でも、折角お店に来たのに何もお店のものを買わないなんて失礼よ。それに、ここのルールは楽しむ事なの。一度も楽しんでない者は帰れないわ。受付係もそう言っていたでしょう。」
「楽しむって・・・そんなのどうやって分かるんだ。主観じゃないか。」
「その主観がこのカジノには分かるの。上辺だけ楽しんでいてもだめよ。人に合わせていてもだめ。心から楽しんでいないと帰らせてくれないわ。」
「そんなこと言ったって・・・こんな状況で楽しめるわけがないだろう。」
「だから手始めに乾杯するのよ。このカジノと、あなた方に招待券をくれたご友人と、すべてのものにね。さあ、何を飲まれます?」
「・・・じゃあ、ビールで・・・ハートランド・・生で」
「お父さんお酒飲むの・・・」
「仕方ないだろう・・・楽しむ努力をしているんだ」
「お嬢ちゃんは?」
「わたしは・・・オレンジジュース・・・」
「マスター、オレンジジュースと、ハートランドをドラフトで、それからマティーニをお願い致しますわ。」
「かしこまりました。お席に着いてお待ちくださいませ。」
わたしたちは横一列に座った。
カウンター席からは、たくさんの酒のボトルが見えた。
「マスター、ここは、どれくらい長い店なんですか。」
父が煙草に火を付けながら、バーテンダーの老紳士に話しかけた。
「そうですね・・・このカジノができたときからあると思います。」
「それは一体どのくらい前・・・」
「私共にも分かりません。自分がどのくらいの間ここで働いているのかも分からないのですから・・・」
「はあ・・・」
「お待たせ致しました。ハートランド、オレンジジュース、マティーニでございます。」
「じゃあ、あなた方にに出会えた記念に。乾杯」
「・・・乾杯」
「ところで、その競馬ゲームとやらはどこにあるんだ。」
父が聞くと、女はバーテンダーの老紳士に話しかけた。
「マスター、いまどのくらい溜まってるかしら。」
「そろそろ出る頃だと思います。あと1,2ゲームほどで」
「それなら今行くしかないわね。着いてきてちょうだい。」
女は席を立つと、カウンターの奥まった所へと向かっていった。
わたしたちもお酒とジュースを片手に着いて行った。
そこには、カウンターの窪んだ所に1台だけ、ひっそりと小さなボックス型の競馬ゲームが置いてあった。
とても古そうな機械で、馬の形にくり抜かれたところがピカピカと点滅している。
お金を入れる場所は紙幣のみで、コインの投入口は見当たらなかった。
「コインじゃないんだな。」
「当たり前でしょう。大金を増やすんだから、コインでちまちまなんかやってられないわ。じゃあ早速、それぞれ手持ち金がいくらあるか見せ合いましょう。あと1,2ゲームで当たりが来るみたいだから、最初に持ち金の10%を掛けて様子を見てから全額投入よ。」
「全額も掛ける必要ないだろう。」
「あるのよ。さっさと出してちょうだい。」
仕方なくわたしと父はそれぞれの持ち金を出した。
「あたしは300万。お嬢ちゃんは200万ね。お父様は399万と8500・・・じゃあ最初は切り上げて40万にしてちょうだい。あたしとお嬢ちゃんの30万と20万を足して、90万ね。じゃあいくわよ。」
女が90万の札束を機械に入れボタンを押すと、競馬ゲームが始まった。光の馬が点滅し、コースを走っていく。
3周したところで勝敗がつき、レースが終わった。
「終わったみたいね。ここが赤く光り出したわ。次でくるわよ。」
女が指差した先にはランプがあり、赤く光っていた。女は全員の持ち金を機械に突っ込みボタンを押した。
再び光る馬が走り出し、コースを3周する。勝敗がつきレースが終わると、機械から大量の札束が出てきた。
「やったわ!大当たりよ!最高の30倍だから・・・2億!2億はいってるわ!」
「すごい・・・」
「本当に1ゲーム単位まで狂いもなく分かるものなのか・・・」
「言ったでしょう、観察してたのよ。」
「なるほど・・・さあ、早く元の割合に分けよう。」
「ちょっと待ちなさいよ。乗ってきたのだから、もっと増やしたいと思いませんの?」
「私たちは帰る金があればそれで十分なんだ。もっとやりたいならこの先は1人でやれ。」
「そんな冷たい事言わないでくださいな。ここのカジノには勝てるゲームと勝てないゲームがあって、あたしはそれを知っているのよ。それに、そろそろお腹も空いてきたことでしょう。ここにはなんでも揃っているから、今までずっと食べてみたかったものだって買えるわ。欲しいものだってなんでも売ってるし、温泉なんかもあるのよ。楽しむ事がルールなんですから、浮いたお金で楽しんでから帰るべきよ。」
「ふむ・・・だが、今のゲームで私はもう十分楽しんだ。」
「いいえまだよ。あなたはまだ心の底からこのカジノを楽しんではいないわ。お嬢ちゃんもね。」
「なぜ分かる。そんなの主観だ。本人が決める事だ。」
「楽しんだと言い張るなら構わないけれど、出口は通してくれないわよ。カジノは主観が分かるの。」
「どういうことだ。」
「楽しむ事を忘れたまま精算すると、支払いは行われるけど出口は開かないの。そうなると従業員にカジノの中に戻されて、永遠にこの中を彷徨うことになるわ。」
「そんな・・・」
「だからまずは楽しまなくちゃ!ほら、何が食べたいのかしら?」
「よく分かった。"楽しむ"ことを終わらせなければ出られないんだな。じゃあ存分に楽しんでやろうじゃあないか。だが、金は元の割合に戻してもらう。」
「・・・分かったわ。」
掛け金809万8000が30倍になって、わたしたちは2億4294万を手にした。そして元の割合通り、父は1億794万、わたしは5400万、女は8100万を受け取った。
「まずはエントランスに戻って、食事でもしましょう。お嬢ちゃん、お腹空いたでしょう。」
「空いた。」
わたしとお父さんは女の後について、元来た道を戻っていった。
街の風景も徐々に賑やかになり、それからまたカジノ場の屋内の内観へ戻っていった。建物の外から中へ、中から外へ行くという感覚はなく、ただ少しずつ景色が変わっていくのだった。
しばらく歩いていると、最初にいたエントランスが見えてきた。横には大きな競馬ゲーム、反対側の階段を登った所には高級そうなレストランと、温泉浴場らしき場所があった。
他にもブランド物の服屋や、見たことのないものばかり売る店、アイスクリーム屋、玩具屋、映画館、見えるところだけでもなんでも揃っているようだった。わたしはその中のひとつの店に、ずっと欲しいと思っている最新のゲーム機を見つけた。思わず見惚れてしまい、勝手に足が店へ動いていく。
「ここで1番品数が揃ってるレストランに行くけれど、それで良いかしら。」
女は階段の方へ身を向けてながら、首をこちらへ曲げて言った。
「なんでもいい。」
父親はそう言いながらわたしの手を引いた。
「離れるな。離れたらもう二度と帰れなくなるかもしれんぞ。」
わたしはぞっとして父親の手を強く握りしめた。

わたしたちは、女が勧めたレストランへと入って行った。
店内は様々な客で溢れ返り、賑わっていた。入り口に立つと、ウエイトレスがやってきて3名様でよろしいでしょうか。と聞いた。わたしたちは奥の空いているボックス席に通され、テーブルにはメニューとカトラリーセットが置かれた。
「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのブザーでお呼び下さいませ。」
そう言ってウエイトレスは去っていった。
「さあ、何にしましょうかしらね。」
女はメニューを広げて見た。
メニューは分厚く、辞書のようだった。
和洋中はもちろん、世界各国の料理や、食べ物とは思えないような品もあった。
「あたし達が食べれる物はこのへんよ。別に他のものを頼んでもいいけど、食べた後どうなるかは知らないわ。」
わたしと父は人が食べられそうな品のページを眺め、どれにするか選んだ。
「10万・・・30万・・・随分と高いんだな。」
「あたし達の世界とは相場が違うのよ。注文は決まったかしら。ブザーを押すわよ。」
女がブザーを押すと、ウエイトレスがやってきた。
「ご注文をお伺い致します。」
「あたしはエビとモッツァレラのキャビアパスタ。あなた方は?」
「私はクスクスで」
「クスクス?変わった物を頼むのね。」
「・・・前から食べてみたかったんだ。」
「"楽しむ努力"をしているのね。良い心掛けだわ。」
「わたしは・・・オムライス。」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ。」
注文を取り終えたウエイトレスは笑顔で厨房へ戻って行った。
「・・・そんな高そうなものを頼んで大丈夫なのか。」
「大丈夫よ。今わたしは8100万もあるの。雀の涙と一緒よ。」
「・・・」
「ところで、この後はどうするんだ。まだ他にゲームをやりたがっていたじゃないか。何をするつもりなんだ。」
「そうね。わたしが考えているのは・・・射的かしらね。狙って撃てば勝てるもの。」
「別になんでもいいが、射的に勝敗はないだろう。相手がいない。」
「相手がいなくても勝敗はあるわよ。掛けた金額より高額の的に当たれば勝利よ。」
「それはどこにあるんだ。また遠い所に行くのはもう嫌なのだが。」
「大丈夫、すぐそこよ。食べ終わったら行きましょう。」
「お待たせ致しました。エビとモッツァレラのキャビアパスタとオムライスでございます。」
「お先に戴きますわね。」
「どうぞ。」
「いただきます。」
「お待たせ致しました。クスクスでございます。」
「ありがとう。」
「ご注文は以上でお揃いでしょうか。では、こちらに伝票を失礼致します。」
そしてまたウエイトレスは笑顔で去って行った。
「なんだ、お前のパスタ100万もするじゃないか。」
「あなたのクスクスだって30万でしょう。」
「狂ってる。」
「それがここの相場なのよ。」
食事を終え、わたしたちはレストランの外へ出た。
「お父さん。」
「どうした?」
「わたし、あれが欲しいんだけど・・・」
わたしはさっきの玩具屋に並んでいるゲーム機を指差した。
「あれか。ずっと欲しがっていたもんな。ちょっと見に行ってみるか。おい、大丈夫だよな。」
「大丈夫よ。自分がどこに行きたくて、どこに戻りたいのかが分かっていれば迷うことはないわ。」
「じゃあちょっと行ってくる。」
「あたしも少し買い物をするわ。大当たりが出たんでね。景気付けの買い物よ。」
「それじゃあ、お互い買い物が終わったらこのレストラン前に集合でどうだ。」
「分かったわ。」
わたしとお父さんは一旦女と別れて、ゲーム機が置いてある玩具屋へ向かった。
玩具屋はすぐそこだった。
「へいらっしゃい。玩具ならなんでも揃ってるよ。最新のものからビンテージまで。いろんな世界の物を扱っているよ。」
玩具屋は出店のようになっていて、中におじさんが立っていた。おじさんはくるくるパーマで唇が厚く紫色で、大きな腫れぼったい目をしていた。体は頭と同じくらいの大きさで、2頭身だった。
「あの・・・このゲーム機が欲しいです・・・」
「ああ、これね。君、人間?これは人間の世界の最新型のゲーム機だね。7500万だよ。」
「7500万?!そんなに持ってない・・・もっと安くなりませんか・・・」
「だめだめ。こっちも安く売れるギリギリのところでやってんだから。あんた親御さん?あんたが払えばいいじゃないか。いくら持ってるの。」
「私は・・・ちょっと、相談させてください。また来ます。」
「まったくしょうがないね。また来たときに売り切れていても文句言うんじゃないよ。」
「分かりました。」
わたしとお父さんは一度出店を離れ、通りの端に向かった。
「いいか、お父さんは今1億と800万くらい持っている。お父さんがお金を貸せばあのゲーム機は買えるが、いくらあれば外に出られるか分からないんだ。それでもあのゲーム機が欲しいか?」
「・・・欲しい。」
「参ったな・・・。それじゃこうしよう。もう一度あの店に戻って、おじさんに人間の利用料はいくらか聞く。そして、2人分の利用料が残るようだったらゲーム機を買おう。」
「・・・分かった。」
そしてまたわたしたちは玩具屋に戻った。
「へいらっしゃい。なんだ、またあんた達かい。ゲーム機、買うのかい?まだ売り切れちゃいないよ。」
「オーナーさんに、ひとつ伺いたいことがあるんです。」
「なんだい。値下げはしないよ。」
「値下げは結構です。ただ、もし分かれば、私たち人間の利用料を教えていただきたいんです。」
「利用料?・・・ああ、帰るときの金かね。あれはひとりひとり別に決められてて、一緒じゃないんだ。」
「それでも、人間がいくら以上必要かだけでも教えていただきたいんです。」
「困るねぇ。カジノの仕組みは客に教えちゃいけないことになってるんだよ。ルールなんだ。」
「そんな・・・でも私たちは来たくてここへ来た訳ではないですし、もう本当にどうしてもここから出たいのです。ここに居るのは不本意なんです。」
「そんなに言うなら・・・教えてやらんでもないがね。但し、こっちもルール違反をしてるんだ、料金の10%上乗せするよ。それから、教えるのはお前さんがゲーム機を買った後だ。なあに、持ち金が少なくなったって、ここはカジノなんだからいくらでも増やせるさ。さあ、どうする?」
「・・・このゲーム機を買ったら、とっても嬉しいか?」
「うん!」
娘は目を輝かせながら元気良く返事をした。
「・・・よし、買おう。」
「毎度あり。8250万だ。」
「ちょうどだ。」
「どうも。ほらよ、お嬢ちゃん。良いパパでよかったな。」
「ありがとうお父さん!」
娘は心底楽しそうな顔つきをしていた。
「じゃあ教えるけどよ、他の奴にバレちゃまずいんで、店閉めるから裏に来な。」
そう言うとおじさんは、
はいはい、今日はもう終わりだよ、また夜時になったら開けるから、欲しいもんにつば付けときな。と言って店を大きな麻の布で覆った。
私は娘を連れて、店の裏へ周った。
「そこに座りな。あのなあ、カジノはルールでできている。そのルールの中には、商売人が客に教えちゃならねえルールもある。だが俺はお前にそれを今から教えてやるんだ。そのでえじさはよく覚えとけよ。」
「はい。」
「まず、人間の利用料の相場だけど、年齢による。以前俺の店にこんくらいの人間の赤ん坊が来たんだが、ちょいと興味があってそいつを退場まで見張ってたのさ。そしたら、200万だったね。」
「200万・・・というか、その赤ん坊は1人だったのですか。」
「1人さ。別に何人で来ようが関係ない。」
「でも、赤ん坊なのにどうして1人で歩き回れるんです。お金も払ったんでしょう。」
「歩けるとか喋れるとかは関係ないのさ。そいつも俺の店で買い物していったが、別に喋った訳じゃない。歩けなくても行きたい所があれば着くし、喋れなくても欲しいものがあって金があれば買えるんだ。その赤ん坊は"政治家になるという夢"を買っていったよ。その後すぐ、帰っていった。」
「それは一体何時頃の話ですか・・・」
「いつだったかな、お前らの時間軸でいうと・・・ちょっと待てよ、俺はこういう計算も得意なんだ。えーと・・・そうだな、お前らの西暦という呼び方で、1889年ごろだな。」
「1889年・・・その赤ん坊って、どんな見た目でしたか」
「どんな見た目って、あまり覚えちゃいないが、白かったな。」
「・・・」
「ともかく、赤ん坊で200万だ。年取るごとに増えていく。お嬢ちゃん、君いくつだね。」
「・・・12歳。」
「12歳か。なら大体、2400万だね。」
「そんなに・・・」
「親御さん、あんたはいくつだね。」
「38歳です。」
「なら、7600万だね。ちなみに、ここに居れば居るほど利用料は高くなっていく。」
「そんな・・・それはどのくらいなんですか。」
「知らないね。それは客の主観によるんでね。客が長く居すぎたな・・と思うとそれだけ利用料が高くなる。あんた達はどのくらいここに居るんだい。」
「それは・・・分からないけど、半日くらいだと思います・・・」
「それならそう思っておいた方がいい。ここには時間という概念がない。だから、長く居すぎたなと思うともうカジノに目をつけられてしまうのさ。カジノの原動力になってしまったら、カジノの外へは出られない。このカジノ本体と、その敷地のビル内だけさ。それからね、俺たちはカジノ本体の外へ出ると、あんたたちの姿が見えなくなっちまうんだ。声もな。聞こえなくなる。カジノは本体の外までは感覚が効かないから、外の世界と交わる敷地内ではあんたたちは存在の無いものとして扱われるんだ。カジノの外で商売人が不正に客へ商品を売り付けないようにな。だが物は別だ。落としてしまえば落とし物になる。そしたら俺たちにはそれが見えるようになるのさ。触ったら持ち主のことも見えるようになっちまう。連鎖ってやつだな。だから自分の身に付けてるもんは落とすんじゃねえぞ。でえじな事だ。覚えとけよ。」
「はい・・・」
「それから、分かってると思うがお嬢ちゃんはもうこのカジノを出る条件をクリアしてる。あんたは・・・金はいくら持ってるか知らんが、まだ片っぽ条件をクリアできてないね。早めにクリアしちまうんだよ。それが一番の近道だ。」
「はい・・・どうもありがとうございました。」
「いいってことよ。」
わたしは片手にゲーム機を持ち、もう片方の手を父に引かれながら、おじさんの玩具屋を後にした。集合場所のレストランに向かうと、既に女は待っていた。
「ゲーム機を買うだけなのに、随分と時間がかかったのね。まさかギャンブルでお金を増やしてから行っていたりしないでしょうね。そんなに高かったの?」
「いや。ギャンブルはしていない。ただ思ったよりも少し高かったんで、娘とよく相談してから買ったんだ。」
「結局買えたのね。良かったじゃない、お嬢ちゃん。」
「うん!」
「君は何をそんなに買い込んだんだ。8000万でそんなに買えるのか。」
「意外と買えるものよ。あたし買い物上手なの。」
「利用料のことはちゃんと考えているんだろうな。」
「当たり前じゃない。」
「それで・・・あなたはまだゲームをする必要がありそうね。」
「ああ。大金を叩いたからな。」
「それじゃ、次のゲームに行きましょうか。射的よ。」
わたしたちはレストランからそう遠くない、祭りの縁日のような道がずっと続く場所にやって来た。周りの客は浴衣や甚兵衛を着ており、屋台の向こう側の小川には微かに蛍の光が見えた。
綿飴や焼きそば、りんご飴、金魚すくいやくじ引きの店などが永遠と並んでいて、本当の祭りに来たような気分になった。
「ここよ。」
女が立ち止まり、出店を指差す。
見るからに普通の射的屋だった。店主は大きな丸い鼻をしていて、坊主だった。太っていて、とても眠たそうな目をしていた。
割り箸鉄砲のようなもので的を撃つようで、的は小さなものから大きなものまである。大きいものから緑、青、赤、金とあった。その他にもぬいぐるみやロボット、ライダーベルトの箱やままごとセットの箱など、色々なものが置いてあった。
「1回100万。なんでもあるよ。玩具や宝石は勿論、高級バッグや本物の銃、車だって当てられるぞ。ほんとになんでもあるんだ。どうだい、やってみるかい。」
「すみません、あの的はなんですか?青とか、赤とか。」
「いらっしゃい兄ちゃん。あの的はね、賞金だよ。緑が一番低くて50万。青が500万、赤が5000万。金が出れば1億だよ。さあ、どうだい?」
「1億だって・・・」
「ちょっと、黒はもうないのかしら。」
「お客さん、大きな声出されちゃ困るよ。黒はあるよ。だけどね、隠してるんだ。そんなにたくさん黒狙われちゃ困るからね。だからね、隠してるんだ。」
射的屋の店主はひそひそと話した。
「黒はいくらなんですか?」
私はなるべく小さな声で聞いた。
「黒はね、そうだね、その時によるんだけど、5億だったり、50億だったり、まちまちだね、お客さんによるね。」
「どういうことだ・・・」
「つまりね、変動するんだよ。お客さんの望む額によって変わるの。カジノはお客さんがどれだけ欲しがってるか知ってるから、的はその額になるんだ。」
「そんなの、黒を狙えば一発じゃないか。」
「だから困るんだよ。隠してんだ。噂が広まりすぎてね。誰も他の景品を狙いやしない。景品も長く置かれていると腐ってくから、交換しなくちゃいけないんだ。1回100万の射的じゃとても赤字でね。商売上がったりだよ。だから黒の的は隠すことにしたんだ。宣伝もしない。なのにあんた、なんで黒のこと知っているんだい。長いね、あんた。」
「そこそこ居るのよ。」
「もうじきかね。気をつけな。」
「余計なお世話よ。」
「さてと兄ちゃん、何が欲しいんだい。なんでも揃ってるよ。」
「私は・・・というか、何故娘に聞かないのです。射的といったらまずは子どもにやらせるものなのでは。」
「だってよ、そこのお嬢ちゃんはもう十分楽しんだ顔してる。その子に射的は必要ないね。俺は必要ない客には無理に勧めないんだ。必要無いからね。それが主義なんだ。優しいだろう。兄ちゃん、あんたは必要だね。まだどっちも条件をクリアしていないね。俺は必要な客にはしつこく勧めるよ。必要だからね。それが主義なんだ。優しいだろう。」
射的の店主はそう言いながら、大きな割り箸鉄砲の形をした銃をひとつ用意した。
「姉ちゃんもやるかね。」
店主は女に向かって言った。
「あたしは、とりあえず見ているわ。」
「そうかい。」
私は店主から銃を受け取り、位置についた。
「何を狙うつもりだい。」
「赤の的を・・・」
「たった5000万ぽっち?!あなたそんなんでいいの?ここから出られないわよ。」
「5000万あれば足りる。ちゃんと計算したんだ。」
「あなたそれでもギリギリなんじゃないの。もし存在料が思っていたよりも高かったらどうするのよ。出られないわよ。」
「それは・・・でも、金の的はかなり小さい。」
「小さいから何よ。当てれば1億よ。ちゃんと狙えば当たるわよそんな的。」
「なんて無責任なんだ・・・でも、5000万の的を2回当てれば1億だ。射的は1回100万だから、もらえる金額は9800万と9900万、ほんの少ししか差がない。それなら赤の的を狙う方が賢明だ。」
「確かにそうね・・・でも赤の的だって小さいわ。それなら一途に金を狙い続けた方が得策じゃない。一発で当たれば倍貰えるのよ。」
「なら君が金を狙えばいい。」
「・・・・」
女は黙りこくってしまったので、的に集中した。確かに赤の的も小さくて狙いにくそうだが、金に比べればまだ大きい。
私は、存在料を多く見積もっても私と娘を合わせて2500万程度だろうと考えていた。だから、私の利用料の不足分と合わせてあと5000万あれば2人とも出られるはずなのだ。
私は赤い的に集中して、銃の焦点を合わせた。
微かに震える手をもう片方の手で押さえ、軽く深呼吸した。
これを一発で当てれば5000万だ。それで全て終わる。この意味のわからない世界ともおさらばだ。
大きく目を開き、赤い的に向かって引き金を引いた。
パチンッと音を立てて弾が飛んでいく。そして、赤い的を僅かに擦れて、奥の空間に吸い込まれていった。
「くそ・・・!」
「お客さん、惜しいねえ。あとちょっとだったねえ。」
「外れたじゃないの。」
「お父さん、まだ大丈夫だよ。もう一回。」
「もう一回やるかい?」
「お願いします。」
「じゃあ、100万ね。毎度あり。」
店主から弾を貰い銃にセットする。
今度は肩の力を抜いて的を見据えた。
赤色の、真ん中を狙うように銃を構える。
スッと短く息を吐いた。銃の焦点が赤い的の中心と重なった時、勢いよく引き金を引いた。
パチンッ
弾が弾け飛んだ次の瞬間、さっきと同じように、弾は後ろの空間に吸い込まれていた。
「クソッ!」
「ところで兄ちゃん、300万で4回撃てるけど、どうするかね。」
「・・・やります。」
「毎度ありぃ。」
射的の店主は300万と引き換えに、4発の弾を渡した。
1発目。先ほどの2発と同じように、弾は後ろの空間にするりと消えていった。
2発目。またもや、弾は的に当たらずに後ろの空間へ消えていった。
3発目を撃ったとき、店主がこそこそと指を動かしているのが見えた。
「おい。今何かしなかったか。」
「なんにもしていないよ。俺はここであんたが弾撃つのを見ていただけさ。」
「嘘だ。俺は見えたんだ。何か操作しただろ。」
「あんた、自分が下手なのを俺のイカサマのせいにしちゃいけないよ。いいから次撃ちな。」
「そんな・・・」
私は再び赤い的に狙いを定めた。
「ちょっとあなた、ちゃんと見ていますからね。」
女は店主をきつく睨んだ。
娘も、しっかりと店主の前に立って、じっと見つめていた。
銃を握り直す。赤い的の真ん中に焦点を当てて、今度は極めて冷静に引き金を引いた。
パチンッと弾が弾け飛び、それは赤い的を吹き飛ばした。
「やった!やったぞ!」
私は娘と抱き合い大はしゃぎした。
「チッ。しゃあないね。当たっちまったらしゃあないね。ほら5000万だよ。持ってきな。5000万。」
カランカラ〜ン
「5000万が出たよ!当たりだよ!一発100万、いかがかね〜」
射的の店主は鐘を鳴らしながら大きな声でそう言った。
用が済んだ者には興味が無いとでもいうように、射的屋の店主は私たちを一瞥した後無視を決め込んで客引きを始めた。
「よし、これでここから出ることができるはずだ。お父さんの手をしっかり握って。さあ受付へ行くぞ。」
「ちょっと待ちなさいよ。まだあたしは金額が不足してるのよ。まだ終わってないの。」
女が私たちの前に立ちはだかる。
「知らないよ。私たちはあなたとは関係がない。」
「そんなの薄情じゃない。ここまで色々案内してあげたのに。至極薄情だわ!」
私は女を避けるように出口の方へ向かおうとした。
「待ちさないってば!」
女が父親の袖を掴む。
「やめろ!私たちとあなたとは関係がないんだ!離してくれ!」
その瞬間、何か細かな黒い粒子が床や、壁や、屋台の至る所から集まってきた。
そして女を包み込みながら、徐々にその数を増やしていく。
「やめて!まだ早いわ!あたしはまだ出られるの!お願い!連れてかないで!やめて!」
女は叫んだが、黒い粒子は更に数を増やし女を覆っていく。
「あなたとは関係なくなんてないんですからねっ。」
女がそう言った次の瞬間、黒い粒子が膨張し女の姿が完全に見えなくなった。
そして勢いよく蒸気のような気体に変わり、粒子は跡形もなく消えていった。
女は消えていた。
「・・・いなくなった・・・・。」
「あれはカジノの本体だ。客としての機能を失った者はああやってカジノの原動力となる。
あの女は見たところとても長いことこのカジノに居たらしい。利用料が払えないくらいに嵩んでたんだな。自力ではもう出られないと分かっているから、あんたたちみたいな新客を騙してここを抜け出そうとしていたのさ。だが、カジノがあの女は客として不要だと認識した。ここでは不正は許されないからな。奴が他の客を騙そうとしていることをカジノは見抜いたんだよ。俺ももうほぼカジノの原動力と違わねえ。ここで働いている奴は全員な。だから、カジノが感じることは俺にも分かるんだ。俺達はカジノの一部ということだな。」
射的屋の店主は、目を合わせずにぼそっと呟いた。
「少し喋りすぎちまったな。さあ、あんたらもとっとと出てきな。もうここに用はないだろう。俺も店は終いだ。あのクソ女め。」
店主は店を畳みながら、煙草をふかした。
「・・・ありがとうございます。」
一応礼を言い、私は娘を連れて出口の方へ向かった。暫く縁日が続く道を歩いていると、エントランスが見えてきた。入り口の受付扉を半円状のバーカウンターで挟んだ反対側に、出口の受付扉が見えた。
「よし、行こう。」
私は娘の手を引いて、出口の扉を開いた。
「お帰りでございますね。精算でよろしいでしょうか。」
「はい。お願いします。娘と私の、2人分。」
「承知致しました。それでは、利用料とキーをお預かり致します。お客様の利用料は9300万、娘様の利用料は4100万でございます。」
娘は、持っている金額全てをテーブルの上に並べた。
「5380万でございますね。」
「ちょっと待て。合算はできないのか?」
「合算でのご精算は致しかねますので、まずはお客様同士で取引をしていただきますようお願いしております。」
「お父さん。残りの1280万、あげるね。」
「ありがとう。これで精算できるな。」
「はい。ではまず、娘様の利用料4100万、ちょうどお預かり致します。それでは次に、お父様の利用料、9300万をお願い致します。」
私は透明な書類鞄から持ち金全額を出した。
2014万と、射的屋で当てた5000万、合わせて8014万。それに娘の1280万を合わせて、9294万。
「あれ・・・」
「お客様、あと6万ほど足りておりません。」
「そんな。」
「このままですと精算できませんので、カジノの中へ戻っていただく必要がございます。」
「そんな、ちゃんと計算したのに・・・」
とその時、受付の奥から別の従業員が札束を持って現れ、受付係に耳打ちをした。
「・・・只今確認致しましたところ、先ほどお客様がご利用された射的屋でイカサマがございました。このイカサマでの取り引きは無効となりますので、お客様に300万が返金されたようでございます。」
300万・・・あの時の300万だ。射的屋の店主が私に4発300万を勧めてきた時のだ。あれはやはりイカサマだったのだ。
「それでは、ちょうどお預かり致します。ご利用誠に有難う御座いました。またのご利用をお待ち致しております。」
「また?もう来ない。」
「左様でございますか。そう致しましたら、そちらの残金はどうされますでしょうか。」
「これが、なんだ。」
「このカジノ専用の通貨を外の世界へお持ち帰りいただくと、またいつでもこちらへ遊びに来ることが出来る様になっております。自分の好きなタイミングで、カジノへ行きたいと思ったとき、お客様の前に扉は開かれます。一応両替もできますが。」
「要らない。捨ててくれ。」
このカジノに関わったものはなるべく持ち帰りたくなかった。
「承知致しました。ご利用、誠に有難う御座いました。」
私は受付の、入った方とは逆の扉を開き娘と共に外へ出た。

出口から短い廊下を通って、地上へ登るエレベーターを目指す。
エレベーターが開き、中に乗っている、これからカジノに行くであろう人々が缶詰状態で降りてきた。
その中に、私が小学校の時の担任の教師の姿を見つけた。
彼が私のクラスの担任だったのはもう26年も前のことで、髪も髭もぼうぼうで白くなりシワも増えていた。だが目の前にいるのは確かにあの教師だった。
私は、あの・・・と声をかけたが、老教師は何も聞こえていないかのように、私のことを一瞥もせず通り過ぎていった。
高学年の3年間私のクラスの担任だった彼は、とても優しくて博学な先生だった。彼の専門は地学で、私は取り分け理科が好きだったのでよく授業のことや他の様々なことを教わりに放課後職員室を訪ねていた。
しかし私が中学に上がったころ、先生が失踪したという話が噂で回ってきた。その話は生徒や保護者の間で静かに流れていた噂で、本当の事は分からなかった。
「・・・・」
あの老教師はここへカジノをしにきているわけではない。
ここの商売人として働いているのだ。
カジノから出られないと、カジノの原動力になる。
老教師も客だったころ、カジノに長く居すぎたのだろうか。
私は娘とエレベーターに乗り込み、それがわかった瞬間、膝から崩れ落ちて泣いた。
後から乗ってきた婦人が、床に落ちたマフラーを拾いながら
あらあらどうしたの、
と訊ねてきた。マフラーは私が落としたものだった。
私は「先生が・・・」と嗚咽混じりに言った。
婦人は老教師の話を少しした。
「あの人はね、25年前にお客としてここへ来たの。欲しいものもはっきりと明確だったわ。でもお金で買えるものじゃなかったの。・・・彼の娘よ。彼はカジノの中を探し回っていたわ。そこでワタシの店へ来て、コーヒーを一杯飲んでいったの。ワタシはすぐに、彼がまだここで満足していないことと、随分長くカジノを彷徨っていることを感じ取ったわ。ワタシは彼の隣へ座って、何が目的で来たのか聞いたの。そしたら、娘を探していると言うのよ。ワタシは最初、赤ちゃんが欲しいのかと思ったの。女の子のね。だから、ベビー用品店への道順を案内してあげようとしたわ。そしたら彼、そうじゃなくって、数ヶ月前にいなくなった娘を探しているって言うのよ。ワタシは彼に言ったわ。ここには外の世界と繋がりのある物は売っていないと。そしてもしその子がここで売られていたとしたら、親の貴方はもう娘の存在を忘れているはずよってね。そうしたら彼、それでも僕は探すんだって言って店を出ていってしまったわ。
そして結局、カジノが彼をお客と認識しなくなりここの原動力になってしまったの。」
エレベーターが1階に到着し、扉が開く。
私は涙をすすりながら娘と一緒にエレベーターの出口へ向かった。
私たちは婦人にお礼を言ってエレベーターを出る。
婦人は扉が閉まりかけたときに、「また会えるわよ」と言って手を振った。
私は片方の手で娘の手を握って、もう片方をズボンのポケットへ突っ込んだ。
エレベーターの扉が閉まり、上昇音がする。
エレベーターを出ると、そこはどこかのショッピングモールのフードコートのような所だった。
「お腹は空いているか?」
娘は首を振る。
「じゃあ帰ろう。」
そう言って私は歩き出した。
娘が後をついてくる。
ショッピングモールを出ると、私たちの家へ帰る路線の駅名がすぐ近くの看板に書かれていた。
ポケットには、サイダーを買ったお釣りの500玉コインが入っていた。

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