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わたし達はリアルにつながりたい生き物なのだ

そもそもわたしはとても落ち込みやすいタイプの人間です。
こだわりも強くなんでも深く考える。一言で表せば、「意識高い系」の、ちょっとめんどくさい人間なのかもしれません。

20代〜30代の頃のように思い描いていた自分にはなれず、
今は44歳になりました。40歳を過ぎてからは日々疲れやすく、体力や集中力も落ちる。
生理も以前より不定期だし、ホルモンバランスも悪いのでしょう。
いわば更年期ってやつですね。

以前は、定期的に友達と会ったり同級生と同窓会を開催したり、愚痴を言って憂さ晴らしし、大笑いすることで、今ある悩みが小さくなっていたのだと思います。
それが今は、抱えている問題が膨らみ、人とたわいもないことで話したり笑ったりできる機会が減っているから、上手く発散ができていないのでしょう。

もともと考え込みやすい自分は、コロナ禍に陥りLINEでちょくちょく友達に悩みを吐き出すようになりました。以前も吐き出していましたが、その後は「そろそろ集まらない?」となり、女たちのランチ会(もしくは飲み会)が行われ、わたしの心も、おそらく友人の心も救わていたのだと思います。

コロナの状況が続き、女友達とちょくちょくLINEをしていると気づきました。
みんなすっかり精神的に大人になっているし、ある程度のことは自分の中で解決をしているしっかり者もいる。でも、みんなそれなりに悩んでいるのだと。

友人Aは仕事のこと、友人Bは体調のこと、友人Cは家族のこと。
それぞれ何かしら“問題”を抱えながら、なんとなく折り合いをつけたり、もしくは折り合いをつけれない状況に悶々としていたりするようです(ABCで表現してちょっとごめん)。
なので、ラインをする前は「こんな悩んでいるのは自分だけかもしれない」と思っていたけれど、「おやおや。あなたもか」となる。人は、なぜか自分が不幸(度合いはそれぞれ)であるとき、相手も同じく悩みがあったりすると、自分だけではないと安心するのだなあと思いました。

話しても解決はしない。でも家族とは違った視点でアドバイスをしてくれる女友達の言葉に救われています。さっきまでの悩みが小さく感じたり、ほんの少し自分の中に答えが見えたり、思い込みから救われて本当の自分に戻れる気がするのです。

インターネットとIphoneという便利なものが世に定着してから、ついつい悩み事をググってしまうことが多くなりました。
でもそこに答えはあまりない。ゼロではないけれど、決して慰めてはくれない。
論外として尊敬する識者だったり、その道のプロのツイッターやブログ、インタビュー記事なら安心できます。そこには、相手(読み手)の気持ちに配慮して、見た人が誰も傷つかないように配慮がしてあるからです。


媒体の編集者の視点も加わり、大衆に出してもセーフな内容であるように、チェック機能が行き届いているからです(そうでない場合もありますが)。
でも思わず、誰でも発言できる掲示板に彷徨ってしまった時の、あの傷口に塩を塗るようなコメントを見た時は、気持ちが沼に浸かった気分になります。インターネットの落とし穴ですね。


それに反して、女友達の存在は偉大だと心の底から思います。
会えない年月が重なるごとに、わたし達はやはりリアルに繋がりたい生き物なんだなあと痛感します。
といっても、緊急事態宣言が明けたばかり、私は慎重派なのでしょうか。
まだ直接会っておしゃべりを満喫するというステージには進んでいません。

AIは人が検索している内容を学んで、マッチした内容を何度も送りつける機能があるようです。
もう何ヶ月も前に調べたこと、解決したこともまたひょこっと出てきて、一瞬当時の思いに気持ちが引っ張られます。本当に余計なお世話です。

もちろん、必要な情報にすぐに辿り着けるようになったからこそ、便利になったこともたくさんあるのかもしれない。

でも、女友達のように、言葉を選び、なぐさめてくれたり、視点を変えてくれたり、話題を変えて笑わせてはくれない。人は、自分の思いを受け止めてくれたり共感してもらえることで、きっと死ぬまで何かしらの人生の崖に立つたびに、リアルな人の優しさに救われるのです。

最近では仕事上のやりとりもチャット機能を使うなど、ますますPCは大活躍です。電話して「あーだこーだ」論議して、仕事をいい方向に持っていこうという気迫がなく、「スピーディーに」「効率よく」。
私の仕事の仕方が熱血過ぎて、暑苦しいのかな、と思い悩むこともあります。
編集者やライターをしていて、もっとクオリティのいいものを作りたいという思いが最近は空回りしている気がします。

「落ち着いたら会おうね」。そんな言葉を交わしてから早2年ほど。どんなにチャット機能が便利で、zoomで会議したり飲み会ができたとしても、やはりわたし達は繋がりたいのです。
Zoom(もしくはそのほかの機能)は便利だけど、「退出」ボタンを押したら、一気に孤独に襲われる。会話を交わした余韻がないのは何故なんでしょうね。

時代遅れとは言われたくないけれど、ハグしたり思いきり笑ったりしたい。
便利さは嬉しい。でもマスクの顔半分は知らないし、オンラインで取引が始まった人は、上半身から上しか知らない(お互いに!)
会わずに課題が解決したり、会わずに出会いとさよならが同時進行だったり、まるで空想世界にいるみたいです。

臨場感やワクワクがどんどん減っていっている気がする。
本音は「リアルがいいんだ、会って話したいんだ」。そうやって心の底から言えるようになりたいですね。

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