いずれ来る『MCU版X-MEN』の予想と、個人的な決意について。
本題に入る前に少し……。
『シャン・チー』観てきました。思ってたよりずっと面白かったです!激しい格闘アクションは勿論のこと、キャラクターひとりひとりの心情が切実に伝わってきて、とても感情移入できました。なんだろう、それこそ『輪』みたいな作品ですね。変に尖った部分がなくて、非常に見やすいです。MCU初めての方にもオススメ。
……やっぱりウェン・ウーが好きですね!案の定と言ったところ。ネタバレは避けますが、クライマックスの大規模決戦が行われる最中、一人スタスタと歩き去って行った、その先は……!?っていう。あそこすごく好き。
本題に入ります!
僕はX-MENが好きです。映画の話です。
原作に明るくないのはお許し願いたい。僕が買うアメコミは『ムーンナイト』のような、まだ映像作品では観れないキャラクターが主軸に置かれたものが多いのです。(そのムーンナイトも今ドラマ作ってるんですよね)
中古で1万円以上払って前後編揃えました。邦訳アメコミって出回る数が少ないらしいですね。
2000年に公開されたブライアン・シンガー監督によるシリーズ1作目『X-Men』から始まり、2020年公開(日本では結局、円盤と配信のみになりましたね)の『ニュー・ミュータント』(ミュータン"ツ"だろ!というツッコミは既に100万回言ったので、もう言いません)で、一応終わったらしい映画X-MENシリーズ。
一応『デッドプール』も含まれてるんですよね。マカヴォイ?スチュアート?時系列がよくわかんないよ。
僕はこのシリーズが大好きで、もしかするとMCUより好きかも知れない。過言ではない。いや過言か。ううむ。
加点方式で観ると100億点だが、減点方式で観るとマイナス100億点。そんな感じ。
目立つ欠点がね。ちょっと、カバーしきれない。
良いところに目を向けるか、それとも悪いところか。
人類との共存か敵対かで揺れるプロフェッサーとマグニートーのような心境です。
でも全体的には間違いなく"好き"であると言えます。
作品の出来と好き嫌いは別の話なので。
人気漫画とかでもよくあるじゃないですか。
設定の矛盾とか回収されない伏線とか、そういうのも"込み"で、作品の魅力として扱われること。
それです(ジョジョの奇妙な冒険、お前のことだよ)。
しかしまぁ、何とは言いませんがダークフェニックスがつまらなかったせいか、2019年3月に、20世紀FOXはディズニーに買収されてしまいました。狐は鼠に喰われたのです。
遂にはFOXという名前も奪われて、"20世紀スタジオ"にされてしまいました。
一つのアメコミ映画シリーズが終焉を迎える一方で、時を同じくして、狐を喰らった鼠の方。人類史上最強の映画シリーズ、マーベル・シネマティック・ユニバースは最高の盛り上がりを見せていました。
エンドゲームの公開と、それに伴う新たなサーガの始まり。以前から噂されていた通り、MCUは新展開、"マルチバース"へと突入していきます。
2021年9月現在、既に『ワンダ・ヴィジョン』や『ロキ』、『What If...?』がディズニープラスで公開され、12月公開予定の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』でいよいよ本格的に、映画シリーズがマルチバース化するとか、しないとか……?
X-MENと同じく、FOX配給であった『ファンタスティック・フォー』のMCU合流も既に決定しており、X-MENの合流もほぼ確実。時間の問題。……ですよね?
いやまぁ、ダークフェニックスがあまりにひどかったので、もう映画界から見捨てられたのではないかと心配なのですが(未だにジャスティス・リーグに参戦させてもらえないグリーン・ランタンを横目で見ながら)。
ケヴィン・ファイギの指揮のもと、新たなX-MENが創造されることを願って止みません。
願って止まないのですが。
ファンとして勝手に心配してしまうことが、いくつか。
なんというか……何も考えず、そのまんまリブートしちゃって大丈夫?色々と工夫しなきゃヤバくない?ということ。
何たって、もう既に13作も映画が作られている訳です。
だいたいのことはやり尽くしました。その13作の中ですら、既に一度やったネタをもう一度やったりしてるんです。ダークフェニックスって言うんですけど。
ということで、心配性でお節介な一人のX-MENファンが、いずれ来る『MCU版X-MEN』に関する予想であったり、考え得る問題点であったりを、勝手に指摘していきます。
①時代設定
X-MENの誕生は、今から遡ること58年前の1963年。スタン・リーとジャック・カービーに創作されました。
めっちゃ古いですが、これでもキャプテン・アメリカの20年以上後輩です(1941年誕生)。
アメリカに限らず古今東西、ヒーローというものは時代の情勢と無関係ではいられません。子供たちの目に触れるヒーロー創作は、常に世間や公権力からの、激しい検閲や表現規制に苦しめられてきました。まぁ、ある程度の外部判断も必要だとは思いますが……。
つまりキャプテン・アメリカも、ナチスや日本軍と戦うことを求められたということ。
さて1963年当時の情勢ですが、まず前年にアメリカとソ連の間で『キューバ危機』が発生しています。全面核戦争一歩手前になったという、アレです。
63年8月には『ワシントン大行進』が行われました。公民権運動家で牧師のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏が「I Have a Dream」と演説した、参加者20万人以上の大規模デモ行進です。
11月にはケネディ大統領暗殺事件。銃弾が曲がったとか言われてますね。
そんな激動の時代の中、X-MENは63年9月にコミック誌でデビューを果たします。
生まれつき特殊な能力を持つミュータントたちの物語。彼らは人々に憧れられるヒーローでありながら、同時にその異様から恐れられ嫌われ、差別や迫害を受ける対象でもあります。
正義のミュータント・チーム、X-MENを率いるプロフェッサーXの姿勢は、「非暴力主義」を徹底した前述のキング牧師を彷彿とさせます。
対して、ミュータントを優越人種と自認し、人類に対して戦争を仕掛けようと目論むマグニートーは、キング牧師と同じ黒人解放運動家でありながら「黒人至上主義」を掲げ、暴力的な手段も厭わなかったマルコムXになぞらえられます。
さらにマグニートーはユダヤ系ドイツ人とされ(作品によって設定が異なることもあるようですが)、幼少期にホロコーストの被害に遭い、自分以外の家族は全員殺されてしまった過去を背負っています。ちなみに作者のスタン・リーは1922年生まれのルーマニア系ユダヤ人。
ナチスに苦しめられたマグニートーは、人類への復讐心から暴力的な手段を取るようになった、というのが基本の設定。彼は単なるヴィラン(悪党)ではなく、プロフェッサーXとも考え方の違いから対立しているだけで、個人間には友情があったりします。時にはX-MENに協力することも。
そんなX-MENの誕生秘話(オリジン・ストーリー)を描いた2011年の映画『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』ではキューバ危機を取り扱い、その続編で2014年公開の『X-MEN:フューチャー&パスト』ではケネディ暗殺にも言及しています(弾丸が曲がったのはマグニートーが能力で操作したからだとか)。
つまりX-MENは誕生の時点で、時代背景と密接に関連していた作品なのです。
こういう、単純なカッコいいアクションヒーロー映画にとどまらない所がすき。社会問題や差別意識などにキチンと向き合う姿勢。その在り方をシリーズ通して貫いているのがとてもえらい(最後まで貫けたかは別として)。
だから僕はX-MENが好きなのです。
……んで、気になるのが。
MCU版X-MENの時代設定ってどうなるの??
正直X-MENがいちばん美味しいのって、60年代なんですよ。プロフェッサーもマグニートーもまだ若いし。いやおじいちゃんでもカッコいいけどね。カッコいいけどさ。
実際、X-MENのいちばん美味しい時期を描いた前述の『ファースト・ジェネレーション』は、シリーズ屈指の名作として扱われています。無論、時期が良かっただけではなく、監督や制作陣、演者の技量が総じて良かったからに他ならないのですが。
MCUでX-MENをリブートする場合、まぁアベンジャーズが存在するのとは別の地球を舞台にする(後で次元を越えちゃえばいいからね)としても、時代設定を60年代にしてオリジン・ストーリーを映像化するのなら……
それってもう『ファースト・ジェネレーション』じゃね???
ってなります。なりませんか。
『ファージェネ』の再上映でよくないっすか?ってなってしまう。まぁ実際、スパイダーマンのベンおじさんもバットマンの両親も、何度も何度も死ぬけどさ(JOKERでも死んだ時はさすがにちょっと笑いそうになってしまった。いや申し訳ない)(あと何回、真珠のネックレスを飛び散らせれば満足するんだ)。
果たしてそんな"愚"を、MCUが犯すであろうか。
スパイダーマンのオリジンを会話で秒で終わらせた天下のMCUが、果たして。
仮にMCUが、X-MENの最も美味しい時代である60年代を捨て、オリジン・ストーリーを捨て、その上でX-MENを語り直すと言うのなら。
それはそれで問題がある。
②X-MEN?"メン"???
題は『デッドプール2』の台詞から一部抜粋。
MCU版が60年代ではない場合。
仮に現代としましょう。過去でなければ現代だ。
2020年代を舞台に、X-MENを復活させるとして。
まず問題となるのは高齢化だ。
さすがに90歳のマグニートーは見たくないだろう……。いや僕は見たいけど。御歳82歳のイアン・マッケラン氏に再び演じてもらうのも悪くはないが。
設定の大幅改変に迫られるだろう。もうプロフェッサーとマグニートーは、キング牧師とマルコムXでいられない。ホロコーストも無しだ。
よく、アメコミの"変化"について苦言を呈す人を見かけるような、見かけないような、気がする。
黒人がスーパーマンやキャプテン・アメリカになることに忌避感を示す人。
まぁわからんでもない。自分の大切なものが奪われたような気持ちになるのかも知れない。個人の思うことだから、強く咎めようとは思わないし喧嘩もしたくない。
思うことはあってもあんまり口に出さない方が、人が傷付いたり喧嘩になったりしなくて平和なのになぁ、と思ったりもする。
一つ言えるのは。
例え既存作品の設定が急に変わったりしても、黒人のキャプテン・アメリカが誕生しても。
あなたが愛した白人のキャプテン・アメリカは、決してこの世から消滅する訳じゃないよ、ということ。
あなたが忘れない限り。
つーか黒人だの白人だのと、随分な言い草をしてしまって申し訳ありません。クリス・エヴァンス演じるスティーブ・ロジャースから、アンソニー・マッキー演じるサム・ウィルソンへと、キャプテン・アメリカの称号が受け継がれたのです。
少し脱線しましたが、要するに僕は、より良い物語を紡ぐ為の設定改変なら全然ウェルカムなのです。
60年代ありきで生まれたX-MENですが、そのメッセージ性は決して60年代でしか通用しないものではありません。むしろ現代にこそ改めて必要とされる、描き直される価値のあるメッセージ。
ワシントン大行進から58年。果たして世界はマシになったか。誰もが簡単に繋がれる時代に、未だ人類社会は分裂・断絶に苦しめられている。話し合えるのに分かり合えない。そんな時代ではなかろうか。
だからこそX-MENが必要とされる。自らも差別を受ける立場にあるヒーローたち。差別と向き合い、立ち向かう姿勢。キング牧師やマルコムXじゃなくても、ホロコーストの犠牲者じゃなくても。いや、そうでないからこそ、現代の差別に立ち向かえる"現代のX-MEN"が必要なのではないか。
ただ、そこでふと、あの赤い全身タイツの男が呈した疑問が脳裏を過ぎる……。
『X-MEN』って名前、もう古くね?
MENです。男たちです。
いやまぁ、半分ネタと思われるかも知れませんが、僕は割とガチです。
MENって良くなくない?
それこそほんと、デップーちゃんが言ったように『X-PEOPLE』みたいな名前にした方が良いのでは。
60年代が舞台ならまだ許されるかも知れませんが、仮に現代が舞台で現代の差別に立ち向かうヒーローであるのなら、そこら辺にはメチャクチャ気を使うべきです。
ただここまで来ると、もはやそれはX-MENなのか…?という不思議な感情が芽生える。
別に僕はX-MENの名前が好きで推していた訳じゃない。彼らの信条や在り方、物語のテーマやメッセージ性が好きで推しているのだ。だからその辺がキチンと(アップデートされた上で)継承されるのなら文句は全くないのだが。僕の記憶の中からX-MENが消える訳でもないし。
だから僕は、MCU版X-MENが仮に『X-PEOPLE』だったとしても、変わらず応援したい。
この問題、コミックの方ではもう拾ってたりしないのかな。してそうだけど。
これはリブートやリメイクどころではなく、リクリエイト(再創造)と呼んでも良いかも知れない。
総括
という訳で、長くなってしまいましたが、要するに僕の予想……というか、不安要素は2つ。
①60年代を舞台にするなら前の映画と同じじゃね?
②現代が舞台ならチーム名変えた方が良くね?
そしてタイトルにある僕の"決意"とは。
仮に現代が舞台で、大幅な設定改変が行われることとなった際。X-MENの本質を理解しない中途半端なオタクが、そのことに因縁を付けるかも知れない。そんな時、僕はまぁ、喧嘩はしたくないけど。
「X-MENのメッセージ性を現代でも通用させる為に、きっと必要なことなんだよ。本質は変わらないんだよ、きっと」
ということを、ひっそーりと発信できる人間でありたい。という"願い"でもある。
スタン・リーとジャック・カービーに敬意を込めて。
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