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いーさん裏返り旅行記 vol.7 ブラジル・サンパウロ編①

リオのホテルで朝5時半に起床しシャワーを浴びて目が覚めた。

朝の7時から(日本は夜の7時)NPO法人大森まちづくりカフェ主催のオンラインセミナーに登壇。「組織づくり、コミュニティづくり」をテーマにブラジルでの体験を写真を使いながら話をした。特に日系人コミュニティの繋がりのすごさについて熱く語った。

私は今となっては地域づくりをするようになったが、中学高校時代は地元神戸にいたのに、何もしなかった。コミュニティの中心にいたオジサンから、「泉、手伝ってくれよ」と声をかけてもらっていたのに。

なぜ、地域づくりをしなかったのか。その答えがこのセミナーの参加者とのやり取りからわかってしまった。私には断る印籠があったのだ。「勉強が忙しい、受験があるから」。

サンパウロにある日本人街のリベルダーデ広場

もし、大学受験に地域づくりの体験が評価の半分でもあれば、私は喜んでオジサンと地域づくりをしていただろう。受験勉強はイヤイヤしていたので、嫌なこと我慢してやってるんやから大目に見てよね、的な言い逃れもあったかもしれない。誘う方も、相手の人生がかかってるんやから、強引に誘うこともできんな・・って感じで。私と同じように地域づくりをしない世代がサラリーマンとなり、行政サービスに依存するようになったのが今の日本社会。そりゃ安心して地域で子供を育てることもできんよね。

私は偶然にも阪神大震災を経験して地域づくりの大切さにちいとは目覚めたが、もし経験してなかったら、今でも「仕事で忙しいですから」印籠をいつも持ち歩いていたに違いない。

なんてウダウダと考えていたら、ホテルの部屋を出るのが遅くなり、さらに朝ごはんも食べようとしたことで、奥くんに大目玉をくらった。ブラジリアン・チェックアウトの時間を忘れていたのだ!サンパウロ行きの飛行機に乗れるのか、といったピンチに。幸運にもサンパウロ名物の渋滞がなかったので、タクシーが空港までスイスイと進み、無事に飛行機に乗れた。

そして、サンパウロに到着。サンパウロ空港で待っていてくれたのが、浄土宗の僧侶「ミルトンさん」。ミルトンさんはこの後サンパウロで我々の専属ドライバーとして、各地を連れて回ってくれた。

まるで日本、一幸舎の店舗

最初に訪れたのは日本人街。リベルダーデ日本・広場に到着。そのあたりは、日本食の店、日本食のスーパーが立ち並び、ダイソーまであった。日本語が街にあふれていて日本にいるような錯覚。お腹も減り、ミルトンさん推しの豚骨ラーメン屋「一幸舎」に。「いらっしゃいませ!」というブラジル訛りの元気な挨拶を聞いて、もちろんラーメン大盛りと餃子を注文、ビールはハイネケン。久々の日本の味と空気に包まれて満腹になった。

めちゃくちゃ品揃えが多いDAISO

その後、帰国で必要となるPCR検査を受けに日系の病院に受けに行った。ミルトンさんにおんぶに抱っこで、すべて手続きをしてくれた。帰国の飛行機搭乗から72時間前までの陰性結果が必要ということで、病院で看護師さんに鼻の奥に棒を突っ込まれ、翌日結果が出るので取りに来てね、と言われた。「えっ、ここまで取りに来るの・・」日本では無人ルームで唾液をとり、足元の箱にいれて、結果はメール送付とほぼ無人だったので、えらい違いに驚いたが、日本は人手不足で効率化が進んでいるのだろうな・・と思った。

時を告げるお寺の鐘を鳴らす体験も

ミルトンカーに乗り込み、サンパウロ・日伯寺へ。ここにマリンガでお会いした佐々木良法和尚のお母さんの緑さんとお姉さんの美和さんが出迎えてくれた。お二人が我々の滞在のお母さん役、お姉さん役になってくれて、お寺が自分家ぐらいの安心感を得ることができた。ここで2泊させてもらったが、心も体も休めることができた。

美和さんが、お寺にある道場で空手や合気道、ヨガをしているよ、と教えてくれた。ちょうど今日の夜、空手があるから参加しない?と言われて、シライシさんと私は参加することにした。小学生の頃、空手をすこしやっていたので、楽しみにしていたが、想像以上に楽しい時間になった。日系ブラジル人もいたが、いろんな方が来ていて、一緒に空手の型をした。やっているうちに40年前の記憶が蘇ってきて、体が動くようになった。

空手のあとの懇親会

その夜は、空手の先生たちと空手談義からの武道談義まで花が咲いた。師範は同じ年とわかり、意気投合。沖縄空手がルーツにあり、沖縄の人と今も交流があるようで、三線を持ってきて沖縄民謡が始まった。島唄を合唱した。奥くんと2022年に行った師弟ツアー沖縄編を思い出した。談義にも歌にも酔ってしまい、知らない間にお酒もたらふく頂いていたようで、どうやって寝たのかてんで覚えていない。

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