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ファッションに思うこと

祖母のお見舞いで病院へ行った。
来たよ、と声をかけると笑顔が見られたので安心。
前回と前々回は横になっていたけれど、リハビリが始まって、今は歩行器を使って歩けるまでに回復しているようなのでよかった。
マグロが食べたいらしく、退院したら寿司でも食べに行こうと母と会話した。

祖母に会うまで大宮の古着屋に訪れていた。
都内に住んでいるから都内の古着屋もたまに行くのだけれど、あまり馴染めるところがない。結局学生時代から通っている大宮のお店が一番良くて、今でも服を買っている。
この日は1店舗目で褪せたネイビーの、シンプルだけどサイズ感の良いパーカーを購入。つづく2店舗目ではウール製だけどすごく柔らかいカーキのパンツを購入した。学生には勧めない、玄人向けですよなんて店員さんの言葉に乗せられてしまう。
店員さんとも雑談交じりに話したのだけれど、今となっては土日ぐらいしか着る機会がないのに、どうしても洋服が欲しくなる。
十分着まわせる量はあるのに、そんなに懐の余裕があるわけでもないのにだ。そんな風にして自分とファッションの関係をなんとなく考えていた。

大学生の頃にサークルにもうまく馴染めなかった私は、自分のように1人でいる人を目でよく追っていた。私から見る彼らの多くはお洒落な格好をしている気がした。それをきっかけに友達のつくり方ではなくて、服の着こなし方を追求しはじめたのは振り返ってみても自分らしいと思う。
今はどうだろう。やっぱりまだ人から見て恥ずかしくないような自分でいたいという気持ちもあるように思う。
でも、これだ!という服に出会い、それを着て生まれる極めて個人的な喜びのほうが大きく、なんなら生活の支えにさえなっている気がする。

お見舞いを終えた帰り道に魚豊先生の『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』を読んだ。非正規で働く主人公が恋と陰謀論に陥る話。荒唐無稽な陰謀論を信じる人々をバカにしてしまいそうになるけど、自分が古着やファッションを好きなのも傍から見れば同じように盲目的かもしれない。そんなことを思った一日だった。

2024/10/16

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