「ゲーム=リセットできる」という比喩を使うライターは痛々しい

時代の変化によって陳腐になってしまう表現がある。
その筆頭がリセットボタンだ。
スーパーファミコンとかに付いていたボタンで、押すとゲームがリセットされるもの。
その機能から「人生にリセットボタンは無い(やり直しできない)」といった比喩が使われてきた。
しかし令和の今にこの表現を使う書き手は、時代を反映できてないという点でライター失格である。
痛々しいなと思ったのは、たぬかなの炎上を扱った円為格人というライターの文章。

ゲームの腕を磨く前に、学ばなければいけないことがあるのではないだろうか。ゲームのように簡単にリセットとはいかないのだから。
(週刊女性PRIME)

たぬかながやってる格ゲーは対戦ゲームなので、セーブデータという概念が乏しい。
対戦ゲームはデータを蓄積するんじゃなくて、スキルを磨いていくものだ。
アカウントに紐付けられる信用情報も大事なので、そう簡単にリセットできない。

円為格人は「同性愛者をバカにするスラングがプロゲーマーの間で横行してる」というデマも平然と書いている。
リセットの比喩にしてもそうだが、時代に適応できないままトレンドにいっちょ噛みする老害ライターでは?
「ゲームのように簡単にリセットとはいかないのだから。」の上手く締めてやったぜ感に、すごくイラッとする。

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