夢を信じて貫けば必ず叶うから 〜1998年10月29日〜
かなり前の話
サッカークラブを創設して取締役になった
1998年10月29日
横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されるニュースが報じられた日
横浜フリューゲルスを応援していた自分は自然とフリューゲルスの存続活動を始めた
横浜フリューゲルスを存続させる会
横浜フリューゲルス再建協議会
気づけば広報担当になっていた
寝る時間はほとんどなくなり
起きてるのか寝てるのか全くわからない
そんな感覚に包まれた5ヶ月間が始まった
Jリーグや天皇杯
試合の応援をしながら
仕事の後に
時間があれば署名を集めた
1998年12月
株式会社横浜フリエスポーツクラブ
川淵三郎チェアマン(当時)のアドバイスを受けて横浜フリューゲルスの受け皿としての株式会社を設立する準備をして12月25日に登記
株式会社横浜フリエスポーツクラブの取締役広報担当になった
1999年1月1日国立競技場
天皇杯決勝
横浜フリューゲルス対清水エスパルス
奇しくもJリーグ開幕と同じカード
久保山由清と吉田孝行のゴールで優勝
優勝したうれしさ
クラブが消滅する悲しさ
複雑な感情が入り混じった瞬間だった
後にも先にも
あれほど複雑な経験はないかもしれない
天皇杯を優勝して
フリューゲルスは消滅した
フリューゲルスを引き継ぐことは拒否された
フリューゲルスを引き継げていたとしても1998年の選手はほぼゼロだったと思う
それでも
クラブを存続できる意味は大きかった
フリューゲルスを引き継げなかった
自分達は横浜FCを設立する道を歩んだ
期限までに条件を満たせば
1999年からスタートするJFL日本フットボールリーグに特例加盟できることになっていた
しかし
それに必要な資金はなかった
億単位の莫大な金額
お前らには無理だよ
出来ると信じてるの?
馬鹿じゃない?
なに真剣になってんの?
フロント様がんばってー
天皇杯までは同じ立ち位置で応援していた人から影で浴びせられた言葉の数々
でも
夢が目標になり
それは誰にも壊せない物になっていた
悔しかったけど負けなかった
出る杭は打たれるよ?
そう言われたこともあった。
打たれて凹む?
それは小さな杭だったからだよ
自分達は打たれても凹まないランドマークタワークラスの杭だからね?
夢は適えるためにある
スカパーのCMにも映りました
(叶えるではなく適えるにしたのは、目指す夢をそのままそっくりに実現したかったから)
そうは言っても
なかなか解決できなくて苦しかった
でも
実現する瞬間は突然あらわれる
夢を見続けて走り回っていた自分達をニュースで知ったアメリカの大きなスポーツマネージメント会社から連絡があったのだ
道は一気にひらけた
夢をあきらめずに貫き通したから
ものごとは一気に進み
日本フットボールリーグに参入できた
億単位の資金
そんな膨大なものは手元に無かった
でも、諦めなかった
馬鹿にされた
ネットで中傷された
影口なんて数え切れないほど
悔しくて泣いた日もあった
でも、諦めなかった
だから横浜FCが生まれた
あれから約22年
いま自分は日本初の女子チームでリーグ参入を目指すブラインドサッカークラブ作りをしている
男子選手も集まりはじめてきて、男子チーム、女子チームで参入を目指している
7月上旬まで
ひとりぼっちで活動していた
いまは11人の仲間になった
新たな夢は
目が見える人と見えない人がいつも笑いあう地域をつくること
ブラインドサッカーを軸に社会貢献していきます!
これも馬鹿にされたりしたけど、横浜FCを作っていた頃に比べたら大したことはない
なにしろ
夢を信じて貫いていけば叶うと分かっているから
2024年
日本選手権で優勝したい
仲間達と共に
ブラインドサッカーについて綴っていきます。 日本初の女子ブラインドサッカークラブが出来ていく歴史を見守ってください!がんばります!