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絶望の淵に立たされて見えた谷底と青空

まずはこちらを読んでください。

・・・と、ここまではスフィーダ世田谷BFCチーム公式Facebookページでのメッセージ。

そして、ここからは、そこには書けなかったこと。

2019年のチーム設立活動をはじめた頃から、初の公式戦のピッチに立つんだと決めていた。

しかし、それは叶わなかった

11月20日の紅白戦でゴールポストに頭をぶつけてしまい、頚椎捻挫の古傷を痛めてしまったから。

紅白戦翌日から次第に痛みが強くなる首まわり。大雨が降った23日には左肩から肘まで痺れが出てくるほどに。22年前の交通事故で左半身に痺れ、冷えや脱力があった時と重なって気持ちが焦る。

あまりの痛さに整形外科へ。

“もう今後はプレーしない方がいい”
“同じことを繰り返すと良くて歩けなくなる”
“最悪の場合は、呼吸困難で生きられなくなる”

そう言われた。

頭の中は絶望しかなかった。

この3年半はなんだったのか?
不本意な形で競技を引退しなければならないのか?

女子チーム結成を目指してきて、第一歩の男女混成チームで公式戦に出るのに、そのピッチに立てない。

私生活や仕事をかなり犠牲にして、個人的な旅行なども全くできずな3年間を過ごしてこのスフィーダ世田谷BFCに賭けてきたのに、試合に出られない。

気持ちは燃え尽きかけた。
いや、12月7日までは燃え尽きてた。

3日のみなとRSDレガシー杯は体調が悪くて欠席。
対戦相手はスフィーダ結成のきっかけになった子が所属するソイエ葛飾だったから余計に悔しかった。選手権の時にその子と元Glauben Freund Tokyoのチームメイトと話す機会があって、彼女たちも残念がってた。 

そんなどん底なときに元気をくれたのは、チーム設立活動開始時からアドバイスを送ってくれている現役なでしこリーグ選手と韓国女子サッカーリーグの選手。

ありがたかった。本当にありがとう!

そして、スフィーダ世田谷BFCにはチームドクターがいるのが心強かった。最初の診断に疑問を抱いたドクターがさまざまなドクターに話をして

“その見立てはおかしい。セカンドオピニオンを受けるべき”

となる。

12月7日セカンドオピニオンを受診したところ、全く違う診察結果だった。

“今の痛みが治るまでは無理はしないこと”
“治療とリハビリが終わったら今まで通りにプレーOK”
“治療後に別のリハビリで頚椎ヘルニア予防をしながら、首の強化をしましょう”
“このリハビリが済めば呼吸量が増え、副産物としてパフォーマンスアップができるでしょう”

診察の丁寧さ、細かく調べて不安解消のコミュニケーションが上手いドクター。

クリニックを出た時の空が眩しかった。
こころが晴れた。


こころが燃え尽きて、こころを閉ざしかけていた自分。
ギリギリで踏み止まれた。

そこから、日本選手権へポジティブな気持ちで向かうことができた。

ベンチでサポートすることしか出来ない自分は、チームの雰囲気作りを意識した。古巣Glauben Freund Tokyo戦ではガイドをさせてもらえて嬉しかった。

アクサ地域リーダープログラムwithブラサカ第4期の講師から伝授されたサーバントリーダーシップ。3人のキャプテンがこの大会のために時間を割いて準備していたからこそ、このチームが機能したのは間違いない。みなが得意なことを率先して引き受けて、皆で動けるチームになってきた。

自分が暗黒面に落ちていたときも、みなとRSDレガシー杯に欠席になっても、チームは機能していた。チームメンバーが少なかった頃は多くの役割が自分にかかっていて、危うい状態だった。
いまはチームの総合力が備わってきた。

大会後のチームの振り返りでは、本当は泣きたい気持ちに襲われていた。だけど、GMの役割を担っている自分が感情をむき出しにしたらチームがまとまらなくなると思って必死に堪えてた。

だから、恐らくメンバーにはそっけない感想に聞こえたかもしれない。

どんなに失点を重ねても下を向かずに戦い続けたスフィーダ世田谷BFCのメンバーを観て感動。大会記録の大敗だとしても、最後まで戦い続け、試合後も皆で話し合う。この雰囲気は皆が作り上げたもの。

大敗すると得てして非難の応酬になりがち。しかし、スフィーダ世田谷BFCはそうはならず、どうしたらよいかをすぐに話し合えるチームでした。

鈴木の試合前のパワーソングはBABYMETALのKARATE。
スフィーダメンバーの様子とKARATEの歌詞が重なった。

最後に、3試合とも大敗したなか、全ての試合で応援してくださった方々が居たことを忘れない。2011年に1人で応援を始めて以来、自分は2014年までスフィーダ世田谷トップチームで応援リードをしていた。

今回応援される側となり、そして、大敗にも関わらず暖かい声援を下さったことは、何より勇気と希望が湧きました。応援は本当にありがたいです。

はやく頚椎の治療とリハビリを終えてプレーしたい。そして、先が見え始めてきた女子チーム結成を実現したい。

2日間の大会を支えて下さったみなさま、ありがとうございました。
みなさまのおかげで試合をすることができました。

追伸
ドイツのFCザンクトパウリの女子チームスタッフさんから、”スフィーダ世田谷BFCが子チームを結成できたら親善試合しましょう” とメッセージがあったので、頑張る。

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