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ときおりの論理

グループディスカッションとかあったりする.居酒屋で数人で呑んだくれたりするのもグループディスカッションといえばそうかな.

そんな中で,ぼくの中で筋道が通ってるつもりが難しい顔をされたり,反対に,だれかの筋道に首をかしげているぼくがいたりする.

お互いに考えている時間軸の幅が違うんだろうなと思った.
目の前にある,ときおりの論理を疑い,考え続ける必要がぼくらにはあるのだと思った.

そんなことを考えると情報化社会に染まったSNSは決め付けたがるし,日本文化にそぐわないと思った.


カンペキな無慈悲


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出典:Gartner「リサーチ・メソトロジ ハイプサイクル」よりハイプサイクルのサンプル図を転載

カンペキであることは無慈悲にみえる.
無慈悲にみえれば,たちまちSNS上の的になる.


理論や論理を塗り固めて「過度な期待」のピークを上に,上に引き上げることは可能だと思う.
だから,グループディスカッションの議論の場でマウンティングに必死な人は一斉にこの作業をし始める.
しかし,先々のことを考えるとなれば考え方は変わる.
持続可能なものをつくろうと思えば,”想い”がなければならない.

それがときおりの論理であったことを知る.

想いのある強かな人は「幻滅期」を緩やかにするか「啓蒙活動期」も含んで考えているのだろう.

このような安直な,ときおりの論理はSNSで散見される.


クソリプは「過度な期待」の思い上がり

クソリプは目先のことにしか理解を示さない.情報を鵜呑みにして考えることを怠たった意志なき者たちのクソリプだった.ハイプ・サイクルの図をみてそう感じた.

身勝手な幻想をつくり過度な期待をして身勝手に失望する.

そして,考える”意志”を手放すように“石”を投げてぶつける.(うまい棒)

そんな者たちが多くなることで不自由な世の中になってきた.

マジョリティーだと思い上がる,思い違ったノイジーマイノリティーのおかげで諦めなければならないことも増えてきた.


増大するノイズ

プラットフォームは扱いやすいように設計されている.それは考えずとも扱えるとも言い換えることができる.

コマンドはなるべくスタイリッシュに.
導線は一途に.
タイムラインは単調に.

文脈は余分だと言って,削ぎ落とされ扱いやすい設計になった.
その結果,考えない意志なき人々を生成した.クソリプを吐き捨て,目の前のことでしか理解しようといないノイズらは同調圧力とともに増大していくようになった.

結果としてマジョリティーのごとく振舞うようになっていった.
なんとも迷惑な話だ.

まだまだ迷惑な話があるよ.聞いてほしい.


「いいね」という2択

Instagramは「いいね」の数を一部地域のアプリ上で,非表示することが実験的に行われたりもし始めている.

日本文化に「いいね」を押す,押さないかというそもそもの2択は見当違いな気がする.

日本のアンケートを思い出してほしい.
「あてはまる」「ややあてはまる」「どちらともいえない」「ややあてはまらない」「あてはまらない」だったことでしょう.

「いいね」のどちらかだけの回答は,その数で都合の良い商売がしたい人のためのもので,ぼくらを踊らせるためにあるようなものだ.


日本文化とプラットフォーム

最近,欧米と対比した,日本人のだめなところを掻いつまむ投稿をみる.
でも,それは序列意識の高い者たちが安心したいがための戯言だ.本音と建前を区別できず,自覚できなかったために起こるものだ.それは奇しくも思いやりは持ち合わせておらず,所作すらも汲み取れませんといったリテラシーなきことの露呈だ.

その者たちが今度は多様性の時代だと紛糾し,半端な自我を片手に個人主義を語り始める.
個人とは客観から認識されるものであって主観からは認識できない.個人という概念を自意識にたずさえ,自己肯定感につなげることはともかく,それを不躾に行使し始めるとは思いもしなかった.

既存のプラットフォームがそもそも日本的ではないことを知り,情報化社会によって効率を重視したシステムが構築されたのであって,文化的に合理な日本的なプラットフォームでないことを予めわきまえておくべきだ.


そうだ,石を投げよう

ぼくらにできることはなんだろうか.

そうだ,石を投げてもらおう

2ch原産の方々にTwitterやらなんやらにクソリプでめいいっぱい荒らして頂いて,どこかの日本企業に日本文化に準えたSNSプラットフォームをつくらざるおえない時代を整備して頂くしかない.

既存のプラットフォームがダサいという風潮をつくって頂こう.

風潮さえあれば,日本は持ち前の同調圧力で流れを強めていく.

そうすれば,時代に後押しされ,日本企業が大きなプラットフォームをつくると踏み切るか,オンラインサロンやネット村のように,かつての地方自治みたく分断されていくのではないか.

入会の際に課金を通行パスにする.そうして,コミュニティに属しているという矜恃によって静謐の中で自発性を育んでいければなと思う.

そうなっていくには電子マネーが当たり前になり,オンラインに課金するという流れがさらに,なめらかになっていけばればなと思った.


情報を資材に

ときおりの論理を妄信せず,情報を考える資材として捉える.

情報化社会に惑わされることのないために,その源流には紛れもない日本文化の性を踏まえた,ある種で閉鎖的なコミュニティ.ある種でコミュニティ同士が網目状に繋がるような.あるときは翻って開放的な日本的なプラットフォームの必要性を感じた.


文言・写真/うめの瑳刀



のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.