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都鄙のほしぞら
1月の終わりから毎日noteを書いているけど,今日はサボる.
変わりに高校時代のぼくに代筆を頼んであります.
これは高校生のときに大学の入学前プログラムの一環として書いたものです.「もし記事を書くのであればどのような記事を書きたいですか?」という問いにメールで回答している.ちなみに芸大です.
じゃあ,あとは頼んだ,ぼくよ.
都鄙のほしぞら
学生が無意識的に処理している日常を記事に書いてみたいです。
先日少し田舎の方に行ってきました。星空がとても綺麗でした。私の住んでいるところは街灯が多く星があまり見えません。
このとき、ふと栄えるとは一体どういうことだろうかと疑問に思いました。星は常に光り続けているのに輝きを遮っているのは私たちがこれまで発展させてきた文明。そのくせして常に見えているはずの星屑を見て綺麗だななんてほざいてる僕はあまりにも不合理で愚かなような気がしてなりませんでした。
無論、栄えるの意味は勢いが盛んなことなので都会のことを指しますが、そういった意味ではなくて心の豊かさを含めた意味です。
決して都会の人は冷たくて、田舎の人は暖かいとかそんな意味の分からない決めつけではなく、ただ人々の生活を豊かにするために発達してきたものが、当たり前であることを増やし物事の有り難みをわからなくしてしまったのではないかと思います。
文章力が乏しく読み手の理解力に頼る文章になってしまいましたが、つまり私が言いたいことは日常に潜む非日常を記事にしたいということです。
そして、当たり前なことを当たり前の情報として処理するのではなく感受性を豊かにして日々の小さな幸せを改めて感じてもらえるそんな記事を書いてみたいのです。
梅野 瑳刀
大学を辞めて上京したぼく
高校時代のぼくに変わって,現在のぼくです.
少し長かったので冒頭の一部省略していて,タイトルなんかもぼくが付けたりしましたが,読んでみてへえーと思いました.
結局,大学を辞めて上京したぼくですが,高校生のときも3年後の現在も考えてることは一緒だなと思いました.
あとは経験を当てはめていくだけだなとぼんやりと.
明日からはまた,ぼくが書きますのでよろしくお願いします.
明日は「網膜的な表現」について書こうかなとぼんやりと.
のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.