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親しい人ほど合理的な判断はNG

気になったフレーズや感心したことがあったらスマホのメモに残すようにしています。そのメモを見返していたら「家庭で合理的な判断をすると崩壊する」とあった。これは誰が言ったのかどこで見たのかは覚えていないがこの言葉は結構心理をついています。この言葉が刺さった理由は心当たりがありまくるからです。

僕は普段から物事を合理的に判断してしまう悪い癖があるのですが、振り返ってみると家庭内でのトラブルはいつもこの合理的な思考が原因であることがわかりました。

エコバッグの乱

ある日奥さんがエコバックを買って僕に得意げに見せてきました。

「これカワイイでしょー、エコバッグ買っちゃった」
「へー、いくらしたの?」
「2000円」
「そっか、じゃレジ袋が3円だから・・・(スマホ電卓で計算)・・・666回で元が取れるってことだね」
「ふんっ、もういいよ(怒)」

この後しばらく奥さんは機嫌が悪かったです。はい、これは僕が悪いですね。ここでエコバッグのコスパなんていう合理的な判断はいりませんw。

片付け事件

またある日、家の中がごちゃごちゃしてきたから部屋の片付けをしようとなりました。僕は片付けの本質は捨てることだと考えています。でも奥さんは整理整頓が片付けだと理解しています。
僕が片付けをやると何でも捨ててしまうことを奥さんは知っています。だから「この部屋は私が掃除するから、あなたは子供の面倒をみて」という指令がでました。確かに子供が家にいるとなかなか片付けは進みません。僕は子供二人を連れて遊びに出かけました。そして夕方に家に帰ってきました。

「ただいまー」
「おかえりー、ここ見て!キレイになったでしょ?」
「そうだね。でも、ここだけしか終わってないの?」
「そうよ、悪い?一回全部出して片づけるから大変なのよ」
「一日やった成果がこれだけ?」
「うるさいな!もう辞めた。自分でやったら?」

はい、この後もしばらく怒っていました。これも僕が悪いですね。成果ではなくプロセスを褒めないといけなかったです。反省です。

些細なことですが、このようなことが他にもあるとこに気づかされました。そしてビジネス視点と家庭視点は別物だということを理解しました。家庭に合理的視点は持ち込んだらダメなんですね。

当り前のことですが、これは自分にとっての大発見でした。よくよく考えてみるとこの非合理性は人間の生き抜く本能なのかもしれません。

・自分の赤ちゃんが一番かわいいと思う
・子供が加害者でも味方になってあげる
・恋人に逢うために5時間かけて運転する
・子供の為に犯罪を犯す

このように赤の他人だったら合理的に判断できますが、親しい人には合理的に判断できなくなる場面があります。逆説的ですが非合理的に接することができれば親しくなることができるし、合理的に接すれば人は離れていくということなのかもしれません。

うーん、なかなか深いテーマですね。

ただ今回の件で改めて、家族には非合理的に判断していこうと心に決めました。無償の愛です。頑張ります。


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