それはそう!/作詞:ヤマトイオリ を考察する
こちらのヤマトイオリさんと花京院ちえりさんの配信がとても良かった。前半はフリーBGMに歌詞をつけたものを歌う作詞家challenge、後半は意思疎通お絵描きと満足感の高い1時間半だった。
名曲揃いの前半戦だったが、中でもヤマトイオリさんが作詞した3曲目「それはそう!」(上記リンクの配信 40:43〜)の歌詞に衝撃と感銘を受けた。その歌詞について改めて考察していきたい。
(解釈は筆者個人のものであり押し付けるものではありません)
作詞家challengeにはテーマが設けられており、3曲目は「世の中への叫び」だった。配信内でちえりさんも「叫びだな……」と呟いている通り、開幕から叫びを入れることで聴き手の心をわし掴みにしている。一人称を普遍的なものである「俺」にすることで、今から歌う悩みは誰しも持つ可能性のあるものだということを示しているのかもしれない。
歌唱後のトークによると、この歌詞は普段イオリさんが疑問に思っていることだそう。前半部分の問題提起にはそれが色濃く表れている。
右手とはなぜ右手なのか。
右手だけを見せられたとき、それを右手と呼べるのか?もちろん親指の位置などで右手だと判断することはできるだろう。しかしその場に左手が映っていないとすれば、それは何に対して右手だと言えるのだろうか。初手から自分の思考の凝りを感じさせられた。
「手のひらってなんでひらがひらなん」。たとえば手首は手と腕を繋げる部分であり、首も頭と体を繋げている。なので手(の)首は理解ができる。では「手のひら」は?手の「ひら」とは何だ?普段何気なく使っている言葉でも分解すると理解できないことがあるということだろう。
節制というものの厳しさを端的に表した名文。
ちなみに某コーヒー牛乳は94キロカロリーだそう。これはしんどい。
これは盲点だった。普段意識していなかったが、低い位置にある自販機の取り出し口から立ったまま商品を取ろうとすると必然的に臀部を突き出す形になる。これはかなり不格好だ。
日常の細かい所作をスタイリッシュに変えるだけでも自分を変える第一歩になるのかもしれない。そう感じた。
硬いに越したことはないのでは……?と思ったらもう術中。これについては歌唱後トークでイオリさんが言った言葉に尽きるだろう。
「一度ぶつかってみた方がいい」。真のバリアフリーとはなにか、考えさせられます。
しばらくクーラーを使わなかったのが悪いのか、ちょっとくさいクーラーが悪いのか。正義とはなにかという永遠の問題をあるあるネタに乗せたテクニカルさすら感じる一節。
どんな部分にも需要と供給がある。捨てる神あれば拾う神ありという世間の世知辛さ、かすかでもその中にある確かな光を表現したキラーフレーズだ。
食べる→噛む→Bite→バイトという言葉遊びもさりげなく差し込むところがまたニクい。
1番と2番の橋渡し、そして箸休めのように語りのパートが入る。
細かいことを考えている自分に嫌気がさすかもしれないが、他の人もなにかしら思うことがある。だから色々考えてもいい。脳みそがついているから。
思い悩む人々に寄りそう、温かみのある言葉だ。
ヒップホップにおいてはリスペクトの精神を忘れてはならないと言われている。確かにおばあちゃんは「もっと食べな!」とご飯をたくさんよそうしお菓子もたくさん持たせるが、リスペクトは忘れない。ヤマトイオリという人間性を感じさせるリリックだ。
学校のテストは授業で扱った内容を問うもので、塾の勉強は内容面に特化したものだ。問われる内容がそもそも違うので塾三昧ではゼロ点も致し方ないだろう。
学びというものの本質をたがえてはいけないという戒めの歌詞であると解釈した。
生きるということは喰らうということ。生命にとって食事は欠かせないものだ。人には欲望に抗えない瞬間もあるという刹那の高揚を切り取った叙情的なフレーズ。
個人的にいちばん好きなパート。初めて聴いたときは度肝を抜かれた気分だった。
ここまでの歌詞もなかなか難解そうに見えて、しかしなんだかんだ共感や理解ができる範疇であった。しかし、大サビに向けていきなり歌詞の整合性を取っ払いライムに重きを置いた。ここまで大胆なハシゴ外しはそうそうできるものではない。あっぱれです。
ライブだったらここでフロアがブチ上がるだろう。
疑問に思いを馳せたヤマトイオリ珠玉のセリフパート。
知識・概念の仕組みについて一石を投じる主張。我々は知ってから行うのか。行ってから知るのか。たしかに「目つぶし」という動作の意図・目的などについて知っていなければ、能動的にそれを行おうとはしないだろう。
考え方が360°周り、もとの場所に帰結するという意味の言葉である「一周まわって」。思考や嗜好についていろいろと模索している間に経過する時間を考えると、それは一周どころではないのかもしれない。
言葉で言うのは簡単だが、その裏に包含される意味を読み取るべきであるという投げかけだと理解した。
わかる。
虚飾で着飾ったプライドや肩書からみんな透けてしまうペットボトルの服にすることで、時にはお互いの胸の内をさらけ出すことも必要である。
現代社会への叫びを歌った渾身の詩。
この曲の総括。ここまで来たら文章にすることも陳腐だろう。
カロリーをゼロにしてほしいということだ。それはそう。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
一晩でこの歌詞を書き上げたらしいヤマトイオリさんの才能・発想には脱帽するばかりです。
冒頭リンクの配信では「それはそう!」の他にも多くの名曲が生まれたのでまだ見ていない方はぜひ。それでは。
お読みいただきありがとうございます! よろしければ各種SNSでシェアしていただけると嬉しいです! 小躍りしながら見つけにゆきます。