旅するようなラーメンを!!(3)

 わずか20数軒のロードワークではあったがそれなりに体力はついていったように思う。何よりも雨の日も雪の日も休刊日のほかは休まず繰り返す単純作業は継続や反復といった精神のトレーニングになっていたのではないかと今になって気づいたりする。
 
アルバイト代は確か一月2100円ほどだったように思うが当時の小学生にとっては十分すぎるほどの報酬であった。その頃週刊少年ジャンプが170円、コロコロコミックは300円くらいだろうか。小学校の前にあった饅頭屋(といっても饅頭の陳列はほとんどなく子供向けの駄菓子や文房具がほとんど)に売っていた駄菓子は5円チョコから30円くらいの物が相場でありプロ野球チップスなど贅沢に買っていた気がする。プラスチックの容器に飾り気なく詰められた丸ごとのスルメや木に刺しオブラートに包まれたねり飴などもあった。
 
夏の早朝、桑畑に響く蝉の声や真冬の白銀に包まれたどこまでも続く田んぼの景色は46歳になった今でも鮮やかに当時を思い出せるほど記憶に色濃く残っている。この何もない田舎の変わり映えしない風景が、情操教育と同じく自分を形成するアイデンティティになっているのだと強く思う。

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