出来て当たり前が生む罪悪感

今までのnoteでも少しずつ触れてきたのですが、ママはこうでなければならないという完璧なママ像に囚われて、ママたちが苦しんでいる現状があるというのはよく指摘されることですよね。では、なぜそうなってしまうのか、今回はその原因を考えてみました。

育児という仕事は基本的な生活に紐づいている

子どもが小さければ小さいほど、お世話は生活そのものに密着したものになります。つまり、快適で安心な生活環境であり、食事や睡眠が十分にとれ、不快なことは取り除かれ、健康な生活、といったようなものが目指されていくといえます。基本的な生活に基づいたものだからこそ、これを達成するのは最低限のこと、当たり前のことだと思ってしまうのではないでしょうか。

確かに大人が自分のために自分の納得するレベルで達成するのは案外簡単かもしれません。しかし、これを赤ちゃんで達成しようとすると保育者の意識も状況も変わってきます。以下、理想として持っていそうな価値観だけれど、すごくハードルが高いなというものを書いてみます。

快適で安心な生活環境
汚れがないように念入りに掃除をする、洗いざらしで、肌に刺激の少ない衣服を常に用意する、ぶつかってもケガのないようにコーナーガードをしたり、口に入りそうなもの、危ないものはなるべく上に置く、布団をこまめに干す…など。
食事
月齢に合わせて食材や調理方法を変える(種をとって湯がいて皮剥いて裏ごししたり……)、体によいものを厳選して与える、なるべく手作りする、子どもがよくミルクを飲んだりごはんを食べる状態にもっていく...など。
睡眠
赤ちゃんの寝つきがよくなるように工夫する、早めの時間にきちんと寝かせる、快適な温度や環境を保ち、睡眠の質をよくする…など。
不快なことは取り除かれる
泣けば保育者がその状況をすぐ理解して抱きしめてもらえたり、おむつをかえてもらえたりする…など。
健康
風邪をひいたり、ケガをしたり、湿疹やかゆみなどといったことと縁遠くいられる…など。

他にも絵本を読んだり知育玩具を与えて情操教育を…とか、大人に比べて明らかに要求水準があがっていますよね。
赤ちゃんだから、というので過敏にもなります。けれど、赤ちゃんが部屋の中をしっちゃかめっちゃかにしながら縦横無尽に歩き回り、駄々をこね、せっかく作った離乳食もぐちゃぐちゃにしながら投げ、何が何だか自分でもわからないのか泣きわめき……というオプション付きで達成するのってハードルが高くないですか?
それに、どれだけ親が気を付けていても病気にもなるしケガもするし、毎日保湿クリーム塗ったって湿疹はなかなか治らない。大人になるまで風邪ひかない子どもなんていないのですが、必要以上に自分のせいで…と思っていませんか?

ママ失格ではない

産後すぐによく聞く悩みは、母乳の出が悪い、お腹いっぱいにさせてあげられない自分はママ失格のような気がする……というもの。勿論そんな風に思う必要は毛頭ないですし、ミルクのみや混合で育ててるママ(私の周りでは完母の方がずっと少ないです)が多いのに、なぜそう思うのでしょう。それは、食欲を満たすという基本的な生活に関するものだから。「私は子どもに琵琶を習わせていない……」と悩む声はあまり聞きませんよね。基本的な生活に関するものは、満たしてあげて当たり前という気持ちをうみ、できないと罪悪感を呼び起こします。

でも、上で挙げたような環境は完璧な環境であって、それを当たり前として達成しようとするのは難しすぎます。それに、どんなに美味しい料理を作っても、子どもの機嫌で投げ捨てたりする。残念ながら努力がそのまま成果として出ないのが育児であって、翻って言えば保育者のせいではない部分も十分あるのです。

加点方式にしよう

育児は難易度が高いワークです。成果だけを見ると減点方式になりがち(ここができていない、あれもダメだ……)なので、努力している部分を認める加点方式(今日はこれをやった)でいきましょう。それに、子どもの笑顔が今日も見られた、気持ちよさそうに寝ている、それで良いのではないでしょうか。子どもが幸せそうであれば、目的は十分達成されていると思います。


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