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<続編 蜘蛛の糸 ショート3000字>

(草稿)芥川さんの、蜘蛛の糸の続編の創作です。リスペクトする芥川さんが描くお釈迦様の像をかえてしまいたくないのと、観音様にしました。

<続編 蜘蛛の糸 草稿>

ガンダタは苦悩しました。地獄は以前にも業火の火の粉が舞っていました。お釈迦様のおたらしになった細き蜘蛛の糸がぷつりときれたとき、
地獄はいよいよ灼熱地獄となりました。劫火はいよいよ劫火となりガンダタの身を焼きます。ガンダタは悶絶の喘ぎ声をあげました。

「ならば、ならば、糸などたらさぬ方がいいではないか!地上を視よ。隣の者の口を足でふさぎ、我こそは、と手をあげたものが、助かるではないか。人をおしのけ、けちらし、自らに有利をもたらすことに一辺の迷いもためらいもない連中が、のうのうとうまいものを食べ良いものを着て生き永らえるではないか。

地獄の業火に猛火。この煮えたぎった釜でゆでられ、何年の月日が経ったか。50年か、60年か。それとも百年か。
わしは知っておるぞ、
ここには時に天上がうつる。うつるのだ。
ここはいいぞとばかりに。
地上もうつる。
お前の所在は光あたらぬ地中だ、地獄だと知らしめんばかりに。何、地上も陰があるではないか。地獄もあるではないか。
 わしは見たぞ。勝るとも劣らぬまっこうな地獄が地上にかつてあった。
産まれで人を悪とみなし、そいつらを地上の牢獄に押し込めた。ここかあっち、どっちが地獄かって、きっとあっちもこっちもどっちも地獄さ。

人間は罪もない奴らを野良犬かなんぞのようにひっつれて、牢屋に閉じ込めたのだ。それは罪ではないのか?
 奴らは地上ではのほほんと生き、酒をのみきれいな場所でくつろぎ、牢の汚さを笑う。
 牢の内の善良な人間は鉄格子の冷酷さの中で、ここと紛う苦しみを味わい、次から次へと息絶えた。
そこに仏の采配があるのか?

 虫も息絶えるような牢で生き残った者といえば、
知ってるぞ、
わあしは知ってる
悪人だ。
悪人どもだ。

人から搾取をもっぱら得意とし、そいつらの苦しみの上に平気であぐらをかくことに良心って酌量を微塵も淹れぬやつらだ。
人を貶めること、そんなものには己の欲望の前には一片の罪の意識もない奴らだ。
知ってるか?やつらは悪人の顔をしていない。
とってもいい顔をしてやがる。真の悪人ってものは悪を悪と思わず行動するからさ。

 幼い子、女、それから善人は弱いな。ころころと死んで転がった。

だから地上には悪人がいなくならない。生き残るからさ。それが地上だ。

修羅たちが徘徊する地上の監獄で、
善人でありながら生き延びたやつもいるにはいたぞ。
それも知ってる。
知ってるぞ。
仏のやつらが見せるのか、
わしに何かを悟れとでもいうのか、
ここからときどき映像が届く。

それには驚く。
そうだ、人間というものに驚く。
 
生き残ったやつは体力に恵まれていたかって?
それだけじゃねぇ、
こいつぁ人類がひとりのこらずこぞって見習うべき崇高な心をもっていた。

そいつはな希望なんてしろものさ、
似ても焼いても食えやしねぇ、
だれもが知ってるがお金持ちがお金をもってるように貧乏人が金がないように、
こいつは平等に配られちゃいねぇ。

生き残ったやつら、

奴らときたら心に『希望』などというものを忍ばせて、
だれにもとらせやしなかった。いいか?『希望』さ。

いくら奪おうとやつらが冷水に鞭を与えても
いくら水をくませても枯れない

泉がそいつらにはあった。
その泉ってのは、希望の泉で
金持ちやら美人の首にぶら下がる光る宝石でもなけりゃ山と積まれて地獄にまで落ちて来そうな重い金塊でもない、
愛する人だ。
そいつを愛し、待つ人だ。信頼だ。それを愛とよぶのか?

わしのような誰にも愛されず、
疎まれ避けられた惨めな生を生きた奴にゃぁ豆粒のひとつぶほども目にも見えねぇ微生物の破片ほども持ち合わせておらん宝だ。
このわしが、あの細き蜘蛛の糸を、我先にとこの苦の山、苦の谷、苦の池から逃れようとして何が悪い。
どこが悪い?
えぇい。
地獄まで不公平とはどこのお釈迦様が決めたんだ。

知っているか? 
奪い、だまし生き延び、恥もせぬあの悪人どもは、ここにいるか?凍てつき研がれた針よりも尖った氷柱が降るのを恐々とまっているか?
皮をはごうと口を引き裂かせて待つあの鬼どものところへ連れていかれたか?
いいや、奴らときたらこの地獄よりも上にいるではないか?上にいるんだ。そこはここより涼しい風が吹き、熱風に窒息することもない。確かに蓮の香漂う天上とはいかずとも身体がひん曲がる臭いもない。

まだまともな人間の扱いってものがあるのだ。
息を吸えば肺腑に焼けるような痛みが走り、
痛いと叫べば、さらに苦痛がます。
針山のあとには、
かの悪名高い、
滑油を塗られた柱を渡る。

燃え盛る漣火にこの身が焦土となるまで焼きつくされると分かっていながら、
恐怖におののいて、
あの柱をわたるのは奴らじゃない。

奴らこそがここにいるべきではないのか?
あいつらはここよりずっと快な空気を吸ってやがる。
なぜだ?何故なのだ?

1万回も100万回もわしは悔いたし、同じだけ仏を責めた。

この地獄から出られるという期待を抱かせておきながら、
糸は容赦なく俺の手の上からきれ、あれよと地獄に落ちたのだ。

地獄がかように苦しい場であることを
改めて知らなくてはならなくなった。

あまりにも長く地獄の重みにつかっていたからな、
苦しみの感覚に麻痺がおこっていたんだよ。
それが糸が降りてきて天界の清々しさをまじかにみたものだから、
俺の眠り始めた感覚がまるで目覚めてしまった。
地獄はいよいよ灼熱地獄となり、
業火はいよいよ煉獄となった。

わしは、うらむぞ。恨む。
仏を恨むぞ。
あのとき見えた細い手は、ほかでもないぞ、仏の手。
死んだ俺にはよくわかる。

理由なんぞをとっつけて、
助ける気がないのなら、
糸など垂れるな。

いや、俺は俺の善行をもうらむぞ。
善行が何故こうしてむごたらしい様相で報いとして帰ってくるのだ。

たった一匹の蜘蛛に自ら施した情けをうらむぞ。きれる糸を垂れた仏を恨むぞ。」

蓮の葉の上にはきらきらと真珠のような夜露が煌めいておりました。

観音様は池から地獄の容子を蓮の池のほとりで静かにご覧になっていました。

「ガンダタよ、お釈迦様は自分のみが助かろうとするお心を醜いとおぼしめしたのでございます。
お釈迦様の慈悲がかような因果をうみましたことに、お釈迦様もかなしんでおられましょう。

お釈迦様があの糸をたらさねば、
あなたはそこで亡者そのものとして蠢く他の多くのもののように、
くる刹那も過ぎ行く僅か刧の間も疲れ果て、苦に苦を重ねた末、あなたをとりまく万象が放漫なものとすんだことでしょう。

また恨みという感情が散漫朦朧となっていたあなたの意識を砥ぎすましました。
そこで、課せられる猛火は、
悶絶とともに幾たびともガンダタあなたの身体をやき、心は烈火のごとく燃え盛っておりました。

ガンダタよ、あなたがどれだけ恨みを募らせてもここには届きません。ここは、清浄の天地。

しかし、
ガンダタあなたが糸を登りました折、

こちらの容子を下から垣間見えたのは、あなたもここに届くからです。

其の対比から、自らがあがく針山に煉獄の炎が一層苦に満ちたものと見えたのでしょう。お気づきくださいませ。ここがあなたに見えたのならあなたもここにおいでになれる。ガンダタよ、お気づきください。

あなたの罪をあなたの良心に問いました。即ち罪は償われたのです。それから早10年は過ぎましょう。
しかしあなたはまだ気が付いておりません。


あなたが焼かれるその炎は、
もはや熱くはなく、
ただ、
あなた自身が燃やす恨みの炎であると。

ガンダダよ、その恨みの炎に油を注ぐのをやめ鎮まるのを待つか、誠を見抜く力へと、
あなたご自身が変えるのです。
その猛火を消すのは、ただあなたご自身が可能なことでございます。

あなたはすでに許され、
愛されていると、
気が付いたのとき、ひとつ地上に近い場所で身体を潤す水をお飲なさい。


まだ花は咲いてはおらぬ場所ではありましょうが、
そこの大地はほどほどのぬくもりで、あなたを迎えてくれるでしょう。
あなたは、許されておりました。ずっと愛されてきました。これからも愛されるのです。

あと幾日か幾年か、千年の月日が必要か、
わたしにはわかりかねますが、
いつかここで睡蓮の露を愛でましょう。」

あたりは、なんともいえない良いかおりがする。観音様のお顔には柔らかい慈悲の微笑みがありました。


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