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ショートショート2800字『オンアビラウンケン!!渇ッッッ~呪いの行方』

「あぁ本当にいやになる。いつだってそうだ。何か大切なときに、何かが壊れる。」
伊藤正武は初老に差し掛かっていた。人生中盤から随分と辛い人生を歩んだ。結婚してからはまさに悲劇そのもので、まぁなんどきと離婚を願ったものだが離婚できなかった。ていのいい脅しがあったのだ。それももう10年も前のこと、離婚成立後は驚くほど静かに暮らしてきた。嵐の後の静けさとはこのことで、毎日が初秋の静けさの中で暮らすようだった。
 どうやら以前の配偶者も配偶者で、わたしという存在が目の前から消えて、一種の執着による拘束の手綱を手放したみるやもうやすぐに、ドラマでももう少し自然であってもいいと思うほどいい人と巡り合ってそれはそれは華やかに暮らしているのだから人の縁とはばかにならないものだと思う。
 さて、わたしも今や”シルバー世代”なんて呼ばれる頃になった。そんな世代になってもまだひとつ何か次世代のためにできやしないかと、持ち前の手先の器用さを利用して児童ホームの子供のおもちゃ直しを買って出ることにした。
 さぁ、今日が初日だ、晴れだ、心を幾分躍らせていたのだが、出がけの出がけに眼鏡が壊れてしまった。曇りをとろうとしたその瞬間に手から離れて落下というわけだ。
「なんてこった。また眼鏡が壊れたよ。
PCやスマホが壊れたことだってある。コップも割れる。
眼鏡が壊れてにっちもさっちもいかなくなることがあるのはなれっこ、もう高いもんは買わないだけのはなしさ。
そんなことはものを大切にしていないからだ、
と言われたら、それもそうだ、とならないではないけれど、

それにしたって、大抵大切なときにこういうことが見事なまでによく起こる」
わたしは改めて👓を見た。
「全く、呪いにでもかかっているのかと思うよ」わたしはぼやいた。
「そのとおりだよ」と、突然声がした。わたしは周囲を見回したがだれもいない。近所では挨拶こそすれ、話をするような人もいない。
「そのとおりだっていってるんだ」
「だれだい?」わたしは姿の見えない声の主に聞いた。
「あたしよぅ」はぁ、そういうことか、とうとう幻聴が聞こえる年齢となったか。
「そのとおりなんだよ」
「何がだい?何がそのおとりなんだい?幻聴ってことがかい?あぁ気味が悪い、一体だれなんだい?」
わたしは空を見上げた。真っ白な雲が水色の空にたゆっているのをみてすっとした気持ちになった。
「風の又三郎でも遊びにきたかい?だったらいい。それにしては声が暗いぞ。」
「わたしが暗いからさ」
「空は青空だぞ。みてみるといい。空を見るだけでいつもとは限らないが、すっきりとすることもあるもんだ」
「何を言ってるんだい。西の空を見てみなよ。どんより灰色だ。梅雨どきのじとっとした雨が降る」
「ほぉ、では傘を持って行こう。君は雨宿りができる場所にるのかい?」
「わたしが見えないの?あたいが。あたいが見えないの?ほら、ここよぅ。見えて?あたいの姿が。呪いのほどはどうだったかい?味わったかい?見たのは煉獄地獄かい?阿鼻地獄かい?」
「なんだって?呪いだって?」
「呪いさ。そして呪いをかけたのは、このあ、た、い、よぅ。このあたい」太陽が雲に隠れたそのとき、つぅと目の前に灰色の陰影が木陰に浮かび上がった現れた。
「!?よく見えないぞ、あぁまさか、君は、君はかつての教え子じゃないのかい?懐かしいな、元気にしてるかい?と、待てよ、年をとっていないじゃないか。さては霊だからかい?生霊かい?死霊かい?あぁ、なんて恰好してるんだよ。それじゃぁホラームービーじゃないか。そんな呪いの釘をもってさ。土色の顔してさ」まったく、幻視と来たか。ついにきたか。これが加齢というものか、そらおそろしい。いつの間にか死後の世界を歩いてるってこともあるかもしれない。しかしおそらくこれは現で地上だ。
「釘?うったわ、うった。確かにかつてうったわ。今は適度にいいくらし」
「そうかい、君もかい?それはよかった。それならもっといい風にいたっていいじゃないのかい?いいのだよ、そんな容姿はどうだって。なるだけ清潔にしてきちんとしてりゃそれでいい」
「わたしはきちんとしているわ」
「わたしの目がおかしいのかい?確かに視力が年々落ちているよ。それにしてもやっぱりおどろおどしくしかみえやしない。そんな木陰にいるからだよ。
さぁ、おひさまが照ったらその下で深呼吸でもするといい。僕の生徒は幸せになっとかなきゃいけない」
「あんたがわたしを不幸にしたんだ」
「なんだって?わたしはそんなに影響力を及ぼす力があるのかい?それは驚きだ。いいのかわるいのか、まじめに考えこみはしたものだ。
 そりゃぁ教師なんてやっていれば、年々自分がなんて至らないんだって気持ちが募るものさ。そこでなんとかしようと思うか否かが分かれ道。もっといい方向に進む背中おしはできなかったか、なんて考え出したらきりがなくてね、働く気もなくなった日もあったがね、少しずつ改善することで妥協してきたぐらいなものさ。
 満足とはいかないが学んできたつもりではいるのだよ。
君がわたしの生徒だったころはなにせ若い時分だったから、幾分うぬぼれがあったかもしれないな。それでもせいいっぱいやっていたつもりだったがね」
「あんたのせいだ」
「そりゃぁ、よくない。人に恨みをもつのは確かに不幸だ。なんでそんなうらみをもつんだい?」
「叱ってくれなかった。せんせは勉強もいいが他も大切と勉強しないことに叱ってくれなかった。だからいいとこいけやしなかった」
「それは反省だ。そのときは学校の勉強に意義を感じられなくなっていてね、それに学校の勉強よりも自己を受けいれること、思いやりを自分と他人にもつことのほうが大切だと心底思っていたんだよ。だから勉強で”𠮟る”ってこともしなかった」
「先生の存在が、わたしに劣等感を植えつけた。ほら、簡単だろ、やれだれだってできる、できる、なんて言ったけれどわたしにはちっともできやしなかった。それなのに、簡単だ、やればだれでもできる、この繰り返しだ」

「あぁ、確かにそれは過ちだった。善かれと思っていっていたし、心底だれでもできると思ってもいた。
 人によっては随分とちがった。学校の勉強ができるのは賢さの尺度の一つに過ぎないのだが、たしかに得て不得手の差が想像を超えてあった。足の速さ、えのうまさ、友達作りのうまさ、万事が平等にはできていない。わたしは痛く反省したよ。」
「知ったことか。恨んでやると誓ったさ」
「あぁ、誓いは強いぞ。だからいいように使わないといけない。君はそれで自分も呪っているんだな。わたしを呪うようでいて君自身も呪ったんだ。実際わたしも呪いにかかっていたのだろうね」
「呪ってやる、呪ってやる。」

あのときいじめにあっていたが、わたしはせいいっぱい君の味方をしてきたつもりだよ。あれも君を勇気づけはしなかったのかい?」
「あれで味方してるつもり?」

「はぁ。なるほど。できる限りのことはしたと思ったが、確かに完璧ではなかったよ。すまない。それで、その3寸釘を打ったわけだ」
「せんせが結婚失敗したのも呪いをかけたからさ。せんせが、ひどい目にあってきたのも呪いのおかげさ。せんせが病気をしたのも呪いのおかげさ。いい気味だ」
「はぁ。なるほど。痛い学びだったよ。呪いに会うのはひどく辛いがそこからはわたしは多くを学んだ。そして、今日また学んだよ。
 恨みってのは、未熟なものどうしのひきずりあいだな。人ってものは誰だって、未熟な何かをかかえているんだがね、あたりがわるかった。必然か偶然かは知らんがね。
 恨みを持つ人間に何かしてあげようと思ってもうらみがかえってくるんだ。
僕は確かに今よりも未熟だったよ。叱ることができなかった。今ではあの頃よりは成長したよ。しっかりと叱れる。それに教師だからね、やっぱりどんなことからでも学び成長していくことが大切だと思うんだ。
君がしたことは君自身が受け止めるといい。それが一番の学びだ。呪いを返してあげるからね。

オンアビラウンケン!!!

わたしは先祖代々霊能力の家系でね。成人したとき、見える能力も封印したはずなのだがね。よる歳波ってやつだろうね」

その晩男はたくさんの生徒からもらった感謝状を見直した。

『先生、ずっといい先生でいてね。やさしいところが大好きです』
『伊藤先生に一度叱られたことをこれからも覚えています。叱ってくれてありがとう。先生のしかり方は愛があった。』

『たまに書いてくれた変な詩がお気に入りです。今後も力の糧にします。』
・・・変な詩?あれかな

叱れよ𠮟れ 不動明王の化身となりて𠮟れ
愛をこめて𠮟れ
叱れるよう教卓に貼って、手を洗う度に唱えていたもんだ。



『小さな一歩が大切ってこれから心に刻んでいきます。先生元気でいてください。』

それでわたしは五鈷杵を手に心の中であの生徒の成長を願ってから、急いで児童ホームへと足を運んだ。



成田新勝寺(成田不動尊)




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