見出し画像

【もったいないから】めんどくさい、を頑張らない努力

私はずぼらだ。

朝起きて、カーテンを開けて朝日を浴び、洗濯機を回しながら掃除機をかける。火にかけておいたヤカンがしゅんしゅんと音を立てたらコポコポ…と茶を淹れて一服し、洗い終わった洗濯物を干し、今日回収予定のゴミをまとめて朝8時までにゴミ捨て場に持っていく。

そんなルーティーンをこなせる人を心底尊敬する。

頑張れば、めちゃくちゃ気を張れば1日くらいは出来るだろう。やり切った後の達成感も相当のものだろう。でも習慣的にこなすのはまず無理だ。きちんとした生活を送る満足感より、「やらねば」の焦燥感と面倒くささ、作業に費やすカロリーの方がすぐ私の中で上回ってしまう。

だから、「一番良い自分」を目指すのではなく「絶対超えたくない一線は守る自分」を維持することにしている。

朝起きたら、とりあえず朝日は寝ぼけていても浴びれるようにカーテンを少し空けておく。少し携帯をいじったり2度寝したりだらだらした後、ベッドから出たら布団だけは整える。洗濯機はベッドから早く抜け出せたときか週末に一気に回す。水道水をグイっと一杯空けて、「あーこれは人が住めるシロモノじゃないぞ」の一歩手前までには、クイックルワイパーで床を拭く。

私が恒常的に出来るのはせいぜいこの程度である。
でも、私の中の超えたくない一線、「常に汚い家」は回避できているかなと思う。

環境問題への取組も、まずはこの位で良いんじゃないか。

地球にやさしく、SDGs、そういった活動の必要性が高まるにつれて、なんとなく「一番いい地球」のために大層なことをしなければ、という気持ちになってしまうときがある。今まで好き勝手環境を壊してきたツケは、そう簡単に、並大抵の努力で拭えるものではない。きちんとしなければ。しっかり考えなければ。丁寧に生きなければ。緑と共生しなければ。

そんなふうに、「れば・ねば」が増えるほど腰が重くなるのが人間だ。

そして、便利な生活を享受することに慣れるほど、「地球にやさしく」という言葉は「今の生活を手放す」という意味で捉えられがちになり、それは本質的に努力が必要なアクションになる。焦燥感は更に高まる。

目指す姿はそうかもしれない。でも、遠い理想にばかり目が行って最初の一歩が踏み出せないなら、その理想は永遠に理想のままだ。

ならば「頑張らない」まま手が届く範囲で何か始めてみることが個人の第一歩だし、「頑張らせない」まま気付いたら変化しているような仕組みを作るのが企業の第一歩だと思う。

例えば、私はさっき挙げた「理想のルーティーン」の中でも特にごみの分別が苦手だ。燃えるゴミ、燃えないゴミ、かん・びん・ペットボトル。この辺はまだいいけれど、普段捨てないものを手放そうとするとき、いちいち何ごみに分別されるのか調べるのが本当におっくうで、時折罪悪感を感じながら、いったん全て「燃えるゴミ」に脳内変換して捨ててしまう。

これが、例えば「家庭用スマートごみ箱」によって「人間は全部同じ場所に捨てれば良く、細かい分別はゴミ箱が勝手に仕分けてくれる」「回収日はドローンでゴミが勝手に収集場所へ運ばれる」ようになったらどうだろう。私は「頑張らない」意識のまま、おのずと地球環境には良いアクションをしている。

地球を救うのに、人間ひとりひとりの意識改革が必要なのは間違いない。でも、その変化をただ待つのも時間がもったいない。意識すらさせず行動と結果を変えさせる技術を、既に人間は持っているのだから。

#もったいないから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?