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共依存:私と母の場合

※これは1年くらい前に書き留めていた文章のひとつで、時が経ってアップしたものです。

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共依存の定義とはなんぞや。

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である[4]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする[5][3] 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


で、うちの現状を簡単に表すと。

母→「お母さんの言うことに間違いはないんだから。こうすることがこの子のため。」

   子育てがすべて。過干渉。

私→「私がいなければお母さんはひとりぼっちになっちゃう。」

   自己犠牲による自分の存在価値。

・・・と分析しております。

私は、母のことが大好きすぎて困っています。

でも、逆に大嫌いのときもあります。

私は職と共に居を転々としておりますが、今は訳あって母の家に居候中です。

つまり、私と母との二人暮らしです。

家賃・生活費の支払いなし、三食付、掃除洗濯付、30代独身オンナが、天国かと思うほど甘ったれた生活をしております。(※仕事はしております。)

母は、離婚してから私たち姉妹のため、一生懸命働いてくれました。

本当に感謝しています。

そんな母も、叔母がアルツハイマーになってしまったことをキッカケに

徐々に世話をすべく仕事を辞めました。

叔母のこと(もしくは母方の実家のこと)をすこし書きます。

叔母はこれまでずっと独身。現在、面倒を見てくれるような人はまわりにはいません。

叔母の住んでる家は、母の実家でもあります。

とても頭のいい人で、医学系の大学の研究室で仕事をするような人でした。

私が中学生の時に祖父が他界し、後に祖母の認知症が発症、叔母が面倒みながら最期を看取り、一緒に住んでいた叔父(独身)の早すぎる最後も看取り、その葬式諸々の費用はすべて叔母によるものという、ある意味実家のすべてを叔母がいろいろとやってきていたのです。

ただ、叔父の葬式時は、叔母のアルツハイマーは結構進んでしまっており、取り仕切ることができない状態であったため、母と私が代わりに取り仕切りました。

叔母には本当にお世話になったのです。もちろん祖父母、叔父にもですが。

母が離婚した時に、家庭の事情でお金がなかったため、家を借りるためのお金をすべて叔母がだしてくれたそうです。

私や妹が専門学校に進学する際に学費を貸してくれたり、高校の時にパソコンに興味を示した私のためにパソコンとプリンターを買ってくれたり。

その他、ほとんど金銭的な援助が中心ですが、金銭的な援助って本当にものすごく助かるのです・・・。

小さいときは、父がほとんどどこも連れて行ってくれない人だったので、叔母が代わりにどこかへ連れて行ってくれたり、ピアノの発表会を見に来てくれたり。

そんな叔母が、いろいろなことを忘れて行ってしまう病気にかかってしまうなんて。

私もショックでした。

今現在なんて、私が誰だかわかっていないのです。

顔を合わせたときは、「いつもお世話になっております」と私に向かっていう。

悲しすぎる。

しかし、風貌は昔とはすっかり変わってしまったけど、それでもどこかしっかりした部分て残っているのです。

わけのわからないことは言うし、会話にならないし、今さっき言ったことを忘れてしまうし、なんだけど、どこか背筋の伸びたようなスッとした感じというのでしょうか。

そんな、すっごくお世話になった叔母のことを、面倒みると決めた母。

現在私と母の2DK賃貸での二人暮らしですが、うちから叔母の家へ、不定期で通うことになりました。

でも、最初の方はグチが多くてホントいやになった。

「わけのわからないこといって。」

「せっかく良かれと思っていろいろやってるのに。」

「今日はこんなこと言われて頭にきた!」

・・・など。

最初の方は、「母よ、認知症とはそんなものだよ。要介護度がもっと重度になったらもっとひどくなるよ」と、母を諌めていましたが、私が仕事から帰った時の母の雰囲気ですぐわかるほど、いつもマイナスパワーを感じていました。

叔母のところへ行った日と行かなかった日で、機嫌というか雰囲気、纏う空気が全然ちがうのです。

あまりにも毎日マイナスパワーを喰らうので、

「そう毎日毎日グチばかり聞いてたら、こっちがどうかしちゃうよ」

と言い返してみました。

そしたら。

「じゃあ、誰に吐き出せばいいの!?」と怒り出しました。

・・・母よ。

では、わたしはさらにそれを誰に吐き出せばいいんだい?

これは実際には言わず、自分の中にとどめておきましたが。

でも、母には私しか吐き出し口がない。

まぁ、私が受け止めるしかないか。

母が叔母よりも先に死んでしまったら、叔母の介護を私がしなくちゃならなくなるから何としても先に死ねない!と、

母なりに変な義務感、というかプレッシャーをもっているのですね。

それも自己犠牲のひとつだと思いますし

その義務感による自己犠牲がさらに自分を追いつめるのだと思うのです・・・

また、仕事を辞めたばかりのころ、しばらくの間は、何もやることがない状態が続き、おかしくなりそうと言っていた母。

やることないと急に気が抜けてボケるタイプと私は推測します。

叔母の世話をするというまた一つの目的ができたことで、いろいろと動く理由になったかと思います。

それまでは、私のようないつまでも手のかかる娘がそばにいて、私の世話を焼いてないとやることがなくなってボケてしまうのではないかという変な考えで、いつまでも私がそばにいたほうが母にとってはボケ防止になるのかも、と思っていました。

今更ながら、私は母と居を別々にすべきだと改めて感じました。

今の家は、プライベートな空間がなく、窮屈。

ほぼ、母の家、となっているところに私が戻ってきたのだから

私の部屋はないのです。

いつぞやの、東京での妹と二人暮らしの1Kの状況と同じなのです。

別々に住んでいれば、居を共にしていた時のグチと、別にしたときのグチできっと感じ方が変わってくるのではないか、と。

私は私で、プライベート空間を持ち、自分の時間をきちんと持てていれば、ストレスの感じ方が違うのではないか。

そう考えるようになりました。

また、地元を離れる可能性だってあるので、

母といかに距離を取りながら、叔母の世話に私が関わっていけるか。

こんなことを考え始めた今日この頃です。

ちなみに、私に「結婚願望」という言葉はありません。

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